表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
関東大学将棋物語  作者: るかわ
4/92

第一歩

 翌朝、沙織は既に家を出ていた。なんでも、将棋の関係者同士で行う研究会らしい。まったく都合の悪いものだと、達也は目をこする。今日は二限から授業が始まるので、多少時間があった。もう一度コンピューターに挑戦しようと思ったが、沙織が居ないとわかると、やる気が薄れてしまった。

 リビングで朝食のパンをほおばりながら、妄想を繰り広げる。取材されたら、どうコメントしようか。天才少年と書かれるだろうか。いや、少年じゃないぞ。もう大学生なんだ。新聞にも載るかもしれない。ともかくニュースにはなるだろうな……

 もう頭の中は興奮状態であった。あれこれ考えているうちに、あっという間に出発の時間が来てしまった。登紀子は寝ころんで、韓流スターの出演しているテレビ番組をニヤつきながら見ている。こんな身近にスターがいるというのに、とほくそ笑みながら達也は家を出た。



 達也の通う法名(ほうめい)大学は、新宿から電車で十分ほどの都心に位置する。有名私立大学の一角であり、そのブランド力から男女共に人気が高い。最寄りの駅前にはカップルがたくさんおり、法名に入るとチャラくなるという言い伝えが存在するほどだ。

 今日も今日とて、キャンパス内のラウンジでは、ひと組を除いてカップルで埋め尽くされている。

「いるわけないだろそんなもん」

 缶コーヒーをぐいっと飲み干し、ごみ箱へ放り投げたのが、達也のクラスメイトである市川(いちかわ)だ。

「彼女なんて、高校時代に一回作ったことあるけど、女ってめんどくせーだけだぞ」

「一回あるんだ……その時点で僕より上だよ」

 達也はオレンジジュースを飲みながら、下を向く。

「マジかよ、モテそうだけどなお前。なんていうかこう……」

童顔(どうがん)でしょ」

「そう、それだ」

「気にしてるんだからやめてよ」

「お前が言ったんじゃないか」

 達也は一度も彼女ができたことがない。告白されたことはあるが、すべて断ってきた。自分の好きになった人にしか目に入らないタイプで、好きになっても告白できずに、決まって誰かに取られていた。そんな自分がとにかく情けなかった。大学受験で法名を選んだのも、そんな自分を脱却したかったからである。ここに来れば自分は変わるのではないかと。だが、入学して十数日、また同じような日々が待っていそうである。

「クラスの瀬川(せがわ)加藤(かとう)、もう付き合ってるらしいぜ」

 市川がつまらなそうに椅子(いす)にもたれかかる。

「えっ瀬川さんもう彼氏できたの?」

 達也はパッと顔を上げた。

「ああ、かわいかったよな。でも女なんてそんなもんだよ。大学なんて、みんな彼氏や彼女をゲットするために入っているんだ」

 達也が再び下を向く。正直瀬川さんは狙っていたし、市川の言っていることが図星(ずぼし)だったからだ。

「大学の意味が無いよな」

 そうだ。大学はナンパをするところではない。そんなことはわかっていたが、煩悩(ぼんのう)がどうしても拭いきれなかった。いや、自分は本当になんのために大学に通っているのだろう。

「俺、司法(しほう)書士(しょし)目指そうと思ってるんだ」

「司法書士?」達也は目を丸くした。

「ああ。ちょっと難しいけど、何か目的を持って大学生活を過ごしたいんだ。俺らここを卒業したらもう就職だぜ。自分の好きなことをできるのって今しかないからな」

 達也に大きな衝撃が走った。まるで雷にでも打たれたような感覚である。

「もう授業始まるぞ」

 市川が立ち上がった。それに続けて達也も立ち上がる。気のせいか、ずいぶんと腰が重い。せっかく用意してきた自慢話も、なんだか話す気になれなかった。



 それにしても授業は退屈だ。特に興味があるわけでもない内容を、淡々と聞いているだけである。もう少し慎重に学部を選べばよかった。とにかく法名に入ることだけを考えており、入った後のことを全く考えていなかったのだ。今日もお経のように教授から法律の話が流れる。

「疲れた」

 達也が机に突っ伏す。頭の中は昨夜の激闘のことで埋め尽くされていた。そのうち教授の声も耳に入らなくなった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


金「達也殿! 自陣はまもなく飛車(ひしゃ)(ぎん)の奇襲によって左辺が崩壊寸前です!」

達也「それは本当か(きん)よ?」

金「はい! 予想以上に敵の攻めのスピードが速いです!」

達也「ええい、こちらの飛車はなにをやっているのだ!」

金「それが……相手軍の金銀の壁が厚く、苦しんでいます。突破するにはもう少々かかるかと」

達也「くっ、(かく)はどうした! どこに隠れておる!」

銀「達也殿! 角は自陣の()が邪魔で動けません!」

達也「馬鹿者! 早く道を開けるのだ!」

金「おい歩! 道を開けるんだ!」

歩「金様! 今開けたら私は敵の銀に取られてしまいます!」

金「そんなもん知るか! 達也殿がお怒りなんだ!」

歩「ちょっと待っ、ぎゃあああ開けないでください! あうっ」

「馬鹿か敵は。まさかただで歩が取れるとはな。やはりこちらの棒銀(ぼうぎん)戦法は優秀である!」

金「達也殿! かえって相手の攻めが速くなりましたが!」

達也「知らん知らん! 早く右辺に逃げ込め! 穴熊(あなぐま)戦法じゃー!」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「なんだ今の夢は……」

 隣に座っている市川もいつの間にか眠っていた。ふと周りを見渡してみたが、寝ている者が大半だった。あれだけ熱弁をふるっていた市川も、こんなもんである。やはり大学というのは、勉強ではなくチャラチャラと遊ぶためにあるのではないか。自分もなにか打ち込めるものを見つけたい―― 

 達也の心は決まっていた。自分には将棋の才能がある。それならこの世界で大暴れして、最強のプロになってやろうじゃないか。僕はコンピューターに勝てるのだぞ、と。

 達也は少し前に(もら)ったサークル活動のパンフレットを、鞄から取り出した。授業ももうすぐ終わろうとしていたが、居ても経っても居られず、教室を飛び出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ