猿島邸のバトル
「やあやあ、来てくれたね」
前田、佐藤、増本、奥村、清野、戸刈の六人は、南千住から少し歩いたところにある、猿島邸へと足を運んでいた。時刻は午後九時になろうとしており、酔い潰れているサラリーマンの姿が見受けられる。
「なにも大会前日にレギュラー会をしなくてもいいでしょう」
佐藤が嫌そうな声を上げ、猿島を見た。心なしか、増本以外は同調しているように見える。
「増本君が来てくれるのが今日しかなかったんだから、いいじゃない」
「長老さんの家は久しぶりですね」
そんなことを言いつつも、増本はしっかりマスクをしていた。
戸刈と清野が小声で囁く。
「清野、長老のアパートに入ったことあるか?」
「そりゃあるで。何も先輩達から聞かされてなかったから、えらい目にあったわ」
「マジかよ。俺入ったことねーんだよ。なんでみんな警戒してるんだ?」
「それはな、長老の特徴に秘密があるで」
戸刈は空を見上げた。
…………
「臭い」
二人の声が重なった。
「着いたね」
猿島のアパートは想像通りボロく、安そうな造りだった。あちこちにスプレーで落書きされた箇所があり、西川の隣の部屋のポストには、新聞が溢れんばかり入っている。
「じゃあちょっと待っててね」
猿島がドアを開けると、ただならぬ異臭が六人を襲った。佐藤は咳込み、戸刈はその場にへたり込む。マスクをしていた前田、奥村、清野、増本は黙って一点を見つめている。
「まあ上がってよ。うちの秋田の実家からお酒が届いてね、今夜はこいつで乾杯しようかなと思ってるんだ」
そそくさと猿島が先に部屋に入り込んだ。六人は顔を見合わせて、誰が先に入るかを決めるための話し合いをした。こればっかりはよほど嫌なのか、皆理性を捨てており、なかなか決まらない。
「どうしたの? 早く入っておいでよー」
ドアの向こう側から猿島の声が聞こえる。そんなことは関係ないとばかりに、玄関前では輪になって熾烈な争いが繰り広げられていた。
「先入ってくださいよ奥村さん」
「お断りだ。誰か一人が入ったら、お前らはそいつを置いて逃げるんだろう」
「そんな薄情なことはしないですよ~」
「増本が一番しそうなくせに」
「意外に腹黒いからなこいつは」
「主将さん! そんなことはないですよ!」
「よし、じゃんけんだ。じゃんけんで負けたら中に入るんだ」
前田が拳を輪の中心に差し出した。
「一回勝負じゃ不公平っすよ」
「せやな、三回負けたら入るってことにしましょう」
「いや、この大勝負にじゃんけんじゃ荷が重いだろ。オセロにしないか?」
「佐藤さん、得意だからってそれは許しませんよ」
「佐藤の言うことも一理ある。じゃんけんはやめよう。どうだ、ここは公平に山手線ゲームにしないか?」
奥村の提案にその場は「おお~っ」と盛り上がったが、前田だけは無言で目を閉じ、腕を組んでいる。五人が前田の機嫌を窺うように、じっと顔を向けた。
「……お題はなんだ」その場がぱあっと明るくなった。
「おっ、主将もやる気満々やないですか!」
「それでこそ主将っす!」
「世界の国々なんてどうだろう」
「車のメーカーは?」
「アニソンなんてどうですか?」
「却下」
ここは増本以外の全員の声が揃った。
「どうしたの? あれ? いるよね?」
猿島がドアを開けようとしたので、慌てて前田が体を投げ出し、開けさせないようにした。満員電車で後ろから駅員が押しているのと同じ光景だ。後ろから五人も応戦する。
「ちょっと待っててください。いろいろとありまして」
「酒とつまみの用意しとくからね」
猿島が玄関から離れていったのを確認すると、前田がドアから離れた。
「ドアまで変な臭いするぞ」
「マジッすか」
前田が服を嗅いだ。少し間が空いて、佐藤が口を開く。
「つまみって、前にも出てきたあの黒いピーマン炒めか?」
「あの腐ってそうな佃煮かもしれんぞ」
「僕が行った時は、真っ黒なじゃがいもが出てきましたよ」
「じゃがいも単体で?」
五人がすぐさま反応した。去年、増本を嵌めた時に出されたものらしい。
「焼くとおいしくなるって言われたんですが、長老さんが焦がしちゃったみたいで」
「食べたんすか?」
「ええ、中身は白かったですよ」
「いや、問題は味だろ……」
「まずそうや……」
「あの臭い部屋じゃ、どんなもの食べてもまずいだろ」
「佐藤さんも言いますね~」
「とにかく山手線ゲームのお題の続きだ」
明日が大会だというのに、時刻は夜の九時半。皆も初日の連勝があったおかげで、心のどこかで安心したものがあったのだろう。アパートのドアの前で騒ぐ学生六人は、酔っ払いの目から見ても、異質なものであった。
世界の国々、車のメーカー、アニソン、素数、将棋の戦法、プロ野球選手。
結局、山手線ゲームのお題が決まらず、前田の提案でじゃんけんで決めることになった。
「いくぞ、じゃーんけーん……」
「ちょっと待ってください! 『最初はグー』が無いやないですか!」
「そういえば無かったな」
「主将、それはペナルティもんじゃないっすか?」
「ああ、責任取って前田が入るべきだ」
「お前らどんだけ嫌なんだ」
前田が呆れたような目で増本以外の四人を見た。
「皆さん、落ち着いてください。主将さんだってあの魔境に入るのは嫌なんですよ?」
「増本、フォローはありがたいが、先輩の家を魔境って言うな」
「さらっと増本さんも毒舌っすよね」
「じゃあ仕切り直しってことで、最初はグー、じゃーんけーん」




