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第6話 消すモノと消されるモノ 三

 


 痛い。苦しい。ていうかそんなもんじゃない。

 頭の頂上から足の先まで、少年は一度も味わったことのないような激痛を全身に感じていた。ほんの少し体をずらしただけでも、そこには強烈な痛みが加わってくる。同じ体勢でいるのは疲れるからと無意識に動かしてしまった身体は、その都度少年の脳に確実な痛みを思い出させ、眠ることすら容易ではなかった。否、眠ってしまっても今度は悪夢が少年を待ちうけていた。

 どうせ目を閉じていようがいまいが、この痛みは変わらない。それでも目を開けていれば忌々しいものがそこに映ってしまうため、少年は出来る限り目を閉じ、眠りの中へ向かおうとする。

――――まるで何かに巻きつかれ、圧迫されているような。

 彼が診てもらった医者は、そう言って驚いていた。一週間ほど前のことだ。その後処方してもらった鎮痛剤や睡眠薬は少年に一時の安らぎさえも与えてはくれず、今となっては引き出しの肥やしとなっている。


(一週間……)


 もうそんなに経つのか、という思いと、一週間も自分はこの痛みに苦しまされているのか、という思いが少年の胸の中で膨らんだ。

 始めは本当に小さな痣だった。腕の外側にほんの少し赤くなっている程度の。たまたま風呂に入って身体を洗っていた時に気が付き、一体どこでぶつけたんだろう、などと暢気に考えていた。

 次の日になって再びその痣を見ると、気のせいか昨日よりもその痣が濃くなっていた。やっぱり気のせいだと思った。

 更にその次の日になると、その痣が拡がった。同じ所を二度ぶつけるとは(しかも知らぬ間に)、少年もなかなかのドジだと思った。鬱血していたが強く押さない限り痛みは無かった。

 その日の夜から、少年は悪夢を見始める。蛇の夢を。

 大きな蛇が少年に巻き付き締め上げてくる夢だ。それはとても鮮明で、触覚も視覚も嗅覚も備わっていた。真っ暗な中で、その蛇だけがやたらとはっきり見えた。少年の身長をゆうに超えている蛇は恐ろしく、逃げようともがけば更に締め上げられ身体は軋み、苦しさに息を吸おうとしても更にきつく締めあげてくる蛇のせいで吸いこめない。酸欠と激痛でついに少年の意識は暗転する。

 暗転した直後に少年の意識は再び現実で目が覚め、ようやくそこで今のが夢だったと気が付く。

 最初に痣を発見した日から4日目の朝、痣は極端に広がり、腕全体を覆っていた。今となっては遅いと感じるが、この痣がおかしいと思い始めたのはこの日からだ。

 悪夢は毎晩続き、痣は日増しに拡大していった。何日か過ぎた朝、目が覚めて痣を見ると、痣は腕だけではなく、肩や胸にまで伸びていた。よくよく見ると、蛇がまきついていた部分と一致するような痣。夢と現実とのリンクに気味が悪くなるのも束の間、次第に寝ても覚めても痛みを感じるようになった。

 自分は何かの病気なのかもしれない――――とは思ったものの実際に口にするのが怖くて、誰にも告げられずにいた。しかし肩や首を超え反対側の腕に広がっていた頃、母親は少年に尋常でない痣を発見し、父親に報告してしまう。

 誰かにいじめられているのか、誰につけられたのかとしつこく問われたが、少年にそんな覚えなどなかった。


「ショウゴ、気分はどう?」


 噂をすればなんとやら。コンコン、と部屋の扉の向こうから、母親の気配がした。酷く疲れた声音だというのに、少年を気遣う母親の声だった。少年はゆるゆると目を開き、扉の方へ首を動かそうとするが、即座に激痛が身体を貫く。痛い。どうしようもなく痛い。この頃はもう起きあがることさえ出来なかった。

 訪れた痛みに少年は返事をするのを忘れた。母親は少年が眠っていると思ったのだろう、そのまま扉から去っていく。


(……ほんとにどうして)


 気分なんか最悪だった。激痛に浮かんだ涙をぬぐうこともなく、少年は現在の自分を呪った。

 視線を少しずらすと、赤く染まった己の手が見えた。――――気持ちが悪い。だから見たくない。必死に見えないよう目を閉じる。


(なんで俺が、こんな目に)


 この状態になるまで、否なってからも、何度も繰り返してきた疑問。

 すまない、と父親から言われた。初めて父から頭を下げられた。父親は俺のせいだ、と少年を見て顔を悲痛に歪ませた。

 なぜ父親が謝るのか少年にはわからなかった。どう考えてもこれは父親のせいではないからだ。そう告げたら、少年がこうなってしまったのは、父親が誰かに恨まれたからだと言われた。だから呪われたのだと。

 唐突な謝罪にどうすればいいかわからなかった少年は、身体を動かせば激痛が走るし、思春期を謳歌していたことも合わさって、ただ鼻で笑ったが、いつから父親はそんなオカルト系の話を信じるようになったのかと呆気にとられた。すぐさま、父親がそこまで追い詰められているのだと悟った。


(呪い?なんだよそれ)


 そんなことがあってたまるかと、気持ちの上では思っている。しかし現実に少年の身体は原因不明の痣に侵されている。

 ぎゅっ、と少年は閉じていた目に光が入らぬよう、更に強く瞑った。その時だった。


「ああー……しっかりと呪われてるな」


 聞いたことのない、涼しげな女の声と。

 ふわりと布団から出ていた手足にかかるはずのない風を感じた。

 窓も扉も全て、少年の痛みを刺激しないように閉じられているはずだったのに。







 話を聞いてさっさと来てよかったのかもしれない、とニシキは目の前に横たわる人間を見ながら思った。 

 店を出て、そこからそう遠くはなかった本屋まで行き、近くだという工場の結界の気配を辿ってこの部屋に侵入した。その部屋に入った時、ニシキは反射的に思い切り顔をしかめ、自分にしては珍しく心の底から嫌そうな声が漏れていた。

 ベッドの上に仰向けに寝ていたらしい人間は、ニシキに気が付きうっすらと目を開けると、気だるげな顔に疑問の表情を浮かべた。まだあどけなさの残る、少年と言って良いくらいの人間だった。年齢に直すのなら15,6というところだろうか。見た目だけなら、スバルとあまり変わらない。

 布団からはみ出た彼の肢体には、肌を覆い尽くさんばかりの痣、痣、痣。今は隠れて見えないが、おそらく彼の全身を巡っているのだとわかる。

 ニシキがその痣を確認し再び少年の顔を見れば、目尻には先程まで泣いていたかのような濡れた後があった。もしかしなくても痛みに泣いていたのだろう。ニシキの中で、何とも言えない苦い気持ちが広がっていく。


「誰……?」


 小さくかすれた声が聞こえてきた。弱々しく息も絶え絶えというような、少年の声だった。部屋にいきなり女が、それも日本刀らしきものを携えているとあれば、当然こちらに警戒の色を含ませた視線を投げてはいるものの、横たわっている姿は見る者にただ痛々しさを感じさせるだけだった。


「私はニシキ。君の父親の伝手で来たんだが……本屋の倅の話より少し酷いみたいだな。その痣はものすごく痛いだろう?ああ、辛いだろうから喋らなくていい」


 ニシキはわりと優しげな声を出せた気がした。もしもここにスバルがいたら気味が悪いとか言われそうなくらいの。その様子を想像して微笑んだニシキを見て、少年は幾分か固い表情を崩した。

 ざっと部屋を見回すと6畳程の部屋に、少年の好みらしい色合いの勉強机や本棚が置いてある。それ以外に目ぼしいものはなく、部屋の主はあまり物を置かないタイプのようだ。ニシキが喋らなくてもいいとは言ったものの、少年は疑問を口にした。


「どうやって」

「どうやって入ってきたのかは、説明が面倒だから言わない。ちょっとばかり特殊な移動をしただけだよ」


 遮ってニシキが質問に答える。すると少年の視線がニシキの足元に向かった。向かった先を追って、ニシキは思わず苦笑した。


「そういえば土足だったな。まあ気にするな少年。さっさとその忌まわしいものを取っ払ってあげるから」


 そう言うや否や、ニシキは持ってきていた日本刀をおもむろに鞘から抜き、前に構えた。と同時に、少年の身体が固まる。その目は一体何をする気なのだと訴えていた。ニシキは笑いながら刀を垂直に掲げて、小さくその名を呼ぶ。


『キエン』


 途端、ニシキの声に呼応するかのように刀が炎に包まれた。ニシキの笑みが深くなる。


「お前の名を決めた。お前の名は『鬼炎』。その名の通り、鬼ですら炎で焼きつくしてしまえ」

「どう、いうこと……?」


 今まで見たことのない現象に少年が驚く。少年の中でこの現象を分類するなら、これはマジックか幻覚だ。いきなり火を刀身から噴き出し、あまつさえその熱さまで感じる刀。見たこともなければ、聞いたこともない。であればマジックか幻覚しかあり得なかった。前者なら、ただ鞘から出しただけの刀のどこにそんなトリックが隠れているのか謎だがとりあえずは納得できる。後者なら更に落ち込むだけだ。そんなものすら見てしまうほど追いつめられているのかと。

 それよりも、この目の前の女はこんな物騒なモノを取り出してどうする気なのか。少年の一番の不安はそこだった。

 炎を間近に受けているはずのニシキは、少年が感じる熱など全く感じていないようで、軽く刀を振って少年に向き直した。今度こそ、刀を両手で構えた姿で。その目には、今まで殺意を向けられた経験などなかった少年が、直感でそうだとわかってしまうほどの殺意が込められていた。


(この女、殺す気だ!俺を殺すつもりで来たんだ!)


 少年の本能が逃げろと命じた。思わず身体を仰け反らせた。この際身体の痛みなど関係なかった。人は目の前の恐怖には程度の差こそあれ勝てないものだ。反射的に逃げる。まず逃げる。もしも逃げない人間がいるのなら、そいつはきっと、生きることをやめた人間か、よほどの鈍感だ。

 

(俺はまだやめてない)


 少年は心の中で呟く。

 ニシキは少年の心を読んだかのように、ただ微笑み続けている。


「心配するな、身体は傷つけない。私が斬るのはその痣の元だけだから。斬りたくないものは斬らないのが本物の剣士って言う…かどうかは知らないけど、君の身体に害はないよ」

「……嘘、だ」

「嘘じゃないさ。まあ大丈夫だ。多分。多分ね」

「多分って、ちょっとま」


 少年が制止の言葉を言うや否や、彼の身体を白刃が一閃する。ああ終わったな、と少年は心で呟いた。


(俺、こんな形で死ぬんだな……。まあ、近いうちそうなるだろうなって気はしてたけど、早かったな、俺の人生。さっきはやめたつもりなかったけど、それでも来る時は来るのか――――――って、あれ?)


 痛みではなく恐怖で目を閉じた少年の中で、ある意味走馬灯に近い感覚が襲った。少年の意識が内へと遡る。時間にするなら数秒だっただろう。だがいくら待っても、少年の意識は途切れなかった。

 何かがおかしい。斬られた時の痛みが一向に訪れない。斬られた痛みも、常時襲い続けている痛みもない。

 おそるおそる少年が目を開くと、すでに刀を鞘におさめたニシキが、斬る直前と同じ笑みを浮かべながらそこに居た。


「言った通りだったろう?」


 にやり、と人の悪そうな笑みを浮かべて、ニシキは刀を鋭利な金属音を鳴らして鞘に戻した。


「本番はここからだけどね」


 その一言に、久方ぶりに通常の感覚を取り戻した少年は、安堵しかけた心を再び不安の色に染めた。





次回は初めての対決?

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