それぞれの飲み会
医科大と米大の対決は医科大が5ー2で勝ったため、これで米大の降級が濃厚となった。最終日初戦の法名との勝負に負ければ、その時点で降級である。
中邦と三ツ橋の対決は三ツ橋が勝った。これによって、三ツ橋は助かった。最終日の結果によっては、日東まで降級する目が残っている。
「東大が圧倒的ですな。五戦で34ー1ですぞ」
「医科大戦で古屋さんが勝ったみたいね。残りは全勝かー」
「日東も全敗だったんですか?」
「そうみたいだね。まさに無敵艦隊だよ」
「しかも、オーダーが固定されてるわけではないですし、誰が出ても満遍なく勝ってるってのが……」
祝勝会が終わり、麻生、伊藤、下田、橋本、佐伯の五人に混じり、達也は下田の家で二次会を行っていた。レギュラーはレギュラー同士で集まって飲んでいるらしい。理系組は理系組で飲んでいるようだ。戸刈もこちらにいるそうである。長崎は早々に帰ってしまった。
「最終日は盛り上がるわよ。東大との全勝決戦の可能性が残ってるんだから」
「でも勝てますか? 東大マジで化け物揃いですよ」
「そんなに恐れることかしら。橋本、強い人教えなさいよ」
「えーと、全員強いです」
ドッとなった。「そんなことわかってるわよ」と下田が叩く。
「まず、おそらく佐藤さんの相手になる、三年で主将の霧江氷介ですね。間違いなく、アマチュア最強です」
霧江という単語に達也が敏感に反応する。
「去年のアマプロ戦で、プロに二連勝してましたな」
「あのイケメンかーでも性格きつそうなのよねー」
「他には、四年の成瀬、木田、二年の森下、桐元、一年の清野、石井が主力でしょうか。全員奨励会の上位に食い込める実力です」
「全学年隙が無いわね。橋本もよく調べたじゃん」
「ソースはツイッターですよ」
橋本がはにかんだ笑顔を見せる。
「き、霧江って人さ」
ずっと黙っていた達也が声を上げた。
「やっぱり強いんだね」
「あの人、大学の大会はぬるいって言ってて、個人戦は出ないみたいっすよ。次元が違うっていうか……」
「その人には勝ってほしいです」
芯の通った口調でそう言った。達也のまっすぐな瞳に、周りはどう反応していいのかわからない。
「まあ、東大の話は置いといて、飲みましょー!」
下田がグーを突きだすと、伊藤と麻生が、本気で嫌がってこたつから出た。
「今日は飲まないって約束だろ!」
「そうですぞ!」
「今日は酔わないから平気よ。後輩も三人いるんだし。さっ、おこたに入って入って」
下田は紙コップを手際よく配ると、ウィスキーを取り出した。
「それじゃ、乾杯!」
橋本と佐伯は楽しそうに乾杯したが、二年の二人はファイティングポーズを取っている。
「暴れたら一年生を守るんですぞ、伊藤殿」
「うん」
達也も身の危険を察し、二人の後ろに隠れた。
「戸刈はこっちに呼ばなくてよかったのか?」
「そうじゃないと、理系の奴らが寂しいだろ」
前田は二次会にレギュラー達を集めた。場所は以前猿島に連れてってもらった、あの怪しい店である。なんだかんだで、前田も安さが気に入ったようだ。今日も店内は怪しい客層で埋め尽くされている。
「次は米大、東大とだ。ここでオーダーを最終チェックしようと思う」
前田は法名のオーダー表と東大のオーダー表を広げた。
「全部で東大は一敗しかしてないんですか」
「強い」
「強いな」
チーム成績が勝率九割超え。レギュラー陣からため息が漏れると、会話が止まった。東大の圧倒的な成績に比べ、法名は4ー3勝ちが二回と、決して楽な道程ではなかった。チームの全勝者は増本のみで、全局出場した中では、誰もが一敗を喫している。うまく星が噛み合い、全員の力でここまで勝ち進むことができた。
「もうここまで来たら、相手がどうなろうと関係ないね」
猿島が追加のワインを注ぐ。それを見て増本がちゃっかりグラスを寄せた。
「長老さんもワイン飲みますね」
「君ほどじゃないよ、一番お酒強いくせに」
前田は猿島の言葉通り、ここまで来たら成績は関係ないと考えていた。だが、主将として、無責任なことは口走れない。
「東大は誰が出てくるんでしょうね」
「東大は、負けた者に対しては懲罰として、以降対局ができないようになっている。現に森下は古屋に負けてから出場していない」
「森下がアウトとなると、諸星辺りか?」
「日東戦に出場していた早川やないですか?」
「早川なら取れる可能性高いな。順当に当たるとしたら戸刈か」
「戸刈君、頑張ってほしいねえ。彼結構負けてるからねえ」
「猿島さんは大丈夫ですか? 相手は木田ですけど」
「木田君は振り飛車党だよね。左玉で挑むとしようかな」
「長老らしいですね」
「しぶとく頑張るとするよ」
そう言うと猿島はグラスのワインを飲み干し、ボトルに手を伸ばしたが、増本が先に全部注いでしまっていた。空のボトルを差し出し、申し訳なさそうに笑う。
「佐藤は霧江だな」
「ああ……」
佐藤は間を空けると、神妙な面持ちで続けた。
「正直、勝てるとは思っていない。俺を攻め潰した神野でさえ、霧江の前には歯が立たなかったんだ。一応頑張ってみるけどな」
「自信を持て、佐藤」
「なんか頼む?」
神妙な空気を切り裂くかのように、猿島がメニューを中心に置いた。増本が日本酒を注文した以外は、皆、酒を飲む気になれなかった。
「今日は飲むしかねーよお前ら!」
新宿にあるチェーン店の居酒屋に、戸刈率いる理系組がいた。
「一次会で散々飲んだじゃないですか」
そう言いつつも、川上の手にはメニューが握られていた。倉富がすかさず店員にビールを頼む。
「倉富、どうせなら全員分頼めよ!」
「すいません! ビール五つお願いします!」
頼み終わると、戸刈が居直って口を開いた。
「さて、お前ら、今日は俺の活躍もあって、法名が三連勝だった」
小さく拍手が起こると、戸刈は鼻を伸ばし、胸を張った。
「東大戦はどうっすか?」
「おう、誰が来ても俺の振り穴でイチコロよ」
戸刈は基本的に誰が相手でも飛車を振り、一目散に穴熊に囲う。固さを武器に、後はひたすら攻めるのみである。しかし攻めが不発すると、簡単に負けてしまうのが難点だった。その安定感の無さが、前田には評価されていないようで、今回は負けてもあまり責められていない。
「慶城に先輩が負けた時はどうなるかと思いました」
「ああ、関田との将棋か。あれは得意の無茶苦茶攻めができなかったのが痛かった。勝てる気でいたんだけどな」
戸刈は慶城の事前予想など、何も知らない。
「どこの大学も俺にビビっているのがわかるぜ。三ツ橋の奴なんかしきりに席を立つんだ。何回トイレ行ってるんだって笑っちまったわ。それにな」
戸刈の会話を遮るように、店員が手をぐっと伸ばし、ジョッキをテーブルに置いた。
「じゃあビールも来たことですし、飲みますか!」
「日東の奴なんか」
「かんぱーい!」
戸刈の声は乾杯の声にかき消されてしまった。戸刈もしゅんとしてジョッキを突き合う。さっきは調子に乗ってビール全員分なんて言ってしまったが、一次会で散々飲んだのである。正直飽きてしまっており、中身がなかなか減らないでいた。
「先輩、ぺース落ちてますよ」
シャイアンがジョッキを口にしながら得意げに戸刈を見た。口元はジョッキに隠れて見えないが、間違いなく笑っている顔だ。そう感じた戸刈は「んなわけないだろ」とジョッキを口に思いっきり傾けた。ゴクゴクと飲んでいたが、すぐに口を離すと、倉富がブホッと噴き出した。飲んだ量はヤクルトのサイズほどだった。
「まあ、米大には勝つとして、問題は東大よ。でも簡単だ。俺と前田さん、増本さん、佐藤さんが勝てば終わりなんだから」
「すごい皮算用っすね」
「東大はそんな簡単に勝てない……」
「シャイアーン!」
戸刈が頭を掴む。
「戸刈さんなら勝てます」
「よろしい」
手を離すと、再びジョッキに手を伸ばした。どうせそんなに飲めないのに、と心の中でシャイアンが毒づく。その後も理系組はいろいろなフォーメーションを組み立て、東大戦に向けて話し込んだ。戸刈もチームの勝利が嬉しかったのか、良い酔いっぷりだった。




