プロローグ はじまりの骨董屋
その店は、路地裏に入ってすぐのところにある。
外壁が茶色く塗装され、窓ガラスは上半分が弧を描き、そこから伺える中の様子も薄暗くて分かりにくく、よほど興味がある人でないと絶対に近寄らないような怪しい店である。
中に陳列された商品などは、木製や真鍮製、陶器やガラス、水晶などを用いたユニークなデザインの道具や置物がある。
誰が見ても、骨董屋と見て間違いないだろう。
店内の手前側にカウンターはあるが、店員らしき人影はない。
川瀬瑞樹は、このいかにもレトロ調の雰囲気のある店が気になっていた。
何故なら彼は近所の大学に通う学生で、連日通学路としている道の途中に、いつの間にこの店が現れたからである。
一昨日の金曜日、瑞樹は大学の帰りにもこの道を歩いたが、その時の同じ土地は空き地だったと記憶していた。
昨日の土曜日は、特に用事もなかったため気づかなかったが、日曜日である今日、一般開放される大学の図書館で調べ物をしようとして、大学に向かっていた時に気づいたのである。
そして調べ物を終えた帰りがけに、再び目の前を通った時に興味本位で店内の様子を伺った。
出入りしていたり中で物色していたりする客は見当たらないが、今朝の時点ではいなかった店員らしき人物が、カウンターに肘を載せるようにして座っていた。
今朝と変わらず店内は薄暗く、その人物が老若男女のどれに該当するか瑞樹には分からなかったが、フードのようなものを被って口元以外をほぼ隠していることが見て取れた。
骨董品が欲しいとは思わないが、物色するだけでも新しい発見があるかもしれない。
そう思った時には、瑞樹は店の扉に手をかけていた。
開けた瞬間、心地の良い鈴の音が鳴る。
「ごめんくださーい」
「……いらっしゃい」
瑞樹の声に少し遅れて、カウンターにいた人が反応した。
この時ようやく、瑞樹はこの人物が老婆であると確信した。
比較的高音の声色だが掠れて聴こえ、フードで顔を隠していても、口元の皺や少しはみ出して見える白髪混じりの長髪などが理由として挙げられる。
店員の彼女に、何かオススメの商品でもないか聞こうとして、瑞樹は躊躇った。
きっかけになる言葉がまるで浮かんで来ないのである。
また、店員の老婆が口元をへの字に曲げて、不機嫌そうにしていることも、コミュニケーションの遠慮を助長していた。
悩みながら天井を見上げると、十数本ある蛍光灯や電球の全てが、消えていたり点滅していたりしていることに気づく。
業者に頼んだらどうかと、過保護な考えが頭を過ぎるが、新規の客がここまで余計な世話をかける必要もないと考え、自ら口を噤んだ。
そしてようやく店内の物色を始める。
店内に所狭しと並んだ棚には、瑞樹がこれまでに見たことのない形の皿や置物が、平積みで置いてあったり、小洒落た小物入れに並べて入れてあったりする。
特に、表面や淵などに凝った装飾が施されたものは、棚の一番上に人目に付くようにして鎮座していた。
中でも瑞樹が特に目を惹かれたものは、表面に光沢のあるよく分からない謎の白いもの。
というのも、それは楕円の輪郭がある板を綺麗に凹ませた形をしていて、人間の顔ほどの大きさがあるのだ。
この特徴だけならば、変わった形の皿程度に考える人が多いはずだが、これの置かれ方は、皿の置き方とは違うのではと瑞樹は感じていた。
一般に、お客目線で目立つような皿の置かれ方は、大体が使う時に物を置いたり乗せたりする、凹んだ方を見せるようにして置かれている場合が多いはずである。
しかしこの物体は、逆に出っ張った方を見せるようにして置かれているのである。
表裏とも一切の装飾が施されておらず、これ以上説明しようのないほど特徴のない物体が、何故このようにして置かれているのか。
瑞樹はそれを手に取って、様々な角度から見渡しつつ考え込んでいた。
すると、真後ろから店員の老婆が覗き込んでいることに気づく。
「うわあぁっ!」
「ほうほう、その仮面に興味があるのかえ?」
「お、脅かさないでくださいよ……」
あまりに驚いて、手に持っていたそれを危うく落としそうになるが……セーフ。
なんとか両手で押さえていたことに一安心し、瑞樹は乱れた体勢を立て直した。
そこで、直前に気になることを言っていたことに気づく。
「お婆さん。これが仮面ってのはどういうこと? 皿ではなくて?」
「どうもこうも、仮面は仮面じゃよ。それ以外の何物でもありゃせんわい」
「じゃあこれが仮面だと言うのなら、どうやって呼吸するの? 穴なんて開いてないし、前も見えないじゃないか」
本当に穴が開いてなくただ丸いだけで、仮面としての根本的な問題を無視しているこの物体は、瑞樹には仮面とは言いづらいものである。
しかし老婆は老婆で、そんな質問には聞く耳を持たない姿勢を貫き通すつもりらしい。
だが、他に何か揚げ足を取るようなことも言えず、少しずつ敬意が薄れている瑞樹を見て呆れたのか、一際大きなため息を吐くと含みのある声で言い寄った。
「はぁ……そんなにその仮面のことが気になるかえ?」
「ああ、もちろん。これをどうやって使うのか、是非ともご教授願えますかねぇ」
「あいや分かった。ひとまずそれを被ってみんさい」
「えぇ……」
被れと言われて素直に行動できるかというと、謎の仮面そのものに不信感を拭えない今の心境では、瑞樹の食指が動くことはない。
「いやーちょっと被ってみろって言われても、これはさすがに……」
「なんじゃ? 遠慮なく被ってくれて良いぞ。ほれほれ、男ならスパッとやらんかい!」
「そうは言っても────って! 痛って! 急にどつくなって!」
急かしているのか、瑞樹の脇腹を老婆が平手で突き刺してくる。彼女の手の小ささも相まって、結構急所に当たっていた。
いよいよ完全に丁寧語すら抜けて、敬意の欠片もなくなった瑞樹に諦めて見切りをつけると、目の前に右手を突きつける。
「もうよい。ちょいと貸してみい」
「どうぞご自由に」
右手で四本指を曲げて要求の意を示す老婆に、瑞樹は持っていた白い仮面を手渡した。
老婆はそれを右手の上で持ち直すなり、ニヤリと口角を上げて、そして────
「こいつは…………こうするのじゃ!」
「は!?」
ドゴッ
────いきなり瑞樹の顔に押し当て、そのまま後ろの壁に激突させた。
「んぐっ!?」
その時の衝撃で瑞樹の後頭部は大きく腫れ、また顔が仮面の内側に閉じ込められて、視界は暗転し吐息もこもる。
さらに、壁際の棚の天板の角が瑞樹の背中に食い込み、彼の腰に大きな負担がかけられている。
しかし、これだけ危険な状況から瑞樹が脱せない理由は、押さえつけている老婆の腕力、握力、その他維持するために使用している力が、瑞樹が想定していた以上に強力なものだからである。
その圧倒的な斥力ゆえに、壁を手足で押し返すこともできず、老婆が押さえつけているために伸ばしている右手を、両手で強く握るしか抵抗することができないでいる。
「んー! んー! んー!」
「騒がないで。集中出来なくなるから」
老婆はまるで少女のような、彼女らしくない口調で瑞樹に注意し、右手に力を込めたまま左手を眼前で祈るように添えて、何やら祝詞のような言葉を綴り始めた。
「偉大なる我らが先祖たるラペオよ。我が願いを聞き届けたまえ」
と、ここで一拍置いて呼吸を整えると、
「汝喰らうは風前の灯、汝誓うは寵愛の吻接、汝に我らスプリガンの加護があらんことを……」
老婆がそれを言い終えた時、瑞樹が被らされた仮面が強烈な光を放った。
瑞樹にしてみれば、文字通り目と鼻の先というところで発光しているため、光を遮る手段が目を瞑る他になかった。
しかし、あまりにも強すぎるその光は、そんな必死の抵抗すらも愚策へと変えてしまった。
「ああああああああああああああああ!」
結局、避けては通れない状況の中、瑞樹はただただ絶叫する他になかったのである。
やがてその光が止んだ時に、老婆が右手の力を抜いて仮面から手を離すと、瑞樹はそれを装着したまま膝から崩れ落ちてしまった。
付けたままのため表情は窺えないが、おそらくあまりにも強烈な光によって視神経に過度の負担が生じ、止んだ時にその反動で気絶してしまったのだろう。
「さて、あなたはこの試練、どう切り抜けるのかしらね。私が数万回と繰り返してついに辿り着けなかった未来を、見せてちょうだい」
誰に聞かれるわけでもなく、老婆はまたも少女のような口調で呟いて、右手で自らの顔を握った。
そのままゆっくりと顔から手を離すと、なんとそこにはもう老婆はおらず、年の頃二十代半ばほどの女性が、床に転がっている瑞樹を見下ろすようにして立っているのだ。
「私たちの──スプリガンの未来を、救うために」
悲壮的な目で瑞樹を見つめる女性。
その様子を、店外から眺める視線があった。
「…………あれって……」
これが、後に異なる世界で大きな運命に左右される三人の、邂逅の場であったと瑞樹が知ることは、随分と先の話である。
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