勝ちたい気持ち
法名―慶城はなかなか決着がつかないでいた。前田が勝った以外はどれも難解な形勢となっており、ギャラリーも断トツで多い。
「前田、チームはどうよ」
古屋は難解であることを知っていながら、あえて前田に尋ねた。
「4―3か、3―4でしょうね」
「こんなに競った対決見たことないぜ。清野は苦しかったけど、なんだかんだで持ち直した。お前のアドバンテージ、でかいかもしれないぜ」
既に法名は前田が一勝を挙げているため、現状は法名有利。慶城は浅田の失速が痛い。そんな考察をしてくれた。
ギャラリーは終わりそうな将棋は注目しない。この中では大将戦が最も少なかった。
――やっちまったな。
戸刈は得意の無茶苦茶攻めができずに押さえ込まれていた。自陣の穴熊はしっかり残っているものの、攻め駒不足に陥り、手が出せないでいたのだ。中邦戦の悪夢が蘇る。あの時はチームに救われたが、今回は前田以外終局していない。いつも早く終わる清野が終わっていないことが、より不安にさせた。チームの戦況を知りたいが、秒読みに入っており、そんな余裕はない。
戸刈は相手玉から遠く離れた敵陣に、ポンと歩を置いた。次に成ってと金にする狙いである。相手は扇子をバタバタと仰ぐ。ペットボトルのお茶を飲み、急いでキャップを閉める。額の汗をハンカチでポンポンと拭いて眼鏡を取り、もう一度掛け直してお茶を飲み干すと、自信に充ち溢れた手つきで歩成りを防いだ。
――うぜえ。
正直、受ける必要の無い手で、攻めてしまえば容易に勝ちである。だが、絶対に負けないと宣言したような手で、野球なら、10点差の最終回でクローザーを投入するようなものだ。
慎重だな、この俺がそんなに怖いか、と戸刈は死んだような目で相手を見た。そのまま盤上を見渡す。もう手段が無い。指そうと思えば指せたが、それは勝ち味のない無意味な手であり、戸刈のプライドが許さなかった。しばらくして、戸刈は静かに投了した。
それを見た慶城サイドが沸いた。法名の応援団は心配そうに増本の局面を見る。
――苦しいけど、まだチャンスはありますね。
形勢はやや悪い。増本は得意の終盤勝負にする前の時点で、相手に食いつきを許してしまった。前日に戸刈と指した将棋と同じ展開である。増本は既に秒読みだったが、相手はまだ三分ほど時間を残していた。時間が残っていることは大きいもので、予想だにしなかった手が飛んできても、軌道修正ができる。終盤なら、なおさら大きい。
増本は時間ギリギリまで逆転の道筋を探した。
▲6一竜△8二玉▲7二金△9三玉、却下。▲6一竜△8二玉▲7三銀△同桂▲8一金△9三玉、これも却下。▲3二竜、▲6三金、却下。攻めはダメだ。▲4八金△同馬▲3八金、△同馬か? △3七銀か? △5七銀? いや、受けに回る? 金は渡したくない。まずい。見つからない――
五十九秒ギリギリで指した手は、読みに無かった▲3七竜。攻めに使うはずの竜を自陣に戻したのだ。とっさに指した手だったが、相手も読みになかったのか、時間を使う。これを見て少し増本も安心した。
――本能がこれを指させましたか。
増本は大きく息を吐いた。
「増本の竜引きはうまい手だな」
「いやー思いつかなかったです。あれは相手もパニックになりますよ」
古屋が田島と離れたところで観戦していた。
「田島!」
誰かから声をかけられ、二人はキョロキョロと見渡す。
「俺だよ覚えてる? 高校選手権で一緒だった――」
「ああ、鳥取代表の島与!」
「知り合いなのか?」
古屋がきょとんとしている。島与って中邦だよな。それくらいしか知らない。
「田島は青森代表だったよな。どう? 成績は?」
「四勝一敗だよ」
「すげえ!」
「こいつはうちのエースだからよ!」
古屋がバンバンと肩を叩いた。
「そんなことないですよ。島与は出てないっぽいけど、どうしたの?」
「チーム事情でね」
島与は明るく笑った。
「なんだ、それより法名と慶城どっちが勝つと思う?」
「慶城かな。浅田さんが再び良くなったし」
「僕は法名だね。佐藤さんが勝ちそうだもん」
島与と田島の考察に、古屋は腕を組んで天井を見上げた。
「ここまで来たら、勝ちたいっていう気持ちが強いほうが勝つのよ」




