検討と穴熊
「……そうか、やはり既にこちらが悪くなっていたようだな」
前田が投了したようだ。佐藤が充実の表情を見せる。対局が終わった奥村と清野が、盤側に寄ってきた。
「前田、お前の指した▲5五歩の変化は、既に平成五年の羽生のタイトル戦を最後に指されていない。その局面では代えて▲2五桂が有力とされている」
「なるほど、どっちか迷ったが……」
そこまでデータを知らなかった。前田は口に手を当てる。
「奥村、俺の対応は実戦例通りか?」佐藤が奥村を見た。
「端の突き捨てが入っていないが、これはこれで面白いかもしれない」
「つまり佐藤流ってことやな! 佐藤先輩、歴史を変えたってことじゃないですか!」
「おいおい」
「ちょっと検討してみよう」
前田、佐藤の両対局者に加え、清野と奥村が駒を動かしていく。
口々に意見が飛び交い、そこには強い者同士の生んだ独特の空間が出来上がっていた。お互いに一歩も引かず、侃侃諤諤である。下田は難しい顔を見せ、麻生と伊藤は腕を組んで彼らを見ていた。
「佐藤先輩も受けが丁寧でしたな」
「ほんと、佐藤先輩は地味だけど、受けが強いわよね。私ならもっと早く完封されてたわ」
「……先輩方は強いなあ」
二年生の三人はその場に立ち尽くした。
「俺らも将棋しようか」
「そうですな」
「そうね! おい、橋本! ツイッターしてないでこっちこーい!」
「ちょっと待ってください先輩!」
橋本の指が高速移動している。どうやらまだツイッターの返信をしているようだ。下田はさっと橋本の背後に回り込むと、素早く首を絞めた。
「いたた、先輩! 近いんですけど!」
「おらー早くしないとうちの爆乳押し付けるぞー!」
「そんな胸ないでしょう先輩!」
「うっさいわ! Dあるっちゅうねん!」
橋本はようやくスマホをポケットに入れると、逃げるように席に着いた。
「さて、下劣な女はほっといて、さっそく始めますか」
「そうっすね」
麻生と伊藤、下田と橋本とで対局が始まった。
「強いなあ。女子でこんなに指せるなんてなあ」
西川がふーっと息を吐く。臭かったのか、長崎の顔が歪んだ。
「ちょっと考えるよ」
西川は体を達也に向けた。
「初心者にしてはしっかりした形をしている。僕よりも遥かに筋が良いよ」
金をつまみ、達也の玉の横に打ちつけた。達也は少し前からわかっていたが、これで玉の逃げ場がない。
「負けました」
「ありがとうございました」
強い。これが穴熊なのか。石田流に組んでも、全然相手の王様に迫ることができなかった。ハムや下田とは、また別次元の強さだった。
「池谷君、この対局をよく覚えておいてね。来年また指そう。どのくらい強くなっているか楽しみなんだ。君は強くなるよ」
このおじさんは絶対に悪い人ではない。最後に見せたにこやかな笑みがそう感じさせた。息は臭かったけど。
西川は体を再び長崎に向けると、鋭い表情を見せた。
「じゃあ、本気で頑張るかな」




