悪夢の色紙
「いろんな色紙があるのね」
下田は壁に目を向けた。一面にプロ棋士の色紙が貼っており、まるで有名料理店のようである。古い名前もちらほら見かけ、部の歴史が感じられた。達也は壁の端にある黄色くなった色紙を見て思う。これが伝統なのだと。
「あの神棚に飾ってあるのは誰?」
佐伯がピッと指を差した先には、一際大きい色紙があった。可愛らしいイラストまで書いてある。五人達との距離は離れていたが、はっきりと大きな文字でメッセージがあった。
「うわあ、『東大の皆さん、頑張ってください!』だって」
「誰ですかな、そんなこと書いているプロは……」
姉貴だ……
達也は激しい頭痛に襲われたかのように、目頭を押さえた。またの登場である。ご丁寧にハートマークやイラストまで書いてあったので、一発でわかった。
「ちょっと見てみる?」
下田が近寄り、じっくりと観察した。やがて、色紙の左下にあった名前を見つけると、達也の予想通りの反応が待っていた。
「ちょっとちょっとちょっと!」
「誰ですか先輩?」
「佐伯! 来て来て!」
「なんすかもう~」
達也は頬杖をつくふりをして、右耳を強烈な力で塞いだ。
「うおおおお、沙織様だ!」
「沙織様よ!」
「すげー! 沙織様東大に来たんだ!」
「神棚に飾るなんて、東大もわかってるじゃな~い!」
二人がハイテンションになっているのを横目に、達也は長崎によちよちと近付いた。
「誰なの?」
達也はあえて質問をした。そうすれば変な疑いもされないだろうと思ったからである。
「あっ、知らないよね」長崎は笑顔を見せ、ケータイを取り出した。
「この人。女流棋士の一人なんだけど……」
長崎は連盟のサイトから女流棋士のページを見せた。女流1級の中に、沙織の名前がある。その名前を開いてしまうと、顔写真が出てくるのだろう。それだけは、それだけは止めてもらいたかった。
「池谷君と同じ名字よね。結構かわいいんだ~」
長崎はなんのためらいもなく、沙織のページを開いた。達也は画面を覗き込み、眉間に皺をよせる。
「ふーん」
あざとい笑顔に、薄化粧。しっかりとしたポニーテール。生活感溢れる服装と、覗き込めそうな谷間。貧乳なくせに、胸を必死に強調しようとしているのがまたむかつく。
「へえ~長崎さんはこの人のファンなの?」
「うん、まあ……」
長崎、お前もか。佐伯、下田と反応が違ったから期待したが、完全に裏切られた気分である。シーザーもこのような心境だったのだろうか。
「そんなにかわいいかな?」
「かわいいよ~!」
ボリュームが上がった。長崎の生き生きとした眼差しに、達也は下を向くしかない。
それにしても、ここまで姉弟関係とは気付かれないものだろうか。確かに身長や性格は全然違う。それでも、小学生まではそっくりだって近所でも有名だったし、実際、自分が女らしかったこともあって、姉貴との趣味や嗜好も似ていた。自分も女に生まれれば、こんな思いを出来たのだろう。そうすればモテただろうなあ。
「池谷君?」
長崎に声をかけられ、我に返った。
「池谷君も好きな棋士を見つけて、応援すると楽しいよ」
達也は「うん」と頷き、ケータイから目を離した。
「違う手だったね……」
王座は真っ向勝負を選んだ。こうなると一直線である。互いに一歩も引かず、どちらが先に攻め切れるかという展開になった。
銀林と和田は気まずそうに高山を見る。高山は真顔でケータイの画面を見ている。何かと思えばなんでもなかった。真っ黒な、何も映っていない画面だったのである。
「じゃあ、先生、どっちが勝つか、それだけお願いします!」
和田が最後のお願いという形で頭を下げた。
「これはもうわかります。中水さんです」
ほう、池谷さんが!
銀林は慌ててメモを取った。金星の見出しはどうしようか。こりゃ久しぶりに棋界も盛り上がるぞ。
高山は今度こそとばかりに胸を張る。
こう言っておけば大丈夫だろう。元々、この勝負は実力的に王座が勝つ可能性のほうが高いんだ。競馬で言えばガチガチの二倍。これならまず外れることはない。




