捜索とタイムリミット
「チームの危機と聞いたら来るしかないな」
「まるでヒーローだな」
古屋は最終戦のために山岡を呼んでいた。元々、来る気はなかったそうだが、古屋の気迫に押された。急いでバイクを飛ばし、電話をかけてからわずか三十分で駆けつけたのである。田島はそれならばいつも来てくれたらいいのにと思った。
「今日は騒がれてねえみたいだな」
山岡は大部屋の控室を覗いた。各大学、それどころではなかったようである。目の前を三ツ橋のレギュラーが通ったが、無反応だったのを見て逆に寂しくなった。
「で? 次の相手はどこよ? 慶城か?」
「日東だ。ちょいと元奨の子をかわいがってほしい」
田島がメモしてあった日東のオーダー表を見せ、「田井っていう元4級の人です」と指差す。
山岡は「4級かーそりゃ敵わねえなー」と笑ってみせた。もちろん冗談であることは織り込み済みである。
宮本は外にある校舎前のベンチで休息をとっていた。宮本の視線に広大な敷地と、噴水が映る。たまには男だらけのむさ苦しい環境を抜けて、外の風に当たるのもいいな。今日はよく晴れており、気温も快適だ。最終戦までまだ三十分もあるので、しばらくこのままこうしていよう。最終戦前にピリピリしてたんじゃ、チームどころか自分も勝てない。
前から学生の姿が見受けられる。そのまま図書館に入るのを見て、勉強熱心だなと感心した。ここにいるといろいろな人を見かける。
楽しそうに会話しているカップル。ちっ、まったく。
書類を脇に抱えているおじさん。あれは教授だろう。
犬を連れて散歩しているおばさん。ここは緑もあって良い環境だからね。
真っ白に髪を染めている学生。はは、やんちゃだな。
熱心に何か描いてる人もいるな。この時計台のことかな?
宮本はすっと後ろを向いて、大きな時計台を見上げた。
えっ? 真っ白の髪って!?
宮本は体をねじらせ、振り向いた。辺りをキョロキョロと見渡す。間違いない。神野だ。
「じ、神野! どこだよ! いるのか?」
慌てて立ち上がり、うろうろと歩いた。だが、どこにいったのかはわからない。あっちに行ってはまた戻り、こっちに行ってはまた戻る。その様子を見て犬がワンワンと吠える。
「こら、怪しい人に近づいちゃだめでしょ」と、おばさんが首のリールを引っ張った。
「神野! お前の力が必要なんだ! 来てくれー!」
噴水の手前で大きく叫んだ。返事は返って来ない。
宮本のケータイに着信が入った。神野かと一瞬期待したが、声の主は田井だった。
「宮本さん、やばいですよ! 医科大に山岡が現れました!」
「山岡!? 嘘だろ?」
「ほんとですよ! マジでやばいです! 早く来てください!」
まさか、恐れていた最大のケースが起こってしまったか。宮本は目の前が真っ暗になり、ケータイを落としてしまった。
「いよいよ東大戦ですかー」
開始まであと十分。達也は立ったり座ったりと、落ち着きがない。準レギュラー達も、そわそわしていた。そんな状況を見て、前田は口を開く。
「去年もやったあれやるか」
一年生達は目を向ける。前田の声に、事情を知っていそうな二年生以上は「やろう!」と頷いた。
「ここじゃ駄目ですか?」
「いや、やっぱりやるなら外がいい」
「やったー! 今年もやるわよー!」
下田が一年生達を外に出るよう促し、ドタバタと階段を駆け下りた。
「時間無いから早く動いてなー」と清野も誘導する。達也はあれというものがさっぱりわからなかった。
「先輩、何やるんですか?」
「それはやるまでのお楽しみよー」
下田は続けて「一番好きなんだ、これ」と言った。
「オーダー提出まで時間無いぞ!」
宮本は最後の決断を迫られていた。
やばい、山岡が出るってことは田井が潰される。古屋と阿部が当たるとなると、ここも分が悪い。そうなると四本取るのは至難の業だ。つまり取れるところが無くなる。やばい。もし負けて落ちてしまったら――
「神野はどこにいる!」
部員達が一瞬「え?」と固まった。宮本は事情を説明し、席を立ち上がった。
「この会場にいることは確かなんだ! どっかに隠れているぞ!」
日東は総出で会場内をしらみつぶしに探した。残された時間はあと十五分。
法名は米大の駐車場に集まっていた。前田が「円を作れ」と指示する。これで達也もようやくわかった。達也が隣にいた下田の肩を組む。
「肩は組まなくていいのよー円になるだけだから」
あ、そういうことではないのか。達也は肩から腕を離し、中央にいる前田を見た。
「一年生達は初めてだな。これは法名が正念場になった時に行う儀式なんだ。みんな、右手を握って俺に向けて突き出してくれ」
特撮ヒーローみたいなポーズだな、と達也は腕を伸ばす。全員が上げたのを見て、前田は円の中に入り、腕を伸ばした。
「今から『法名勝つぞ』と言うから、そしたら皆は『おー!』と叫んでくれ」
「体育会系みたいだな」とあちこちで声が上がった。達也は熱くなる。将棋でここまで気合いを入れるなんて思いもしなかった。全員の顔を見ると、笑顔で楽しそうだった。達也だけではなく、皆が熱くなっているであろう。ついに最終戦である。
「法名勝つぞ!」
「おー!」
いいなあ。
神野は車の陰に隠れて法名達を見ていた。
あっ、ついうっかり漏らしてしまったが、未練は無い。俺の居場所なんてないんだ。
またどこからか俺の名前が呼ばれた。うるさいうるさい。どうせ俺なんか……
神野は校舎とは反対側に向かって歩き出した。
将棋を辞めよう。そう誓った。
「あれ神野じゃん。帰るのかな」
下田が真っ先に気付いた。ぞろぞろと法名が校舎に戻る中、神野に気付いた数人は足を止めている。すると、清野から「ほら、もうそろそろで対局開始やから中に入りや」と促された。
「神野、帰っちゃうのか?」
達也はいてもたってもいられず、駆け出した。長崎が「やめときなって」と手を握り止めに入ったが、それを振り切り神野を追いかける。
「池谷君……」
長崎は追いかけることができなかった。達也が何をしたいのか、どうしてそうさせたのか、さっぱり理解できず、悲しい表情を浮かべる。右手にはまだ握った手の感触があった。左手でそっと包み込み、そのまま握りしめた。
「神野!」
うるさいな、どうせ日東の奴らだろ、絶対に振り向くもんか。
それでも段々足音が近づいてくる。まさか追いかけているのか? 急に怖くなった神野が歩く速度を上げた。だが、それも遅く、追手に腕を掴まれた。
「神野!」
誰だ? 神野は振り向く。
「あ、なんだよ池谷じゃないか」
「なんで帰るんだよ」
達也は真剣な眼差しで神野を見つめた。
「いや、だって」
「もう最終戦始まるよ! 知らないの? 日東は今ピンチなんだよ!」
その情報は麻生からの受け売りであったが。
「みんな待ってるよ。聞こえてたでしょ? 神野のことが――」
「なんでお前は俺を引き留めるんだよ!」
達也の声を遮り、神野は達也の手を払った。
言葉に詰まる達也を見て、神野は再び歩き出そうとした。すると、達也がか細い声で呟く。
「神野の将棋が好きだからじゃダメかな……?」
俺の将棋が好き?
神野は聞き間違いかと思い、立ち止まった。
「佐藤さんとの将棋、一方的にやっつけちゃったじゃん。佐藤さんってうちの中じゃ二番手の存在らしいんだよ。それなのに、あっという間に終わらせちゃって、ずいぶん強い奴がいるもんだなあって思ったんだ。なんかこう、神野がどこまで強いのか気になっちゃって」
「…………」
「これが最後でいいから、将棋指してくれよ! もっと神野の将棋が見たいんだよ!」
「しょうがねえな」神野が振り返った時、達也と目が合った。二人はふっと笑い合う。照れ臭くなって視線を外した時、信じられない光景が広がっていた。
「みんな?」
達也の後ろに日東のメンバーが全員揃っていたのである。達也も振り返って驚いた。神野は表情が暗くなり、うつむいて声を出せなかった。
なんで……なんで。
「お前の力が必要なんだ。誰もお前のことをやっかむ奴なんていない。な?」
宮本が切り出すと、次々に「もちろん」と声が上がった。
「お帰り、神野」
田井が迎え入れると、神野は田井の大きな胸に飛び込んだ。
「よしよし、じゃあ校舎まで行こうな」田井がポンポンと背中を叩いた。
感動的なシーンだなあ。達也は泣きそうになった。ところが。
「田井! 偉そうなんだよ!」
神野が首をつねって反撃した。こらこらと宮本が止めに入る。
「またこの光景が戻ってきたな」誰かがそう言うと日東勢は笑顔になった。達也が安心したように校舎に戻ると、グループから抜け出して阿部が声をかけてくれた。
「ありがと、法名もがんばれよ」
達也は頷くと、颯爽と校舎へ駆けて行った。




