レギュラー発表
「池谷殿、長崎殿とは話しましたかな」
達也はチラッと長崎を見ると、目が合った。その目は困った様子をしており、どうかさっきのことは言わないでくれ、と訴えかけているような気がした。
「少し話しましたよね」
「そ、そうですね」
長崎は再び本に目を通す。手には汗が見えた。
「誰か来たな」
廊下から駆け込んでくる音がする。一斉にドアの前へ目を向けた。
「セーフ!」
勢いよくドアが開いた。
「清野、一分遅いぞ」
「も~主将さん、細かすぎまっせ!」
声のトーンが関西弁だ。耳にはピアスをつけており、どこかチャラい印象を受ける。まさに法名らしい学生だった。
「あらっ、こちらの方は?」
「あっ、池谷です。昨日将棋部に入りました」
達也が立ち上がる。
「ふーん、新歓の時におったら飯代浮いたのになあ。うちは清野清次や。よろしゅう!」
「よろしくお願いします」
これからも初めて見る方がたくさん来るだろう、そう悟った達也は、面倒なのでずっと立ったままでいた。
「池谷は将棋強いんか?」
「いえ、まだ初心者です……」
「そか! 気にすることないで! うちも最初は初心者だったんやからな」
「えっ、この部に入ってきた時からですか?」
「……そや! ボロボロのクッソクソやで! カメムシの次くらいに弱かったわ!」
「清野さん! 嘘は良くないですよ!」
「あーバラさんでええのに伊藤!」
「清野は元々中学生まで将棋をやってたらしいからな。普通に強いぞ」
「主将に強い言われてもな~」清野は頭を掻いた。
「清野さんはどのくらい強いんですか?」
「うちか? 一応四段ってことになってるな」
「四段!」
達也は仰け反った。四段といったら、プロじゃないか。将棋界の仕組みはもう覚えたのでわかるが、プロは四段から正式に認められるのである。こんなチャラい身なりでもプロになれるのか。
「プ、プロなんですね」達也が恐る恐る尋ねた。
「あーちゃうねん! アマチュア四段ってことや。プロの基準とアマの基準は違っててな、俺はプロの基準で言ったら6級レベルや」
そうなのか。すっかり勘違いをしていた。
「それでもめちゃくちゃ強いことには変わりありませんぞ」
「四段だったんですか先輩」
伊藤が目を丸くする。棋力までは知らなかったようだ。
「24なら五段やけどな」
その言葉に達也はピンときた。
ああ、やっぱりこの人も24をやっているのか。詳しいレートはわからないが、どのくらい自分より上なのだろう。とりあえずわかることは、自分が現時点で絶対に敵わない人であるということだ。
「強さだったら主将に聞いたらええよ!」
「そうそう! ほんとすごいんだから!」
「小生は神に選ばれし実力と見ていますぞ」
「麻生、意味がわからん。そんな威張れるほど強いわけではない」
前田が目を閉じて腕を組む。
「主将は去年団体戦では無敗でなー、それだけじゃあらへん、一般の大会でも全国大会に出とるし、大学将棋界の中でも、トップレベルや! うちの部で一番強いで!」
「そ、そうなんですか」
「個人戦弱いのがアレやけど」
「一言多いんだお前は」
前田が清野の頭を叩いた。
主将になるだけあって、やはり将棋も強い。達也は息を呑んだ。それにしてもまだ全員揃わない。そろそろ立っているのが疲れてきた。思いが伝わったのか、途端にドアが開いて次々と人が入ってきた。七、八人だろうか、一遍に名前を覚えるのが大変そうに感じた達也は、とりあえずペコペコと頭を下げ、その場をやり過ごした。
「授業組が来たな」
「すいませーんみんなで飯食ってました!」
「まったく。よし、では今から団体戦について説明する。みんな椅子に座れ」
ぞろぞろと椅子に座る。達也は伊藤の傍の椅子に座った。
「今年も春の団体戦がやってきた。今年こそ、ライバル東大を倒して優勝しなければならない。そのためにはみんなの協力が必要だ」
「せやな」
清野が相槌を打つ。
「それではこれからレギュラーを発表する」
場が一気に色めきたった。落ち着かないのか、うろうろ歩いている者もいる。事態がいまいちわからなかった達也が、伊藤に声をかけた。
「先輩、もしかしてオーダー発表ってことですか?」
「うん、でもまだレギュラーが呼ばれるだけだからね」
どうやら二十人が呼ばれるわけではなく、大将から七将までの七人を決めるらしい。それに選ばれた者が極力団体戦を戦うことになる。
「まず、私だ」
何人かから笑いが起こる。
「次に佐藤、増本、奥村、清野、猿島、戸刈。以上が今回のレギュラーだ」
「まあそうなるっすよねー」
声の主は誰だろうか、知らない顔だった。
「だが、今回増本がテストのため、初日は少しオーダーを変更するつもりだ。じゃあ各自勉強するように。オーダーは明日の朝発表する」
はいっ、と声が部室内に響き渡る。がやがやと席を立ち、将棋をする者、雑談を始める者、本を見る者と、蜘蛛の子を散らすように別れた。
達也は麻生と伊藤の傍にいた。近くに長崎もいた。もう本は鞄にしまっており、顔をこちらに向けている。
「池谷殿、あそこでスマホを見ているのが、同じ一年の橋本殿ですぞ」
「は、はい」
橋本がこちらに気付いたようだった。スマホを持ちながら近づいてくる。
「初めて見る顔ですね。橋本です。名前は?」
「あ、池谷です。同じ一年なんでよろしくー」
「俺ツイッター廃人だけどよろしくね。池谷はツイッターやってる?」
達也はとにかくSNSに疎い。ツイッターも、もちろん存在は知っていたが、活用したことはなかった。
「橋本はマジでツイ廃だよ。あんまりウザかったらブロックしちゃっていいからね」
「伊藤先輩!」
「僕、ツイッターやってないんです」達也は頭を掻く。
「そっか、登録することになったらその時はよろしくね」
「うん」
橋本は物腰が柔らかく、穏やかな性格のようである。顔は決して整っているわけではないが、人当たりがよさそうで、女にモテそうなタイプだ。しかし、伊藤によると一人でいるのが好きなようである。
橋本は少し離れたところで、早速マシンガンのようにツイートをする。
“どうも、ツイ廃のはっしーです”
“先輩に言われたった(笑)”
“新たに同期が入りましたよー”
“歓喜!”
すると、すぐさまそのツイートに対する返信やお気に入りが飛んできた。橋本は丁寧に対応する。そのまましばらくスマホを見ていた。
「ういー遅れてすんませーん!」
一際大きな声が鳴り響いた。もう達也は振り向かなくてもわかった。下田だ。
「めっちゃ寝てました!」と大きく手を上げる。
「永眠すればよかったのに。無念」
麻生がかすかな声で呟いた。
「もう団体戦のレギュラーは発表しておいたからな」
主将はいつの間に他の部員と将棋を指している。
「はーい! ……あっ! ながこー!」
こちらにものすごい勢いで向かって来る。男達は全員手でブロックしたが、お目当ては長崎だった。
「ながこ、レギュラーになった?」
「いえ、やっぱり無理ですよ」
「うっそー!」
下田は欧米人のようにオーバーに驚いた。
「下田殿、長崎殿はそんなに強いのですか?」
「当たり前よ。あんたは知らないでしょうけどねー」
どことなく将棋が強いオーラはあった。だが、どうしてそこまで肩を持つのかわからなかった。伊藤も不思議そうである。
「なんでそんなに長崎さん推してるのさ?」
「一昨年、ながこは高校選手権女子の部の大会で全国三位になってるのよ。うちの五十倍くらい強いわ」
「全国三位!?」伊藤が目を丸くした。
「あれは運がよかっただけです……」
「すごいわよね」
「やりますな。小生もそれは知りませんでしたぞ」
「知れ!」
「今死ねと言いましたな下田殿」
麻生は「知れ」を「死ね」と聞き間違えたようだ。
「じゃあ死ね! つーかお前ら、昨日何時に帰ったんじゃ!」
「あっ、すいません! 昨日はありがとうございました」
思い出したように達也が頭を下げた。
「池谷君はいいのよーかわいいもん」
達也にはこれ以上ないほどの満面の笑みを見せた。反対に麻生や伊藤には厳しい目を向けている。
「俺らすぐ帰ったけどね。昨日は暴れなくて良かった」
「疲れてたのよ。それまで四十時間くらい起きてたから」
「だから背が伸びないんですぞ」
「155あるから十分ですう」
長崎はあんぐりと口を開けた。2㎝負けていたからである。
「伊藤殿より小さいなんて重症ですぞ」
「麻生! 俺まで巻き込むな!」
「どーせ下はでかいからとか言うのよね男って」
「それは男に対する偏見ですぞ!」
「そうだ! そういうお前が一番下品なくせに!」
どうやらまた言い争いが始まりそうである。達也はそっと後ろに体を向けた。
「長崎さんって、下の名前ながこって言うんですか?」
「へ?」
長崎は茫然としていたが、声をかけられて急に現実に戻った。
「ちちち違いますよ。あれは先輩が勝手につけたあだ名で……リョウって言います」
「あっ、そうなんですか。なんかこう、男っぽいというか」
「はい……涼しいって字ですし」
長崎の首の角度がだんだん下がってきた。いけないことを聞いてしまっただろうか、話を切り替えなければ。
「こ、高校三位ってすごいですね」
「まあ女子の世界なんで」
「女子?」
「女子は男子に比べて競技人口も少なく、レベルが低いと言われています。だから、この大学将棋の環境では、私もそこまで強くないんです。今回も私はレギュラーに選ばれてませんし」
「いやいやそんな……」
二の句が継げなかった。なんて自分をよく見ている人だろう。別に女子の部だからって、そこまで悲観しなくてもいいのに。うつむきかけたその時、達也は清野との会話を思い出した。
「24はどのくらいなんですか?」
これだ。これで彼女に元気をつけてもらおう。
「私はもうやってません」
「えっ?」
「去年までやってたんですけど、その時は三段でした。ネット将棋って負けたら本当にイライラしちゃうんですよ。私には無理です」
「同じ将棋じゃないですか」
「うーんネットだと相手の顔が見えないじゃないですか。相手の顔があれば、理性も保てるんですけどね……」
そういうことか。そういえばゲームをしていた時も熱くなっていた。三段なら清野さんより二つ下。どのくらいの差があるのか想像もつかないが、ともかく長崎は相当の実力であることがわかった。ゲーマーでも人見知りでもあるが、将棋がここまで強いとは。それなのにレギュラーに選ばれていないということは、一体どういうことだろう。もしかして法名は相当レベルが高い大学なのではないか。




