勉強とメール
初日を連勝で終えたのは法名と東大。特に東大は、二戦の合計スコアが14ー0と、圧倒的な実力をいかんなく発揮していた。
次の日、池谷家の夕食の時間ではいつもと変わらぬ風景に、ちょっとした会話のネタが生まれていた。
「昨日大会だったんでしょ」
沙織が達也に向けて声をかけたが、頭の中が将棋でいっぱいだった達也は、どこ吹く風である。達也はあの日、ほんの少し観戦しただけで、一気に将棋を指したい気持ちが湧いてきていた。あの緊張した舞台を、今度は自分が出場することによって味わってみたい。
「大会どうだったのさ」
ぼーっとしている達也を見て、今度はボリュームを上げた。
「僕出てないよ」
「そんなことはわかってるわよ。大会の雰囲気はどうだったかって聞いてるの」
「すごかった」
ぶっきらぼうに答えるもんだから、沙織はつまらなそうに茶碗に手を伸ばした。
「法名は将棋強いの?」
今度は登紀子が皿を洗いながら聞いてきた。
「強いけど、東大のほうが上なんだって」
「あっ、知ってるわよ。東大将棋部が社会人の最強チームを破ったんですってね。ちょっと前に新聞に書いてあったわ」
「そうね、今一番強い団体チームといっても過言ではないわ。私も東大将棋部の合宿で勉強してたもん」
「姉貴、東大に勝てるの?」
「トップの人には勝てないわ。正直、アマチュアにいるのが惜しいくらいの化け物揃いよ」
「へー」
先輩達は勝てるのだろうかと、余計な心配をしてしまったが、医科大戦に勝った後の笑顔を思い出すと、なんだか勝てる気がした。あの時の感動はまだ色褪せない。同じ大学として、ここまで応援したくなったのは初めてだった。
達也は手早く食事を済ませると、階段を上がり、部屋に戻ってパソコンの前に座った。お気に入りに登録しておいた24にログインすると、早速全国の知らない人へ、対局を申し込む。
「僕も強くなったら、あの場に立てるかな」
大会初日が終わってからの達也は将棋漬けの毎日だった。大学に行けば部室に直行し、家に帰ったら24と棋書を読む。沙織から貰った本は何度も読み返したので、奥村から初心者向けの別な本を貰った。受けに関する手筋をまとめたもので、全てが新鮮だった達也は、スポンジのように知識を吸収していった。その代わり、授業での集中力が相当落ちてしまう。毎日深夜まで将棋を指していたので、必修の授業でも寝てしまうことがしばしばあった。
「明日は詰将棋の本買ってみようかな」
今日の達也はやけに独り言が多かった。
また一人、プロ棋士がコンピューターに負けた。そんなニュースを耳にしたのは大会が終わってすぐのことであった。達也はもう驚かないでいた。ずいぶん将棋界のことがわかってきたようで、それまでのコンピューターの成長ぶりをネットで知ることができたからである。
「いやー二〇〇七年に竜王と戦った時から、僕はコンピューターが来ると思ってたねー。竜王もギリギリだったもん。あれでコンピューターが棋士を抜くのはすぐのことだって思ったよー」
今ではこんなセリフも言えるようになった。といっても、対人には決して言えることではない。達也の目の前には、ネズミのキャラクターのぬいぐるみが置いてあった。
「まあコンピューターって人間と違って終盤間違えないもんねー強いんだもんねー」
わしゃわしゃとぬいぐるみの頭を撫でる。すると、ぬいぐるみはコテンと倒れた。
達也は欲しかった詰将棋の本を買って、テンションが上がっていたようである。鞄の中からガサゴソとその本を取り出すと、第一問をめくった。やっぱり解けてしまう自分が嬉しくてたまらない。時刻は夜の十一時だったが、たまらずメールを送ることにした。
「長崎さん起きてるかな~」
長崎の勧めてくれた一手詰めの本はとても良かった。どうしてもこれだけは報告したかったのである。
<一手詰めの本買ったよ!>
すると、次の問題を考えているうちにスマホが振動した。もう返信が来たようである。
<やったね! 私も詰将棋勉強してるよ!>
「やったよー」と言って達也はページをめくった。どう返信しようか迷っていたが、ページをめくっているうちに止まらなくなり、いつの間にかすーっと眠ってしまった。
翌朝にまたメールを返して、長崎もすぐに返信する。達也は数時間ごとに、長崎は速攻で返信するサイクルで、なんだかんだメールのやり取りは続いていった。




