団体戦初日
会場である米大には朝早くから人が集まっている。最寄りの駅前では、もはや占拠という表現がしっくりくるほど、学生で埋まっていた。近所の住民は、日曜日だというのにどうしたのかと、怪訝な表情を浮かべている。達也も法名の一員としてそこにいた。まだ朝の八時だが、緊張からか眠気は感じられなかった。
「それじゃー法名出発しますよー」
下田の一声により、駅の隅に固まっていた法名生が動き出した。昨日の研究会に参加していたメンバー全員に加え、一年の斎藤が来ている。
「池谷君?」
斎藤は既に部員の誰かから聞いたのだろうか、すんなり達也の名前を出した。達也もぎこちなく頭を下げる。
「昨日は歯医者の後、家でアニメ観てて行けなかったんだ。僕は理系だからあんまり会えないけど、よろしくね」
そう言うと、斎藤は理系の輪に入っていった。戸刈というレギュラー以外は、皆頭の良さそうな顔つきをしている。そして、彼らは見事にチェックの柄で統一した服装だった。戸刈はタンクトップ一枚で実に男らしいのだが、明らかに浮いている。文系は清野や下田など、それぞれ決まった服装をしているのに対して、理系はかなり無頓着なようだ。達也も相変わらずフード付きのパーカーに、ジーンズというお決まりの服装だったが。
「池谷殿、いよいよ戦場に向かいますぞ」
麻生は昨日に引き続いて青いオーバーオールを着ている。達也がそれを指摘すると、麻生は胸を張り、「同じものを何着も持っているんですぞ」とふんぞり返った。本気でマリオを目指しているのかと思ってしまい、笑ってしまいそうになったが、会場の米大が見えると、その気が無くなった。達也は今回指すわけではないが、どこか自分もレギュラー達と同じように、緊張した面持ちになっていた。
会場に着き、三階へと階段を上っていくと、大きな教室に椅子と机が一面に広がっていた。
大学将棋では、普段授業が行われているような広い教室を対局室としている。米大では、この対局室の他にもう一つ広い教室と、少人数授業を行う狭い教室が二つあり、そこを控室としていた。広い教室は、優に三百人は収容できそうであり、狭い教室も三十人は入る。学生達は前者を大教室、後者を小教室と呼んでいる。
達也は対局室を見渡す。
「対局室なのに将棋盤が無いですね」
椅子と机だけでは、授業と同じだ。下田が言い忘れていたと、頭に手をやる。
「大学将棋は各大学が盤駒を持ち寄って対局するのよ。協力の精神が無いとね」
持ち寄るということは、法名もそうか。後ろにいた橋本と斎藤がトントンと達也の背中を叩く。二人は盤駒を大きな袋に入れて持っていた。達也はどうもと頭を下げ、意外そうな声を出した。
「へー、あらかじめセットされてるんだと思っていました」
「セットって?」
「ボタン押したら将棋盤がシュッと出てくるとか……」
「麻雀やないんやで」
清野がツッコミを入れた。周辺が噴き出す。下田も心底かわいくて仕方がないような眼になっており、まるで小動物を見ているかのようだ。それに気付いた達也が顔を赤らめ、ムッとした表情になった。
「ようよう法名君達!」
前から、ポケットに手を突っ込んでいる男がやってきた。緑のキャップに、大きなサングラスをかけており、腰回りにはジャラジャラとチェーンを巻いている。とても将棋をするような人には見えず、原宿辺りにいそうな若者といった感があった。
「古屋か」
前田がフッと笑みを見せた。
「今日はよろしくなー俺出るかわからんけど」
「古屋さんは出るでしょう。なんたって医科大のエース兼主将なんですから」
あえて敬語で言っているようだ。まるで、ごまをする新米社員を装うかのように。
「またまたー照れるじゃねえかよー」
古屋という男は前田に笑いかけると、法名の後ろに来ていたC級校の留大生達に声をかけ、そのまま会場の外へ消えていった。
「ああ見えて、古屋さんは関東大学将棋連盟の幹事長なんですぞ。言い方を変えれば、大学将棋界で一番偉いということですな」
麻生が一年生達に説明してくれた。佐伯からは意外を通り越して、絶叫のような声を出した。「人は見かけで判断してはいけませんぞ」と麻生が釘を刺す。
対局室は三階だが、控室は四階だった。法名は小教室を覗くと、誰もいないことを確認して占拠した。この教室は、三人掛けの机が五列に並んでおり、教卓の傍に大きなスクリーンがある。橋本は早速コンセントを見つけると充電器を挿し、猿島はコンビニで買ってきたお菓子を広げ、奥村はノートパソコンを開いた。皆それぞれリラックスした雰囲気である。麻生と伊藤は後ろから二番目の左端に座り、達也はその後ろの席に座って鞄を隣の椅子に置いた。普段の授業と一緒の最後尾だ。
「隣座ってもいい?」
長崎が一人でいた達也に声をかけてくれた。達也は席を窓側に詰め、会釈する。長崎は鞄を開けると、中から自作したのであろうおにぎりと、詰将棋の本を取り出した。達也は興味津々で表紙を見る。それに気付いた長崎が「いや~恥ずかしい」と言って苦笑した。達也は慌てて目を背け、スマホを見るふりをする。鞄には昨日沙織から貰った入門書があったが、まさか詰将棋の本を読んでいる人の隣で見ることはできない。
一方、長崎は変に意識してしまっていた。自分をじっと見つめていたような気がするが、これはどういうつもりだろう。時折本から目を離して達也を見た。こちらに目が向けられていないことがわかると、また本に目を通す。おにぎりには中々手をつけられないでいた。
そうすると会話が止まる。空気を変えたかった長崎は突然「アドレス教えてもらってもいい?」と尋ねた。達也も一瞬驚いたが、快く応じる。他にも何かしら会話の糸口を掴もうとしたのだが、どうにも見つけられず、また無言の時間が続いた。
「それではオーダーを発表する」
前田の声に、一同が中心に駆け寄った。オーダー用紙にはもう名前が書き込まれており、ここで大会に出場できるメンバーが決まる。
「上から倉富、戸刈、麻生、清野、佐藤、伊藤、前田、川上、増本、斎藤、奥村、長崎、猿島、合田。以上だ」
「お! 俺入ってるじゃないっすか!」
倉富が嬉しそうな顔を見せる。
「端を戸刈、長老で固定して、中央を佐藤、前田、増本の三本柱で固めたか。悪くない」
「ああ、分が悪い相手なら川上や長崎を投入してズラすことも可能だ」
「最悪、中央で伊藤と斎藤を当て馬にすることもできますからね」
「俺出るかもしれないんですか~!」
「当て馬は怖い!」
伊藤と斎藤の二人が後ずさる。
「おいおい、オーダーに載ってる準レギュラーなんて、ほとんどが当て馬やで。しゃーない、チームのためや」
ハハハと笑い声が響いた。
前田が辺りを確認する。
「他大のスパイはいないか?」
「大丈夫です! 我々しかおりませんぞ!」
「……では話を進める」
前田は声をひそめた。
オーダー表は後で別記事で見やすく更新します




