第二章 目覚めれば―① 『ここは何処?』
質問② あなたは異世界で冒険がしたいですか?
答え・義弥「はい!」
さくら「ハイ☆」
信長「HAI♪」
● ● ●
「おい、よしやん」
「よっしー、ねぇ、よっしーってば……」
遠い呼びかけに、伏せ寝している僕の意識が緩やかに浮上していく。
その過程で妙な違和感を全身が主張していたけれど、それが何かまではわからない。ただ眠りと覚醒の狭間を揺蕩う意識は茫洋としていて、無意識に口が動く。
「……あと、五分……」
「――じゃねーってっ!!」
「いいから起きてよ、よっしーっ!!」
多分信長だと思うのだけど、肩を揺さぶられる。
これはきっとさくらだと思うのだけど、それでも反応の鈍い僕の頭をポカポカと叩いてくる。
「………うっ……痛っ!?」
さくらはちゃんと手加減をしているのに、鋭い痛みを感じて目を開く。叩かれたところが痛いんじゃない。体の下にあるのは布団のはずなのに、なぜか地面の上で寝ているかのようにゴツゴツした感触が――って。ちょっと待て。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!?」
開かれた両の目が見たのは、岩肌剥き出しのそのまんま地面だった。
僕は反射的に跳ね起きる。
そして、視界に入ってきた光景は――
「なんっっっっだ、これ……?」
呆然とした呟きが零れ落ちる。
「………ねぇ? なんだと思う?」
目と口を丸くしているさくらが、傍らにぺたんと腰を落としている。
「………なあ? 俺にも説明不能だよ。なんかいい答えを教えてくれないか?」
僕の後ろで腕を組んで、落ち着きなく視線を移動させている信長。
「………僕に聞かれても……その、困る………」
「だよねぇ……」
「だよなぁ……」
困惑に塗れた二人の呟きを聞きながら、僕は改めて周囲を見渡す。
あるいは二人よりも混乱しながら。
剥きだしの岩肌は上下左右前後、視界の続く限り続いている。横幅は五メートルくらいで、天井までの高さも同じぐらいだろうか。
視界が確保できているのは、壁面自体が淡く発光しているからだ。
「………………」
今の自分たちの置かれている状況を端的に述べるならば、洞窟らしき場所に放り出されているとしか言いようがない。出入り口や分岐路などは、見渡せる範囲には存在しない。
「なんなんだよ、これは……?」
僕の動揺した呟きが、木霊するように響く。
わけのわからない異変に混乱すること数分。
落ち着いた――とはとても言えない精神状態ではあったけれど、幸いにもいつもの三人が揃っていたので、なんだかんだで会話が始まる。
「なんなんだろうね、これ……?」
あんまり困った風には見えないながらも頬に人差し指を添えて、小首を傾げているさくら。
「てか、疑問のスタート地点を間違っているよ。正確には、ここは何処だよだ」
「どっちにしろわからんわけだが」
バッサリと切って捨てる信長だけど、こうも続けた。
「だから、まずはわかることを上げていこうぜ」
淡い光を放つ岩壁――どうもコケっぽいのが発光しているようだ――に背中を預けて、頭の後ろで手を組んでいる信長は、その表情に困惑のような色を浮かべているものの、同時に好奇心のようなものも覗かせている。
「そう……だね。このまま座り込んでいても仕方がないし……」
僕の傍らに座り込んでいるさくらは、落ち着きなくキョロキョロしている。しかし、そこに不安の色はなく、むしろ放っておくと今にも駆け出していきそうな風情だ。
わくわくしているのが、聞くまでもなくわかる。
こーゆーところはさすがだと思う。
「……うぅ~ん」
多分、現状において、最も落ち着いていない――もしくは冷静じゃないのは、僕だ。
何かと突っ走りがちな二人のストッパー役を自認している僕は――二人に聞いたら別の意見がありそうだけど、それはそれだ――このおかしな状況を、持ちうる知識で何とか解明しようと躍起になっている。
けれど、それが明らかに空回っている自覚はある。
いつもなら、信長の言ったようなことは、先に僕が口にしているはずなんだ。
「………。それじゃあ――」
意識的に大きく息を吐いてから、僕は口火を切る。
今でも落ち着いてはいないが、落ち着くことを意識する。
「最初に起きたのは、誰だい?」
手を上げたのはさくらだ。
「目を覚ましたらもうここで、寝た時と同じような配置だったよ」
「ふむ。………服も?」
「うん。そぉだよ」
不思議なことその①――目が覚めたら洞窟みたいな場所だった。
不思議なことその②――目が覚めたら制服姿だった。さくらはマントのおまけ付だった。
「何故だろう?」
「「さあ?」」
もっともな疑問なのに、誰にも解答は導き出せない。
無論、僕にもだ。
「ちょっと前の疑問に戻るけど、ここは何処なんだろう?」
「「さあ?」」
「だよねえ。」
結論としては、なにもわからないということがわかった。
一歩前進した。
………いや、この場合は一歩分だけ足踏みしたというべきかも知れないけども。
「でもさぁ……」
先の疑問の解答となりうる可能性が、一つある。
荒唐無稽で信じがたいけれども、〝それっぽい〟ことをして寝ているのだ。まさかそんなバカなという思いとは裏腹に、まさかという気持ちがないでもない。
………だって、シチュエーションとしては、とっても〝それっぽい〟もんな。
死んだり、転生したり、ネトゲをしたりしてなかったけども。
三人で同じ部屋で寝ただけだけども、それでもという思いが否定しようとする常識的な思考をジワジワと塗り潰していく。
二人を順番に見やる。
幼なじみ特有の以心伝心で、僕の内心を読んだ(っぽい)二人がそれぞれに反応を返す。
信長も僕と同じ疑念を抱いているみたいだ。半信半疑を表現したような変な笑い顔を浮かべている。
さくらはなんか確信してるような感じだ。あれはそうだといいではなく、そうに決まっているって顔だ。
そして、それを口にしたくてたまらなそうで、割り振られるのを待っている――ような気がする。
「ひとつだけ可能性というか、思い当たることがあるよね?」
………是が非でも自分で言いたいわけでもないので譲るとしよう。
べ、別にちょっと残念とか思ってたりしないからね。ホントだよ。
「はい♪」
元気よく手を上げるさくら。
まるで参観日で張り切る小学生のようだった。
「どうぞ、さくらくん」
「ひょっとしたら、ここは異世界じゃないのかな」
「………まあ、納得するだけの根拠はないが、とりあえずはそう思っておくのが妥当だよな」
苦笑しながら言う信長。
「そうだね。こんな発光するコケ、もしくは岩肌なんて、僕の知識の中には『幻想の世界』にしかないしねぇ……」
「ファンタジー物だと、わりとお約束だしね」
「そういうことだね」
根拠としては弱いし、だからどうというわけでもないし、ましてや進展したわけでもないけれど、言葉にしたことで――あるいはそれを聞いたことで、僕たちの気持ちがゆっくりと落ち着いていくのを感じていた。
あくまでもほんの少しだが。
「なら、ここが異世界だとして、これからどうするよ?」
信長の質問に、僕はゆっくりと思案しようとしたのだけど――
カラーコンタクトでオッドアイになっている瞳の中に星を浮かべたさくらが、いつの間にか腰を浮かせて何処へともなく歩き出そうとしていたので、手を掴んで止める。
………………そういえば、あまりにいつも通りなので失念していたけど、寝る前には外しているはずのカラーコンタクトまでちゃんと『装備』されてるな。
「な、なにかな、よっしー?」
「こういう状況でも行動的なのは気持ち的にありがたいけれど、まだ動くようなタイミングじゃないよ。もう少し情報を集めよう」
「え? でも……他に何かわかることってあるの?」
「自分たちが何を持っているのかぐらいは、ちゃんと確かめておくべきだろ」
「あ。それもそうだね」
寝てから起きるまでの間に格好が変わっているのだ。何かを持っている可能性はあるし、それを僕はまだ確かめていない。さくらの反応を見た感じでは同様だろう。
「さすがはよしやん。冷静になってきたじゃん」
「まだまだ動揺しまくりだよ」
そんなこんなでまた数分が経過した。
財布。生徒手帳。携帯電話。普段持っているアクセサリー類。
僕たちがそれぞれ取り出して地べたの上に並べたのは、要するに日常生活で普通に持ち歩いている所持品だった。さくらが『マント』を装備しているのも含めて、学校がある日の僕たちだった。鞄の類はなかったが。
財布の中身も記憶と違いなかったのだけど、仮にここが異世界だとしたら、財布の中にあるお金が役に立つかどうかはかなり疑問だ。
あともう一つ。
異世界へ誘うという触れ込みのインチキアイテムだったはずの『アレ』が無くなっているのに、少なくない引っ掛かりを感じた。
「これに何の意味があるんだかな?」
片手を顎に、片手を地べたの所持品に向けて、信長が悩ましげな顔で言う。
「考えるだけ無駄だと思うけど、強いて言うなら――」
「初期装備って感じだよね」
僕の感じた印象を、さくらが代弁してくれた。
「ますますわけがわからなくなってきたぜ。
………とにかく、現状で集められる情報は出尽くしたと思っていいか?」
「他になにか思うところがあるなら、遠慮なく発言してくれ」
「俺には思いつかないな」
「それじゃあ、いよいよ行動開始だね」
自分の所持品を制服のポケットに入れて、バサァッと翻したマントを装備するさくら。
なんか、漢前だ。
不覚じゃないけれど、カッコいいとか思ってしまった。
「ちょっと思い切りがよすぎるような気もするけど、ここに座り込んでても進展は望めそうにないもんね」
軽く肩を上下させながら同意を示す。
信長もうなずいていた。
「それで、どっちに行くんだ?」
「それが問題だ」
僕と信長は真面目な顔で、新たな問題を浮上させるのだった。
「なら、どっちがいいと思う?」
無邪気に聞いてはいけない質問をするさくら。
「「それも問題だ」」
早速、蹴躓く僕たちだった。
ああ。うん。なんか、すっごく僕たちらしいな。
「………行く方向次第で出口に向かうか、奥に向かうかの二択になるよね」
「もしくは行き止まりとかも考えられるけれど、とりあえず考えないようにしよう。あるいは分岐路にお出迎えされるかもしれないが、それを考えるのはその時にしよう」
どうでもいいような補足を入れる僕。
「結局は二択だね」
チョキにした手を突き出してくるさくら。
「判断材料がないんだ、仕方がない」
「なら、考えるだけムダだよ。疑心暗鬼になっても仕方がないし、適当に決めちゃおうよ。あ、わたしが決めてもいい?」
「「どうぞどうぞ」」
「じゃあ、あっち♪」
一瞬の逡巡もなく、迷いなく一方を指差すさくら。
「念のために聞くけど、そっちを選んだ理由は?」
「勘!」
「さくららしいね」
「まったくだ」
自信満々に鼻歌さえ奏でているさくらを先頭に、僕たちは異世界(?)での記念すべき最初の第一歩を踏み出すのだった。
● ● ●
それは文字通りの意味で、異世界における長い物語の始まりを告げる最初の第一歩だった。あるいはこの時、さくらの『勘』を無視して、反対方向に進んでいたらどうなっていただろうと思わないでもない。
もしかしたら、とても長引く面倒事に関わらずにすんでいたのかもしれないけれど、その過程で得られた『知識』を持たない僕たちでは早々に『ゲームオーバー』(この表現が正しいかどうかはさておき)になっていた可能性もあるので、一概にはなんとも言えない。
しかし、ただ一つ確実に言えることは、二つの出逢いがふいになっていたということだ。それは確かに面倒事を招く出逢いではあったけれど、それ以上にうれしいことや楽しいことに彩られたものでもあったのだから。
それを考えるとさくらの『勘』は侮れない。二択とはいえども、この異世界での最初の第一歩で最善手を選んでいたのだから。
もっとも、僕がそこにたどり着いた時に真っ先に思ったのは――
あ。ハズレ引いた。
――というものだったのだが。