最終盤
ピッピッピッ
時計は鳴り続ける。霧江の思いとは裏腹に、鳴ることを止めようとはしない。
「あーわかんねえ」霧江は苦しそうに左手で頭を押さえている。
際どい。持ち駒の歩の枚数すら関係してきそうで、佐藤は考えることを止めた。怖くなったのだ。
もし、詰んでしまったら、詰む順を見つけてしまったら、自分は平常心でいられるだろうか。もうここまで来たら、詰まないことを祈るしかない。霧江も五十九秒ギリギリまで考えている。こんな莫大な変化、一分で読み切れるわけがない。いくら強くたって、霧江はコンピューターじゃないんだ。人間なら絶対に間違えるはずだ。
佐藤は目を閉じた。
霧江は必死に必死に読む。だが、結論が出ない。
「くっそお! おい! 今スコアは?」頭を掻きむしり、声を荒げた。
東大の誰かが「3ー3」と伝える。それを聞いて霧江は上着を脱ぎ、左手で髪を鷲掴みした。そしてトントンと指を机で叩いて手を探す。佐藤も緊張で震えが止まらない。
霧江、詰まないのなら、早く投了してくれ。心からそう思った。
幹事室からぞろぞろと人がやってくる。山岡は「まだやってんのか」と後頭部に手を当てた。
詰みそうだ。神野は離れたところから局面を見つめる。
山岡も一瞬目を通したが、難しそうな局面であるとわかると、すぐに目を逸らした。
詰まそうとしてるのが霧江か、なら詰むかもしれねえ。奴が睨めば、詰まない将棋も詰むってな。
山岡は控室に向かった。
「これ、すごい将棋だな。まるで慶城と法名の最終戦を思い出すぜ」
古屋は隣にいた浅田に話しかけた。浅田はどこ吹く風といった顔で扇子を仰ぐ。
「浅田、お前はこれ詰んだのかよ?」
「うーん、少し気になる筋がありますが、詰むかどうか……」
「そんなん誰だって同じだろ」古屋は腹を叩く。
「結構危ないですよーこれ」
浅田はそう言うと、「例えばー」と前置きし、持ち駒の桂を指差した。
「……桂打って、すぐ捨てれば詰むんじゃないか」控室で誰かがそう言った。
この場には前田がいない。増本も黙り込んだままだ。そうなると――
「山岡さん!」
いつの間にいたのかと、下田が山岡の肩を揺する。
「いや、まだ読み切れて無いが――」
詰むんじゃないかと言った声の主は山岡だった。揺られながらも、真剣な眼差しである。
「そうかあ!」
増本が立ち上がった。
「これは詰んでます。もし、霧江さんにその筋を見つけられたら、もう終わりです!」
「おいおいちょっと待ってよ、僕らにもわかりやすいように解説しておくれ」
猿島が増本を座らせた。増本はすらすらと手順を並べてみせ、いとも鮮やかに佐藤玉を詰ましてしまった。「確かに」法名勢は青ざめた。
「すぐ捨てる順は見つからなかった。こりゃやばいな」
周りもうんうんと頷いている。
「向こうには誰がいる?」
奥村が全員を集合させようと立ち上がった。
「前田さんに、戸刈、清野、長崎、池谷がいませんね。あと、伊藤が記録係です」
倉富が素早く控室を見渡し、指で確認した。
「いよいよ大詰めだ。霧江がその筋に気付くかどうか」
「もーやだー!」下田が頭を抱えた。
「でも、増本さんがいても簡単に見つからなかったんですぞ! 霧江も一分将棋なら見つからないはずですぞ! まだ勝算があるはずですぞ!」
麻生の言葉は妙に現実味があり、法名は奮い立った。
「そうだ! 霧江だって人間だ!」
「見つけられるはずがない!」
俺は一目で見つけたけどな。山岡は言うに言えない。
「対局室に行くよみんな」
猿島が重い腰を上げて先導した。それに乗じて全員がドタドタと慌ただしく控室から出る。いよいよクライマックスだ。




