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関東大学将棋物語  作者: るかわ
37/92

3-3と入玉


“法名は奥村、佐藤、猿島勝ちで三勝を挙げています”

“清野、長崎負けで大将戦と四将戦が残っています”

 橋本は事あるごとにツイッターに書き込んでいた。まるで実況をしているかのようである。マメに大会の様子を書き込んでくれるので、橋本のフォロワーは多い。

 感想戦を終えた長崎が、苦しいと噂されていた前田の対局を見守っていた。前田が負けそうとあって、ギャラリーの数がとても多く、背の小さい長崎は、必死に背伸びをして覗き込まなければ、盤面が把握できなかった。背伸びしては足を着き、背伸びしては足を着く。

 田島がその様子を見て顔を赤らめた。

 なんてかわいいんだ。これはもう殺人的なかわいさだ。長崎さん、大学に入ってからそんなテクニックまで身につけたのか。ああ、もう声をかけてしまおうか、いや、向こうは自分のことを覚えてないだろう。それに、今はそれどころの状況ではないんだ。チームの勝ちが(かか)っているんだ。

 田島は声をかけたい衝動をぐっとこらえて、大将戦を観戦しに行った。


 大将戦は戸刈が時間を使って粘っていた。穴熊は完全に崩壊しており、戸刈の玉はひたすら逃げ回っている。途中で逃げ道を防ぐような挟撃(きょうげき)体制をしていれば、いくばくもなく投了していただろうが、相手の迫り方が何やらおかしい。次第に戸刈の玉は上へ逃げ込むようになり、相手陣に侵入する「(にゅう)(ぎょく)」できそうな希望が見えてきた。

――相手はずいぶん寄せが下手くそだな。このまま逃げ切れば入玉だ。落ち着け、俺。

 とうとう相手からもため息が漏れてきた。事態を察したのか、ギャラリーが大将戦にも集まってきた。

「戸刈君が盛り返したんじゃないかな」

 猿島が一緒に観戦していた佐藤に声をかけた。前田はそろそろ投了する。そうなれば、3―3となって戸刈に全て(たく)されることになる。佐藤は気が気でないようなそぶりを見せつつも、控室に戻った。猿島はそのまま戸刈の対局相手の後ろに陣取(じんど)る。

「奥村、戸刈が盛り返したらしい」

 佐藤の言葉に控室は驚きの声を上げた。

「本当か、あの必敗形からよく息を吹き返したな」

「戸刈を信じるしかないで」

「本当に一番心臓に悪いとこが残ったもんだよ。もう俺らは祈るしかない」

 佐藤が両手を握りしめると、ギュッと目をつぶった。



「負けました」

 前田が投了した。団体戦の負けはいつ以来だろうか、ギャラリーが騒然となった。前田は辛い表情を見せることなく、感想戦を始める。山岡も勝ったとはいえ渋い表情だった。自分のことよりチームの勝ちが何よりも大事。そういう気持ちだった山岡は、大将戦をちらっと見た後、気持ち半分で感想戦に再び向き合った。山岡は正直ホッとしていた。これで古屋に合わせる顔ができたからである。

あのギャラリーの数を見る限り、3―3だろう。とにかく俺の仕事は果たした。前田も強くなってたじゃねーか。次は小細工せずに、正々堂々と勝負したかったな。

「山岡、おつ」

 古屋が山岡の肩を叩いた。古屋も快勝だったようで、長島に粘る気も起こさせないほど冷酷な手を積み重ね、手段が無くなった長島は、たまらず投了してしまった。島与の場合と違って、こちらは同情せざるを得ない差がついていたのだ。

「古屋も勝ったか」

「ああ、でも、チームはどうなるかなー」

 古屋は両手を後頭部にあて、ふらっとその場から去った。

おっかなくて見てられないや。背中がそう言っていた。前田も平然と盤上に向き合っていたが、内心気が気でない。



――なんだこのギャラリーの数は!

 戸刈は辺りを見渡す。戸刈の玉はついに入玉を果たしていた。そうなると周りを見る余裕が出てしまい、戸刈の頭の中で、あらぬ考えがよぎった。

――こんだけ注目されたことなんて今まで無かったな。長老がめちゃめちゃ目立つが、ギャラリーのほとんどが、法名と医科大じゃねえか。もしかして3ー3なのか? これで俺が勝ったらチームの勝ちなのか?

 戸刈の指し手が早くなる。

――そうすれば俺はチームを救った英雄として、未来(みらい)永劫(えいごう)(あが)められることになるだろう。他大からも警戒されること間違い無しだ。序列も変更されて俺が二番手辺りに来るかもな。そうなったらやべえぞ。来年、俺はチームのエースになるんだからな。よっしゃ、なんて俺の未来は明るいんだ。川上、よく見とけよ、これがレギュラーだ!

 戸刈が自信満々に指した手は、相手玉に詰めろをかけたものだった。次に相手玉を詰ますという手だが、その手が指された瞬間、ギャラリーは凍った。次に詰ます前に、戸刈の玉に、先に詰めろがかかっていたからである。戸刈は気付いていない。猿島は大きく息を吐いた。ギャラリーが数人その場から去ったが、法名勢は動くに動けなかった。



「池谷君センスあるよ。初心者なのに良い手を指してる」

 対局室の事態なんていざ知らず、達也は佐藤と将棋を指してもらっていた。昨日沙織から教えてもらった、あの石田流に組んでからの攻め方を実践(じっせん)し、勢いよく攻め込んでいる。相手が同じ棋力の人間だったら勝っていただろう。ただ、やはりレギュラーは強い。佐藤は気持ちよく達也に攻めさせた後、ちょっと反撃してコロッと負かしてしまった。

「受けの力を身に付けたらより強くなる。私が良い本を知っているから、今度持ってきてあげよう」

 奥村からのアドバイスに、達也はありがたく頷いた。それにしてもなんと贅沢(ぜいたく)な場であろうか。レギュラー三人が、こんな初心者の自分のために指導してくれている。強い人は、弱い人と関わらないようにしているという勝手な偏見(へんけん)を持っていたが、そんなことはなかった。将棋が強い人ほど、初心者に優しく接してくれている。沙織もそうだった。感動のあまり、達也は絶対強くなろうと決意した。

「おお、皆さん!」

 慌ただしく麻生が控室に入ってきた。

「戸刈殿は……」

「待て! 言わないでくれ! 戸刈は入玉したのか?」

 佐藤が助けを求めるかのようなポーズをとって、麻生の口を止めた。

「そうですな」

「よっしゃ!」

 勢いよく佐藤が拳を握る。

「入玉ってなんですか?」達也が清野に質問した。

「相手の陣地に自分の王様が入ってしまうことや。そうなれば、なかなか寄せるのは簡単やないで」

「えっ、どうしてですか?」

「将棋の駒は香みたいにまっすぐ進む駒が多いやろ? 元々、駒は後ろに進むように設計(せっけい)されてないんや。だから、王様を後ろから追うのはとんでもなく難しい」

「そうだな。入玉してしまえばそう簡単に負けないだろう。ということは……戸刈は勝ったのか?」皆が麻生を見つめる。

「まだ決着していませんが、長崎殿によると、戸刈殿の玉に詰みがあるとのことですぞ」

「マジかよ!」

 控室の温度が一気に下がった。佐藤も急に「いやあああ」なんて悲鳴を上げるなど、情緒(じょうちょ)不安定である。ただ一人冷静な奥村が口を開く。

「麻生はその詰み筋に気付かなかったのか?」

「はい、恥ずかしながら小生にはわかりませんでした」

「それなら相手が逃す可能性がある。運を天に任せるしかない」

「戸刈! しっかりしてくれよー!」

 佐藤が頭を抱えた。

「対局室行きますか?」

 達也の声に全員が立ち上がった。


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