1stステージ0:始まりの実験
魔法世界、始めました。
「学校の理科室ってどんな場所?」と聞かれて、みんなはどのように答えますか?
授業する場所?
怪しいものが置いてある場所?
あるいは、学校の中で1番危険な場所?
十人十色という言葉もあるように、人それぞれで、様々な考えや意見などがあると思う。
そんな様々な意見を持っている1人の人間を例にとって、話を進めさせて貰うと、ある人物にとって理科室は神聖な聖域みたいなものである。
云わば、儀式を行うための祭壇ーーーと言う風に解釈しても構わないと言うくらいの感情移入をしている。
「実験と言う、人間にとっての進歩と進化を生み出す貴重な場所――そして、更なる可能性を追求する場所ーーーそれが理科室だ」そんな風に、なんの恥ずかしげもなく答えられるやつは早々いないだろうーーーこのとある中学校の理科室にて、今実験を行っている少年を除いて。
俺の名前は天野翔琉、身長は163cm、血液型はB型、趣味は実験と発明な、ごくごく普通じゃない中学1年生である。
翔琉と言う名前の由来は、”元気に走り回れますように”と母がつけたそうなのだ。
母は、俺の将来としては、走り回るようなスポーツ選手などを期待していたそうなのであるが、俺自身はそんな事は微塵も考えておらずに、専ら運動などせずに、室内に引きこもってひたすら紙とペンと本に向き合っていると言う現状だ。
そんな現状を、彼の母は「勉強してるんだし、偉いわよ」と表面上喜んではいるものの、お酒を飲んだ際に時々父に「あの子絶対、運動させたらすごいことになりそうなのに……勿体無いわよね~」と愚痴っているらしい。
どんだけ、スポーツ選手にあこがれを抱いているのだろうかーーーと、ついつい考えてしまう。
所詮スポーツ選手は、最終的に才能がものを言う世界なのであるので、いずれ挫折を誰しも経験すると言う厳しい世界である。
野球で例えるならば、去年1軍選手だった人が、今年は戦力外通告を受けるといった感じであろう。
「それならば俺はペンを持って、化学的な理論を紙の上で走らせる方が好きである」と、俺ーーー天野翔琉は断言した。
ペンは剣よりも強し、と言う言葉もあるので、肉体的な才能や強弱の枠に囚われる事の無い、”学力”を見につけていた方が、後々の社会的かつ自分の利益的に考えた時には利口だと、周りの大人達(彼の母は除く)はよく言っている。
そんな天野翔琉の将来の夢としては、【世界中誰もが知っているような博士になりたい】と言う風に、常々頭の中で思い描いているのだ。
というのも、そもそもそう思ったきっかけは、今から3年前の小学4年生の夏のこと。
日本の有名な科学者が世界の医学の常識を変えてしまうような薬の開発をして、ノーベル賞を取った、と言うことを知ってからである。
何でも、その科学者の開発した薬は全ての病気に対して有効である、いわば【万能薬】のようなものを作ったのである。
まさに人類の新たな飛躍に一役買った、と言えるだろう。
この科学者は今では、かのアインシュタイン博士と並ぶほど、有名な博士となっている。
俺はどうせなら生きている間に、世界に自分が生きていたという事を証明できる何かが欲しいと思っていた。
そのため、人類の新たな飛躍のために一役買えれば、自然と名声などはついてくると言うものである。
人類の飛躍+自分の生きた証、を一気に手に入れられる、まさに一石二鳥である。
そのため、俺は「早く大学に行って、専門知識をどんどん増やして、早く自分のしたい研究をしたい!」と周りに強く主張していた。
まずは夢の実現のために、余計な労力を省こうと考えたので、小学校5年生時点で中学生の勉強を、小学6年生時点で高校生の勉強すべてを終わらせている。
高校や大学に行ってから専門知識を勉強するという行動は、天野翔琉のこの後の人生においては無駄だと考えたからであるからだ。
俺にとっては「そんな事をする時間があるのなら、色々な実験をして、経験をより多く積んでおく方が重要である」と言う考えが強すぎたのだった。
そして現在中学1年生の時点で、俺は本来大学で習うはずの一般知識や専門知識の勉強をしている。
その傍ら、色々な実験をして経験を積むため、授業がある平日は基本的に学校の理科室にて日々実験を行っているのであった。
「そんな事をして、学校側は何も言わないのか?」と疑問に思う人もいると思うが、それは心配の及ぶところではないと言っておこう。
俺が所属しているクラスの担任の先生に、俺は自身の夢について語り、これまで行ってきた勉強の数々を見せたところ――「だったら、定期テストで全教科を常に満点を取るって条件をのんでくれるんなら、先生が何とかしてあげるよ」と献身的な事を提案してくれた。
本来ならば、法律とか国の規則とかで、こんなことを言ってはいけないのが教職者なのだが、今の時代には珍しく熱血でなんとも生徒思いの教師だったらしいのだ。
実際に職員会議で、その話を議題にあげてくれたらしく、校長先生・教頭先生・学年主任・そして全教員に、熱く熱弁すること3時間半―――公務員の職務時間を1時間オーバーしたところで、他の先生方が承諾したそうである。
そして、文部科学省等にも書類手続きを済ませた上での、認可された処置を行ったそうだ。
俺は先生の期待に応え、夢に近づくためにも、1学期の期末テストを全教科満点を取った。
この中学校では掲示板にテスト結果が貼り出されるらしいのだが、その全ての一番上の欄には【1位天野翔琉100点】と全教科分張られていたことは、記憶に新しいことである。
そしてら俺との約束通り先生方は、その処置を行ってくれた。
ちなみに天野翔琉はテストで、1教科でも満点じゃない教科があった場合はこの処置は解かれて、毎日卒業まできちんと授業に出るという約束があるのだ。
だが、そんな約束とは裏腹に、現在に至るまで翔琉は全教科満点を取っているので、処置続行中ーーーそのため、実験室にこもりっぱなしである。
義務教育と言うのがこの国の決まりなのだが、所詮義務教育というのは、親が子供に勉強を受けさせなければならない、というものであって、子供が強制的に勉強を受けなければならない、というものではないのだ。
先日、2学期の期末テストがあったらしいのだが、その結果は全教科満点であるので、約束はきちんと守っている。
こんな勉強、実験で毎日を過ごしている俺だが、意外にも友達は多く、小学校の頃からの付き合いの友達もいれば、中学に入って仲良くなった人もいるのだ。
たびたび、友人たちが翔琉の様子を見に理科室にきたり、期末テストの勉強を教わりに来ている。
何でも、先生に聞くより俺が教えた方が分かりやすいそうだ。
ところで、俺が何の実験をしているのかと言うと、万能薬のできた人類が、まだなしえていない、薬の開発をしている。
まあ、簡単に言ってしまえば太古の昔より、錬金術や陰陽道や魔術などで試みていたが未だに成功した事例の無い、空想上の産物――――不老不死の薬の開発だ。
馬鹿だとは思われたくないのだが、案外この研究は古くからおこなわれている。
金を持っている年寄りとか、目のくらんだ権力者とか――――世に言う、歳を重ねた老人に多い傾向がある。
このような事例を他にあげるのならば、若返りの薬なんかも、こういう方々には求められる至高の一品と言ったところだろう。
今のうちから研究を始めれば、まあ30年ほどで結果が出るだろう―――と思われる。まあ、全てが順調に行けばの話しだが。
とある日。
この日も、いつも通り俺は理科室に籠って実験をしていた。
右手にボールペン・左手にガラス棒、ガスバーナーの上には、液体の入ったビーカーと、いつもの光景だった。
ちなみに、俺の通う中学校の制服は学ランなのだが、学ランの上から白衣とか、カッコいいなと思う。
はい、単純にそれが言いたかっただけです。
今日行う実験は比較的簡単なものである。
というか、実験というよりかは、実験に使うための薬品を作っているというところだ。
次の実験のために用いる、緩衝溶液と言うものを作るために水に塩化ナトリウムを加えるだけなのである。
もっとわかりやすく言うのならば、「水に塩をいっぱい入れて食塩水を作る」と言えば小学生や、下手をすれば幼稚園児にも分かる説明になるかと思う。
なので、今日は比較的とても簡単な事だったし、薬品が出来たら明日以降に実験をする予定だったので、俺は薬品を作り終えて、あらかた勉強も一段落したら、昼休み辺りに、半年ぶりに教室に行って、授業を受けてみようと思っていた。
たまには、俺の方からクラスの方に顔を出すというのも、サプライズみたいでみんなの反応が楽しそうだな―――と言う風に、ややニヤつきながら、そんなことを考えながら、塩を水に溶かしていた。
現在、食塩水は濃度は20%ほどである。
次の実験の時に使う食塩水の濃度は、88%であるので、残りは68%だ。
食塩の入った袋から、薬さじを使って食塩を、サラサラっとビーカー内に入れていく。
そんな当たり前のような事をしているときに、突然事故は起きた。
事故――それは要因があって初めて成立できる単語なのであるが、残念ながら今の天野翔琉には現状的に、現在進行形で起きている事故の説明を出来るほど、専門知識を持ち合わせていなかった。
というか、専門家でさえも答えられるかどうか分からない事態が起きた。
「いったい今回起きた事故と言うのはいったい何なのか?」と聞かれたら、第三者に至るまで、きっとこう答えることになるだろう。
”理科室が突然爆発した”
一瞬光を放ったと思えば、突然衝撃波が起きて、窓ガラスは全て割れ、黒板は破壊され、ビーカーは粉々になり、そして俺は爆風と共に、室内から外へと投げ出された。
顔や白衣は爆風の際に生じたススによって、黒くなり、奇跡的に火傷も無く、ガラスの破片などによる切り傷なんかも見られなかったが、俺の腕や足に、感覚が無かった。
痛覚が遮断されているような気分であったが、それも束の間ーーー地面へと思い切りたたきつけられて、激痛が骨に響いた。
そしてその痛みに苦しみながら、俺の意識は遠退いていったのだった―――――。