第5話 消すモノと消されるモノ 二
「本屋の友人?」
「うん。うちの親父は社交的だから色んな人間と知り合いなんだけど、その内の一人がどうしても助けを借りたいとうちに来たんだ」
薄暗い店内にしつらえた客用ソファに座り、本屋の倅は事のあらましを説明し始めた。その正面には机があり、さらにその奥には椅子の背もたれにたっぷりと体重をのせたニシキ。
机の上から天井へゆっくりと立ち上る紅茶の煙。店内にはその良い香りが溢れていた。毎度気の利くスバルが淹れてくれたくれたものだ。見た目にそぐわず甘党で猫舌のニシキは、スティックタイプの砂糖を二本いれて、スプーンでまんべんなく混ぜてから飲む。スバルはいつもその動作を嫌がり、今も横に無言で控えているが嫌そうな表情でニシキを見ている。紅茶なんて砂糖無しでも飲める。というか入れすぎだよ、とでも言いたげな眼差し。別に味は変わらないんだからいいじゃないか、とこちらも視線で答えた。
一口すすると、紅茶の香りが口いっぱいに広がった。やはり甘い方が美味しい。
「それで?」
「ある日、その友人の元に男が訪ねてきて、こう言ったらしいんだ。『私はあなたに恨みはないが、あなたをとても恨んでいる人がいる。私はその恨みを晴らしに来た』ってね。
おかしな客だったらしい。部屋の中だというのにフードを目深にかぶって、決して顔を明かそうとはしなかったけど、ただ声の感じは男だったそうだよ。あと小柄だったって」
「印象はともかく、宗教の勧誘にありそうな文句だな」
ゼンは事の詳細を細かく伝えた。
彼の父親の友人は町工場の経営者であり、いわゆる職人気質な人間だった。ゼンも言うとおり社交的な本屋とは、共通の趣味を通して知り合った仲だという。
小柄な男は顔を隠している以外特に目立つものは無かったが、ただ一つ左手に持っていた本が友人の目についた。というのも男はそれ以外何も持っておらず、人を訊ねるにしてはどこか違和感があったからだ。そのため友人の印象に強く残る結果となった。
男はそんな怪しさ全開の上で、恨みを晴らしにきたと言うのだ。本屋の友人は当然のように警戒し、追い出そうとした。宗教の勧誘ならお断りだ、と言って。
しかしそう言うと男は笑ってこう言った。
『信じないのも無理はない。しかし私は慈悲深くもある。もしもあなたを恨んでいる相手よりも多く報酬をくれたら、あなたを助けてやろう』
と。
「本ねえ」
ニシキが適当に相槌を打つ。
「ああだから、お前の所…じゃないか、お前の父親に相談したんだな、その友人とやらは」
「まあ本屋だからね。あと多少おかしな現象に詳しかったっていうのもあるかな。うちの親父その線でもそこそこ知られてるらしいしね」
一息ついて、本屋の倅は紅茶を飲みながら「嫌だねー」と顔を少ししかめた。
「ほんと、僕ならごめんだけどね、そんなの。知られてるってことは、頼ってくださいって言ってるようなものだし。
親父の場合、好きで巻き込まれてるんだけどね。……この紅茶美味しいね。スバル君お茶入れるの上手だなあ」
「よく言えるなそんなこと。そのくせ、お前だってこういう話はやたらと楽しく話すじゃないか。面倒事をうちにまで持ってくるし」
「それはまあ、僕は今回のことに無関係だし。それに君の場合、進んで火の粉を浴びに行くのだから問題ないじゃないか」
「お前は火の粉を振り払うだけか」
「いやあ、どちらかというと降りかかる前に退散したいよね。で、対岸で観察するに限る」
「やれやれ。お前も父親も結局は同じようなものじゃないか。
……と、話がそれた。それにしてもその男、目的がわかりやすくていいな」
ニシキはケラケラと笑って、ふう、と熱さましの息を紅茶に吹きかけた。まあね、とゼンもつられて苦笑する。
その男の目的はずばり金だ。その何一つ捻りのない脅し方から、深く考えずに欲に走った馬鹿か自分の力によほどの自信がある馬鹿だ。どちらにせよ単純で面白い。この場合はどちらに当たるのだろう。ニシキは無言でゼンに続きを促した。
「ま、そういう訳で友人は相手にするのも馬鹿らしくなって、さっさとその男を追い払った。これが結構厳しい感じに告げちゃったらしくてね。
強い口調で出て行ってくれと男に言って、そして最後に『こんなことをしている暇があったら、もっと真っ当に生きたらどうか』と言い放った」
「ああ、これはまた正論だな。素晴らしいご友人だ。だがなあ…」
「そう。正論なんだけれども、だよね」
「……人って自分が間違ってるって正面から言われると、逆上しちゃう人っているよね」
それまでただ黙って話を聞いていたスバルが、ぽつりと声を落とした。対してゼンがにこやかに笑って肯定する。「その通りー」なんて暢気に言うゼンに、果たしてそんな場合なのだろうか、とスバルは内心ため息をつきたくなった。ニシキといいゼンといい、スバルの周りの人々はなぜか何でもかんでも面白がる癖がある。
そんなスバルの内心など全く気にも留めない二人の顔はとても楽しそうだ。
ゼンは話を続けた。
「男もどうやらそのタイプだったみたいでね、急に態度を変えて『信じないとは不幸な男だ。これなら恨みを晴らしてやらざるを得ない』と言った」
そうして男はおもむろに持っていた本を開き、何かぶつぶつと呟いた後、
『苦しみ、恨みを引き受けるがよい。恨みの受け手はお前ではなく、お前の身内だ。その方がずっとお前に苦しみを与えるだろうから』
という不穏な言葉を残して、忽然と消えうせた。
「俗に言う、呪われたってやつか。何の術かは知らないが、本を使った何か…まあそれはお前たち本屋の方が詳しいだろう。で、信じたのか?その言葉」
「まさか。もちろん友人は信じなかったよ。だけど男が言ったことは本当だったんだ」
友人はそのことに気がつくまで全く信じてはいなかった。彼はこれまで不思議な人間に出会ったこともなければ、不可思議な体験をしたということもなかったからだ。信じている人間を否定するような人間ではなかったが、本屋の友人といえど、彼はそういったことに全くもって興味がなかった。
しかし、その考えが一変する出来事が彼の身に起こってしまった。それまでただ共通の趣味を持つ友人というだけだった、不可思議な現象にも詳しい本屋に頼らざるを得なくなることが。
「呪いは彼の息子にかかっていたんだ。最初はただの小さな痣だったらしい。息子は誰にも告げなかった。だけど……」
友人の息子の痣は日に日に増えていった。最初、腕にあるだけの小さな痣だったそれは一日を経つことに徐々に広がっていき、ついには身体中に現れるようになっていった。そのうち全身が痛み始めて、身に覚えのない痣に息子は怖れ、そしてそんな息子の不自然な様子にまず母親が気づき、父親の知るところとなった。その時すでに痣は息子の身体を巡るようにあった。急いで病院へ連れて行ったものの、原因は不明。入院し一日動かずにいても広がる痣に、医師も両親も為す術がなかった。
まるで何かに巻きつかれ、圧迫されているような痣だと、息子を見た医者は驚いた。
「そこでやっと本屋に相談か。何かに巻き付かれたような痣、ね。……本屋はそれでどうしたんだ?」
「親父は友人の姿を見てすぐに気付いたよ。その辺はさすがにうちの親父かな。けど、親父や僕にその痣を何とかするほどの力はないし、僕らはただ仕事上、ちょっとあり得ないことを知っているだけの人間だ。≪外れた者≫じゃない。
とりあえずこれ以上痣が増えないように結界を張って、僕は君を頼りに来たってわけ。竜人の君をね」
ぴくり、とニシキの眉があがった。途端、店内の温度が下がったような冷えた気配が漂う。
「……呪った相手が何を使ったのか、検討はついているんだろうな」
常に笑みを絶やさぬようなゼンの顔。その顔がほんの少しだけ、真剣みを帯びた顔立ちになった。彼が子供の時からの長い付き合いであるニシキだからわかることだ。
「親父は『蛇』と言っていたよ。これだけで十分?」
「ああ」
ニシキは短く肯定し、とうの昔に冷めていた紅茶を飲みほすと、椅子から立ち上がって傍にかけてあったコートを手に取った。即座にスバルが反応する。
「行くの?」
「思い立ったら即行動。その友人にとっては、一刻を争うような状況らしいからな。さっさと行くことにする。場所はどこだ、本屋の倅」
「うちの近所の町工場だよ。君なら行けば分かると思うから、詳細はいらないよね?それとももっと詳しく言った方がいい?」
「いや、いい」
コートを羽織り、いざ出かけようとしてニシキはふと机の上に無造作に置いてあった日本刀が目に入った。
(蛇ね。ならこれ、使えるかな)
逡巡して、刀を取る。すると横から驚きの声が聞こえてきた。
「え、それ持ってくの?!うわー物騒ー銃刀法違反ー」
「うるさい。じゃあ行ってくる。倅、帰ってきたら報告するからとりあえずスバルと遊んでろ」
「遊んでろって…あのね、僕もうそんな歳じゃないんだけど」
「私の中じゃまだまだ子供だよ」
どこか拗ねたようなゼンの口調にくすくすと笑ってそう告げた。
説明回でした。
次回はちょっとしたチャンバラ…にはなりませんが、ちょっとしたアクションはあります。ほんとにちょっと。
ちなみにニシキやスバルの詳細な年齢とか生い立ちとかはまだまだ全然書けませんが、ゼンさんは26歳です。嫁はまだいません。