オーダーの駆け引き
「法名集合!」
少しの自由時間があった後、主将の一声で法名勢が中心に集まった。
「今から対中邦戦のオーダーを提出する。さっき話した通りのメンバーで行くぞ」
「うわあ緊張してきた!」
「川上! 気合いだ気合い!」
「負けても大丈夫やから全力でな! 俺らは絶対勝つで!」
川上がレギュラーの六人を見渡す。なんと心強いことか。
「はい! 全力で頑張ります!」
川上はぐっと両手に力を込めた。すると、気になることがあるとばかりに奥村が前田に近付き、口を開いた。
「前田、さっきスパイの下田から聞いたんだが、中邦のレギュラーの中に見慣れない顔が揃って円陣を組んでいたそうだ」
「一年か?」
「おそらくそうだろう。今村が大人しく座っていたとすると、奴はレギュラーの座から陥落した可能性もある。川上の相手も、一年生になるかもしれないな」
「あっ、先輩、ビンゴです。中邦の主将の森さんがツイッターで“今年は有望な一年が三人入った!”って呟いてました」
「マジか橋本!」
「他大のアカウントも、ほとんどフォローしてるんで任せてください!」
「さっすがツイ廃、やるじゃん」
「下田先輩に褒められると照れます」
急にレギュラー陣が慌ただしくなった。
「馬鹿だな森も、公の場で戦力をひけらかすなんて」
「すると、今村、富岡、吉田が抜けるんやろか」
「そうだろうな。もちろん一年の実力が、その三人より強いという確証はない。うちで試している可能性もある。あくまで向こうは残留が目標なはずだ。初戦で前年二位のチーム相手にぶつけて、二日目以降までに一年を団体戦に慣れさせるのも常套手段だ」
「くそっ、吉田は俺と相性が良かったのに逃げやがって!」
「戸刈、まだ決まったわけではない。いいか、落ち着いて指せば私達の方が上だ。決して心を乱されることなく、油断せずに対局に臨め。いいな!」
「おう!」
レギュラー全員の声が揃う。前田の喝により、浮ついていた七人の心が一つになった。
「レギュラーの皆さん、初戦、頑張ってください!」
下田の声に続いて、準レギュラー全員から「頑張ってください!」とエールが送られた。まるで野球の試合終了後のように、ぐるぐると回りながら全員でハイタッチが交わされる。ハイタッチが終わると、大きな拍手が起こった。
「さっ、もうすぐ時間ですよ。行きましょう」
猿島が大きな扇子を広げる。その優雅な作法からは、貫録が感じられた。控室を出ていくその姿は、普段とは違って後光が差すほど勇ましい。
達也はチームの一員であることを実感すると、感動のあまり、胸が高鳴った。同時に、応援する気持ちが一気に高まったのである。
「それではA級第一ラウンドを開始します。東大と米大、法名と中邦、三ツ橋と日東、慶城と医科大」
対局室では対戦カードが読み上げられていた。幹事長の古屋が言っているのかと思いきや、声の主は非常に真面目そうな男である。
「古屋さんどっか行っちゃったんですかね。副幹事長の高森さんがまとめてる」
「忘れたの?」下田が呆れて伊藤を見た。
「古屋さんはA級に所属してる人だからこっちには来ないのよ。違う対局室にいるB級の担当をしてるはずよ」
達也は下田の説明を横で聞いていたが、まだこれだけでは納得できなかった。
「それでは各大学、オーダー交換を行ってください」
前田がオーダー用紙を机に置く。それを見届けると森も用紙を見せた。
その瞬間、たくさんの学生が覗き込み、メモを取り始めた。
「大将戸刈、三年です」
「大将森、三年です」
こうして互いに名前と学年を言ってオーダー表に書き込む。前田も森も慣れた手つきで記入していく。
「森か」
戸刈は対局室を出ると大きく深呼吸した。中邦の主将とはやったことがない。だが、エース藤本に当たらなくてよかった。森なら俺と五分くらいだろう。
気持ちを落ち着けると、再び対局室に戻った。
「七将猿島、七年です」
「七ね、失礼七将島与、一年です」
中邦のレギュラー陣が顔に腕を被せた。どうやら笑いをこらえているようである。
「ではお願いします」
「お願いします」
レギュラー達はそれぞれの指定された席に向かう。戸刈はあることが気になった。
「前田さん、川上は誰とすか?」
「川上は藤本とだ。残念だが犠牲になってもらうしかない。見方を変えれば当て馬になったともいえる」
「そうっすか……」
おそらく川上にはきついだろう。せっかくの大舞台の初戦が藤本とは、あいつもツイてない。
猿島の対局相手は中邦大学一年の島与純平。一年生は今日が団体のデビュー戦である。茶髪が似合っており、若々しい。
「先輩、あの人マジで学生っすか? 七年なんて聞いたことないっすよ」
島与はいきなり個性の強過ぎる相手とあって、席に着く前から興奮と戸惑いが混じった気持ちになっていた。
「法名の名物おっさんだよ。だけど油断するなよ」
「絶対勝ちますよあんなおっさん」
猿島は既にどっかりと椅子に座っており、手元にはレモンティーが置いてあった。そしてゆっくりと扇子を広げる。
「まーだー?」
猿島が退屈そうだ。
「ほら、早く席に着け島与」
「はいはい」
猿島は長年大会を経験してきた余裕があるのだろう。見たこともない一年生が相手でも落ち着いていた。
「君一年生かい?」
「は、はい」
話しかけられた島与は困惑している。
「ふーん。いいもんだねえ、一年生レギュラーなんて」
その言葉に、島与は反応した。口を尖らせ、目を細める。
なんだこのおっさん。おちょくっているのか? 俺は鳥取で高校代表になったこともあるんだぞ。猿島なんて高校大会じゃ聞いたことがない。なんだ、ただの無名のおっさんか、こりゃ楽勝だな。
全員が席に着いたのを見計らって、戸刈が盤上に手を伸ばした。
「すいません、失礼しやす」
戸刈が五枚の歩を取ると、シャカシャカと音を鳴らし、振り駒をした。歩が四枚出たので、戸刈の先手だ。
「法名、奇数先」
戸刈の声が聞こえると、まるでドミノのように、清野から佐藤、佐藤から前田へと、七将まで奇数先という単語が順々に伝えられた。奇数先とは、大将が先手なら副将が後手、三将が先手といったように、奇数の人が先手になるシステムである。中邦は偶数先だ。
「それでは対局を始めてください」
「お願いします!」
高森の声の後に、会場内に大きな声が響き渡った。その衝撃に達也は痺れ、鳥肌が立った。まるで、自分の嫌いな体育会系の雰囲気ではないか。でも、かっこいい。熱い。これが、今までに味わったことのない感情か。
「始まったわね」
下田は中邦のオーダーをせっせとメモしていた。いつの間にか達也の傍にいる。
「先輩、そもそも対戦相手の名前を写してどうするんですか?」
「んー? 相手のオーダーがあったほうが作戦組み立てやすいでしょ。こんな感じであと六大学分のオーダーを写さなきゃ」
「写メじゃダメなんですか?」
「なるべく全員がいつでもすぐ見れるように、紙に書いておいたほうがいいわ」
「わかりました」
「じゃあ残りは頼んだわよー。あと、コピーもしておいてね」
「はい」
よく考えると大変な作業だなあ。まだ将棋詳しくないから、今の自分はこれくらいしか役に立てない。しょうがないけど。
達也は医科大―慶城のテーブルに向かい、互いの名前を一字一句間違えないように丁寧に書いた。何度も何度も見直してから、残りのカードもしっかりと書き残した。




