決戦直前
オーダー提出まで残り一分。高森は一つも提出されていない状況に腹を立てていた。
「いくら最終戦とはいえ、ここまで揃わないもんですかね! このままじゃA級全校にペナルティですよ!」
「それは早いぜ」
古屋が幹事室に入り、高森にオーダー表を渡した。どっこいしょと椅子に座り、机にもたれかかる。
「そろそろ他も来るんじゃないか。やっぱよ、最終戦ってどこも気合い入るもんだぜ?」
「古屋さん、私は副幹事長としてですね……」
「ほら来たよ」
東大、慶城、三ツ橋、中邦、米大の主将が入ってきた。続けて法名が入る。ここまでギリギリ間に合った。高森なら一秒の遅れも口うるさく注意しただろう。高森が腕時計をちらっと見ると、長い針が10のところにあった。
オーダー表が次々に手渡され、高森がせっせと対戦校同士に仕分ける。
「日東はまだですか?」
高森が腕時計を指差し、遅れたことをアピールした。
「ちょっとくらい待ってあげましょうよー。ねえ皆さん」
浅田が扇子を広げてカカカと笑った。
「浅田さんは心が広いですね」と雪本がにっこりと浅田を見る。
「だてに大らかな体型してないだろ」
前田が浅田の腹をさすると、笑いが起こった。
「ペナルティは許してあげましょうよ」
「ああ、最後なんだし」
森がペコペコと頭を下げると、霧江もそれに同調した。
「俺は宮本探しに行って来るよ」
古屋が幹事室から出たが、すぐに戻ってきた。
「来たぜ」
後ろ指で向けた先には、慌てて階段を駆け上っている宮本の姿があった。
「遅れてすいませーん!」
「救世主は見つかったのかい?」
古屋が声をかけると、宮本は息を切らしながら「ええ」と机に手をついた。
「よかった。正々堂々戦おうぜ。先に行ってるよ」
各大学の主将が続々と対局室に向かう。高森も慌てて対局室に駆け込んだ。
「えーそれでは最終ラウンドのほうを始めさせてもらいます」
オーダー発表の時間だ。最終戦のカードは東大―法名、慶城―中邦、日東―医科大、三ツ橋―米大。
東大は霧江を先頭に決勝の舞台へと歩みを進める。法名も前田が前に出た。
「お願いします」
「お願いします」
ギャラリーがわっと押し寄せ、オーダーを見守る。法名は落ち着かない。猿島と増本と清野が首を伸ばしてオーダーを覗き込み、戸刈、奥村、佐藤は対局室から退出した。
「どうですか長老さん」
増本は最前線に立っていた西川に問いかける。手を伸ばせば届く距離にいるのだが、ギャラリーが多く、これ以上前に進めない。
「うーん予想通りかな。増本君、君の相手はやっぱり清野だったよ」
「そうでしたか。全力を尽くします」
「先輩! どうかうちの弟を潰したってください!」
清野が興奮しているのか、増本の肩を揺すった。小柄な増本は見知らぬ人の肩にしがみつき、体制を保っている。
「うちの清野君は諸星だね。東大は外してきたつもりだろうけど、これも予想通りだ」
「諸星なら勝たな……」
アカン。なぜなら、諸星は東大の準レギュラークラスだからだ。この中で誰よりも楽な相手だろう。それでも、油断は禁物。勝負に絶対は無い。
「きちまったぜ……」
戸刈は理系組を招集した。ふーっと息を吐き、目を閉じる。その様子を見て、倉富が心配そうに声をかけた。
「大丈夫か?」
「ああ、結構しんどいぜ」
脂汗が出ている。戸刈は「お茶だ」と言い、斎藤を自販機へ向かわせた。
「先輩、ファイトです! 先輩は理系組の誇りです!」
川上が声を張り上げた。
「川上、お前は本当に良い奴だな」戸刈はうんうんと頷いた。漫画だったら涙を流していただろう。
「先輩なら勝てますよ」
今度はシャイアンだ。いつものトーンだったが、言っていることは普段と真逆である。戸刈は伸ばしかけた右手を引っ込め、照れ臭そうに「ふん」とだけ言った。
「先輩、お茶買ってきました! どれでも好きなの選んでください!」
斎藤が四本もペットボトルを抱えていた。それぞれ違う種類だったので、斎藤も自販機の前で迷ったのであろう。まさか全部買ってくるとは。
「しゃっ、全部貰うとするぜ」
「飲めるわけないのに……」
「シャイアーン!」やっぱり戸刈の右手が飛んだ。
いよいよこの時が来た。奥村は控室に入り、一人ノートパソコンを開いていた。
「データなら相居飛車に進むはずだ。横歩取りか、角換わりか……」
膨大なデータの中から、奥村は横歩取りと角換わりの戦型に絞って確認をしていた。なるべく序盤で差をつけるように、中盤までに追いつかれないように。何度もデータに目を通す。
「うっ」
手を口にあてる。まずい。吐きそうだ。
奥村は重圧に押し潰されそうになりながら、よろよろとトイレに向かった。
佐藤は覚悟していた。自分の相手はあの霧江だろうか。勝てるだろうか、いや……
佐藤は深呼吸して廊下に出た。心のどこかで、弱いことを思ってしまう。
――前田と霧江、こいつらの方が決勝にふさわしいだろ。俺じゃ役不足だ。
互いの主将同士が戦えば、チームも言い訳しないんじゃないか。前田なら、前田なら負けたってチームの誰もが納得する。
弱気になった佐藤は、ある一つの結論を出そうとしていた。
俺が負けても、霧江が相手ならしょうがないってなるのかな。それなら……
「おい」
佐藤は驚いて振り返った。少し目線を落としたところに神野がうつむいて立っていた。
なんだよこいつ……
「この前は悪かったよ。お前は強い。次の霧江戦、絶対に勝ってくれよ」
清野はくっと首を上げた。
「そんで、東大をやっつけてくれ!」
カッと見開き、力強い目で佐藤を見つめた。佐藤は表情を引き締める。何か言おうとしたが、心に鍵をかけた。変な気持ちになってしまいそうだったからだ。佐藤は冷静になり、黙って頷いた。
やはり俺の相手は霧江になったか……
「ん!」
神野が鋭い目つきのまま、口を尖らせ、照れ臭そうに拳を突き出した。
「ん!」
もう一度、今度はさらに大きな声で、突き出した。これは、そういうことか。
佐藤は拳を神野の拳にゴンとぶつけた。
たったそれだけだったが、神野は何も言わず、対局室へと向かった。佐藤は後ろ姿を見つめる。
厳しい顔つきになり、佐藤は後ろ姿に思いをぶつけた。
「ぜってえ勝つ」
程よい興奮状態の中、ゆっくりと対局室へ歩き出した。




