長崎
駅のホームで電車を待っていると、すぐ傍にいた女子高生二人の会話が耳に入った。
「うちの親が言ってたんだけどさあ、将棋で人間が負けたんだってー」
「ショーギ?」
「そうそう、リカ知らないの?」
「いや知ってるけどさ……なんかアレじゃん」
「アレ?」
「ダサい」
「わかるー!」
「暗い人間がやってそうじゃない?」
「ちょーわかるー!」
「でしょ?」
「あとさ、年寄りくさい」
「ねーじじいかよって」
「将棋なんて老後の楽しみにやるくらいでいいんじゃない」
「ねー」
達也はたまらなく辛い気持ちになった。女子からは、将棋をこういう目で見られているのかと。なぜだろう、普段は雑音程度にしか思えなかった女子高生の会話も、今日はよく耳に残る。電車がやってきて、二人の声は聞こえなくなった。だが、達也の心には深く刻み込まれてしまった。
そういえば、たまたまニュースを見ていたから僕も将棋について知ったのであって、普通の人からすれば、プロがコンピューターに負けたことなど、どうでもいいのかもしれない。将棋ってそういう立ち位置なんだろうな。
ダサい。暗い。年寄り。
自分にもう少しの勇気があれば、何か言い返していただろう。達也はよほどショックだったのか、電車内のドアの前で立ち尽くし、ボーっと景色を眺めていた。
目的地の駅に着く。改札口を抜け、大学へ向かう途中、下を向いて歩いていると、反対側から歩いてきた集団にぶつかった。
「すいません……」
一瞬だけ顔を上げた。すると、そこには市川の姿があった。達也はすぐに目を背ける。向こうは気付いただろうか。再び確認する間もなく、集団はすぐに通り過ぎてしまった。後ろを振り返ると、市川の横には女性がいることがわかった。集団は揃いも揃って派手な格好をしている。市川も昨日のダサい無地のシャツとは、うって変わった格好をしていた。
……きっと別人だ。だが、達也はもう一度振り返ることができなかった。
部室のドアを開けると、なにやら声が聞こえる。
「ちっ、くそっ、このやろうが!」
その人の耳には大きなヘッドオンがしてあり、達也が入室していることに気付いていないようだった。後ろ姿だからわからなかったが、男にしてはずいぶん小さい。髪は短いものの、ずいぶんさらっとしていて、きれいに手入れまでされている。まさか……
「あのー」
その人はテレビから目を離さないでいる。どうやら聞こえていないようだ。
「くそっ、死ね!」
一瞬自分に向けて言われたのかと思い驚いたが、おそらく画面に映っている敵のことを言っているのだろう。格闘ゲームのようだが、タイトルは例のごとく知らない。
達也も一緒になって画面を見ていた。やがて大男が倒れると、画面上にYOU WINの文字が浮かび上がった。
「ふう」
ヘッドオンを外してその人は首をふるふると振る。テレビの電源を消すと、ついに後ろを向いてくれた。
「どわ! いつの間にいたんですか!」
「す、すいません!」
本気で気付いていなかったのか、大声を出されたものだから、達也もつられて大声を出してしまった。よく見ると、やはり女である。ショートカットがよく似合う小さい子だった。女は傍においてあった眼鏡をかけるとまた驚く。
「だだだ誰ですか!?」
女はバタバタと後ずさった。
「あっ、昨日将棋部に入った池谷といいます。もしかして一年生ですか?」
「は、はいそうですよ……」
下田が言っていたのはこの人だったか。
「長崎です。あの、ここで私が格ゲーをしていたことは秘密にしてもらえますか?」
消え入りそうな声であった。ずっと下を向いている。
「いいですけど……」
「す……すいません」
そそくさとゲーム機を片付けると、昨日の何も無かった状態に戻した。そして鞄の中から小さな将棋の本を取り出す。達也はそれが気になった。
「その本なんですか?」
「えっ、あっ、ここここれは詰将棋の本です。そんな大したものじゃないです」
詰将棋とはなんだろう。達也は斜め上に首を向けて考える。長崎は本で顔を隠すように読み込んでいる。あんなに近いんじゃ、文字も読めないのではないかと疑うほどだ。ページをめくるスピードもやけに速い。そんなもんだから、そこから先は質問しづらかった。後で自分で調べてみるとしよう。
納得していたら完全に会話が途切れてしまった。室内に気まずい空気が漂う。昨日の下田とは対照的な存在だった。下田が太陽なら長崎は月である。達也は一発で長崎を人見知りだと確信した。自分も若干その気があるからわかる。それなのに、ゲームをしている時とはずいぶん違うものだ。だからこそ人見知りらしいともいえる。それにしても空気が重い。早く誰か来てくれないだろうか。




