第3話 幸せを呼ぶ壺:後編
「誰?」
思わずサキの口をついて出ていた。いつからそこにいたのだろう。全く気配を感じなかった。初めて目に入れた時はその黒髪に視線を奪われたが、まじまじと観察すると彼女は葬式だというのに白いコートを羽織っている。サキよりも少し年上、19か20代前半そこらに見えた。
一瞬、葬式の参列者かとも思ったが、先ほど座敷を見渡した時には見かけなかった。もしも見かけていたとしたら絶対に記憶に残っているに違いないからだ。
綺麗に切りそろえられた黒髪、こちらを見透かすような黒い目。日の元であっても、その黒髪は黒いまま輝いている。
日本でも昔はそれが当たり前の時代もあったらしいが、今は違う。何の因果かはわからないが色素が薄くなり、皆それぞれに違った色を持っている現代で黒髪や黒目は珍しいのだ。
ひょっとして遅れて参列したのかもしれない。そう思って隣で同じように驚いている父を見やる。
「…親戚の人?」
「どちら様ですか?」
サキが聞くと同時に父が誰何の声をあげた。オーケイ、この目の前の女性は親戚じゃないことは確かだ。じゃあ一体誰なのだろう。考えられるとすれば祖父の知り合いという線だが、こんな若い女性が80をとうに超えた爺さんとどういう繋がりなのか、サキには全く想像できない。
「覚える必要はないけれど、ニシキという」
ニシキ?また随分と変わった名前だ。しかしこの不思議な雰囲気を持つ女にはよく似合っている。
父がサキよりも一歩前に進んだ。
「…親父に会いに来たのなら、ここには居ませんよ。家政婦に案内を頼んでください」
親父、とニシキが呟く。そのままサキの父親を黒い瞳で見据えた。
「あなたの父は、この家の主だったのか?」
その質問で祖父の知り合いという線も消えた。ではこの人は一体なぜここに居るのだろう。
ふいにニシキは視線をずらし、一点を見つめた。その視線を追えば先ほどまでサキ達が見ていた家屋があった。気がつくと一羽の鳥が屋根の上に降りている。
「青い…鳥?」
よくよく見るとその羽は青く、おとぎ話に出てくる青い鳥を思い出させた。あんな鳥本当にいたのか。初めてみた。
こちらの視線を察してか、鳥は誰かを誘うようにチチッと鳴いた。
「あそこだな」
そう言ってニシキは縁側から降り、祖父の書斎だという場所へ歩いていく。あまりにも動作が自然だったため、サキも父親も反応が遅れた。たった今気がついたがこのニシキという人物、今まで土足で縁側に立っていたようだ。常識がないのだろうか。
彼女は一直線に家屋を目指しスタスタと歩いていく。
「父さん、あの人何?」
隣で唖然としている父がサキの一言で持ち直し、待ちなさい!とニシキの後を追う。サキもその後ろを付いていこうとした時、座敷の方から声がかかった。
「サキちゃん、どうしたの?今のは誰?」
父のあげた声に反応したらしい。振り返るとこちらに向かって先程まで争っていた3人や、何人かの親戚が集まってきていた。2番目の兄の、派手な妻が近寄ると、むわっとしたきつい香水の匂いが漂ってくる。とっさにサキは一歩退いてしまった。
「知らない。でも親戚でもないし、おじーちゃんの知り合いでもないみたい」
「どういうこと?どこへ向かったの?」
「おじーちゃんの書斎」
林に覆われた書斎は一見ではすぐに見つけられないようだ。あそこだ、と指で示すと、皆が一様に困惑している。なぜあんな陰気なところにとでも思っているのだろう。ただ父の兄達だけがどこか不思議そうに書斎を見つめた。
「おいシュウジ、あんなところにそんなものあったか?」
「さあ…いや待て、あったよ。俺達よくあの周りで遊んで、怒られたじゃないか」
「書斎…?そんなところに行って何をするつもりなのかしら…?!まさか、何か盗もうっていうんじゃ!」
まったく、どれだけ強欲な人なんだろうかこの父の2番目の兄の妻、もといサキの叔母は。香水のきつい叔母が血相を変えて庭へ飛び出していく。
ふう、とため息をついた1番目の兄は、疲れた顔をしていた。サキは激しく同情する。17歳の小娘に同情されたところで、何の意味もないだろうけど。
「シュウジ…お前の嫁なんとかならないのか」
「いやー無理無理。俺の言うことちっとも聞かないから」
無責任。そんな言葉が彼には似合いそうだ。この人と叔母は本当に夫婦なのだろうか。
疲れた顔を一層酷くさせた叔父がそこに居た。
「はあ…まあいい、俺たちもさっさと後を追おう」
祖父の書斎にたどり着くと、ニシキにあの強欲妻が挑んでいた。ともすれば力づくで阻止しようともしかねない強欲妻をまったく気にも留めず、入口の戸を見つめるニシキ。その肩にはあの青い鳥が乗っていた。サキの父はというと、2人からは少し距離を置いて困ったように突っ立っている。
「あなた何者?祖父の知り合いじゃないんでしょう?ここに何のご用かしら?」
強欲妻、もとい叔母の厳しい詰問口調に、ニシキは首だけを動かし相変わらず涼やかな声で答えた。
「簡単に言うなら同業者だ、とだけ言っておく。目的も簡単。壺を消しに来ただけだ。この奥にあるだろう?」
「消しに来た…ですって?!」
盗むではなくて?
叔母は少しでも喉をつけばそう言いそうだ。
「壺…?そんなもの知らないぞ」
「いや、あったよ兄さん」
「シュウジ、知っているのか!」
「たまたま知ったんだ。運よく書斎に滑りこめてね。
けど親父はそれをひた隠しにしていたはずだ。なぜ君がそれを知ってるんだ?」
父の2番目の兄、シュウジ叔父さんが訝しげにニシキを見つめている。しかしニシキは全く気にかけることもなく、再び戸口に目を向けた。そして片手を持ち上げるとそっと戸口に近づける。
すると不思議なことに、ニシキの手は閃光とバチィッという音を伴って戸口から離れた。まるで見えない何かに弾かれたように。周りの人間はその様子に驚いたが、弾かれた手を見てにやり、とニシキは笑った。
「ご丁寧な結界だ。どうせなら生きているうちに来たかった」
もう一度ニシキは戸口に手を伸ばす。次いでバチバチと侵入者を拒絶するように弾こうとする閃光。今度は顔を歪めながらもニシキは微動だにせず、小さく息を吸い、短く言葉を放った。
「解」
瞬間、近づけた手の先で大きく光が舞う。同時にニシキの手から全身へと鋭い衝撃が走る。例えて言うのなら静電気が身体を駆け巡るような感覚だ。
「く…やはり痛いな…」
バチバチと彼女の周りで小さな閃光が現れては消えていく。その異様な光景に誰もが口を開けて佇んでいた。
閃光が全て消えると、あたりは静寂に包まれた。誰も何も発しなかった。その中でニシキだけが次の行動へと移す。つまり書斎の戸を開けるという行動に。
「ま…待ちなさい!」
強欲妻が一足早く我に帰ったようだ。ニシキが中に入ろうとするのを、寸前で引きとめた。
「あなた、自分が何をしているかわかってるの?犯罪!そうよ犯罪だわ!
さっさと出て行きなさい!でないと警察を呼ぶわ!」
「壺さえ消したらすぐに出ていくさ」
カラララ、と乾いた音を立てて戸が開く。
「ここに結界があって良かったな。そのおかげであなた方は歪みに触れずにいられた」
そのまま誰も止める間もなく、ニシキは中へと進んでいった。やっぱり土足だ。中へ入った途端、ニシキの肩に止まっていた青い鳥が、ふ、と消える。
(消えた…マジック?)
幻だったのだろうか。それにしてはリアルだった。でも本物だったとしたら、どうやって消えたのかがわからない。
「あ…あなた!警察を呼んで!」
「俺かよ…」
「早く!」
「はいはい」
叔母はそう言ってニシキに続いて書斎に入ろうとしたがしかし、それは叶わなかった。ニシキが最初弾かれたように、叔母も弾かれたのだ。戸は既に開いているのに。
「痛…っな、なんなのこれは!」
その問いには誰も答えなかった。否、答えられなかった。唯一答えを知っている者は既に書斎の中だ。その人物は、こちら側に背を向けて部屋の真ん中で立ち止まっていた。
「やはり変わっていたか…」
書斎に入ると、すぐにニシキは目的のものを見つけた。壺は部屋の奥、入口からまっすぐの床板に飾られていた。
あの理事長の壺と同じ、特に見た目におかしいところはないただの壺。細部が少し違うが、美しい赤色の椿が描かれている。ニシキには壺の良し悪しなど検討もつかないが、書斎に飾られたそれは和の空間に綺麗におさまっていた。見るものが見たのなら、この景色は唸るものがあるのだろう。
しかしニシキの目にはそうは映らない。
「持ち主め、本当に死んだことが悔やまれるな。次にこれに触れた者は確実に不幸になる。
…わかっていて、尚手離さなかったのか」
忌々しげにニシキが壺を睨みつけていると、背後からまた短い悲鳴が聞こえてきた。結界に触れたか。ニシキとしてはこちらに人が入ってこない方がやりやすいので、むしろ好都合だ。
目に見えないが書斎の周りには厳重にかけられた結界がある。いかに戸が開いていようが、窓が開いていようが、それを破る術を持たなければ書斎に入ることはできないのだ。
「もう!なんなのこれは!!」
2回目も弾かれ、叔母は顔を赤くさせ激昂している。この家の物は叔母の物ではないというのに、何をそんなに怒っているのかサキは不思議だ。他人に奪われるのは我慢ならないということなんだろうか。強欲な人の考えはわからない。
「結界だよ」
書斎の中から、涼やかな声が届く。ニシキがこちらに背を向けたまま何かを言ったようだ。突然だったので、サキは今彼女が何と言ったのか、聞き逃してしまった。
「結界。無理して入ると怪我をする。ここの持ち主は結構な術者だったみたいだ」
なんだかサキは突然に、オカルトだかファンタジーな世界に入り込んでしまったらしい。結界?術者?意味がわからないが、書斎の入口から入れないのは事実のようだった。
(…それなら)
正面から書斎の右側へと周ってみる。思った通り窓があった。結界がこの書斎全体と言うのならもはや打つ手はないが、試してみる価値はある。入口から入れないのなら、別のところから入れば良いのだ。小柄なサキであればこの円形の窓からでも入りこめるだろう。
サキはそう思って、窓枠に手をかけた。あ、いけそう。そう思った時のことだった。サキが触れた場所から、ニシキや叔母が触れたときとは全く違う目も眩むような閃光が駆け巡った。あまりにも眩しくて、思わずサキは小さく悲鳴をあげた。
カッ、とニシキの背後から光が走ってきた。何事かと後ろを振り返ると強い光の眩しさに目を細めてしまう。その瞬間、書斎を取り囲んでいた結界の気配が薄まっていくのを感じた。
「結界が解けた…?」
あれほど厳重だった結界が一瞬で崩れるとは。誰かが解いたのだろうが、先程みた連中に術者の匂いはしなかったはずだ。だとすると初めから、決まった誰かが触れたら解けるように設定されていたのだろうか。
まあ何にせよ、これからすることに変わりはない。ニシキは冷静に判断して、壺へと身体の向きを戻した。
「…なんだ今の光は…?!お、おい、入れるぞ!」
入口の方から、叔父の驚きに包まれた声が聞こえた。直後、書斎の中へと入っていく足音。サキも急いで入口まで戻り、中へと続いた。その間にも、頭の中には疑問の声がいっぱいだ。
一体今のはなんだったのだろうか。それにどうしてさっきまで入れなかった書斎に皆入れている?サキが触れたことによって結界とやらが消えてしまったのだろうか。
――――結界が解けたか。
ゆるやかな、しわがれた低い男性の声がサキの耳に入ってきた。どこかこもっている声だった。この場にいる人間の誰かが喋ったのだろうと周りを窺うが、全員が声の主を探しているかのような目だった。ただニシキだけが、いつまでもこちらに背を向けている。そして壺に向かってこう言ったのだった。
「持ち主だな」、と。
「持ち主だな」
――――いかにも。
ニシキの背後で、息を呑む人々の気配がした。見なくても感じ取れる雰囲気がなんとなく面白くて、ニシキの顔はつい笑いの形に歪む。それもそうだろうな、と。なにせ声が聞こえるのはこの壺からなのだから。
壺の模様にある赤い椿が、まるで生きているかのように煌めく。ニシキの笑いの形が、そのまま引きつった。
「壺に宿ったのか」
――――そうだ。
「その声…その声はもしかして親父か?!」
ニシキの背後にいた男性の一人が、信じられないとでも言うような声をあげた。その問いに、壺はまた短く肯定した。
――――私の身体はもう長くは保たなかった。だから壺に宿り、次の持ち主を待つことにしたのだ。
「何のために」
――――私の目的のために。…貴様はあの“竜人”だな。
「私を知っているとは予想外だ」
あまりの展開に驚き、固まっている人間達をよそに、ニシキは静かに壺の前に膝をついた。
――――もう一つの壺を消したのはお前だろう。あれとこれは対だ。だからなぜ消えたのかぐらいわかる。
「…もうそれは幸福の壺ではない。災いを招く種となろう。宿る前に気がつかなかったのか?」
――――人というのは欲に駆られると何も見えなくなるものだ。気がついたのはこの壺に宿ってからだよ。
…私を消すのか?竜人よ。
「無論だ」
ニシキの答えに、壺はただ「そうか」、と何かを諦めたような声を発するのみだった。壺の存在を隠し、書斎に厳重な結界をはっていたにしては、この術者は諦めが早い気がした。
――――私の結界を解いたのはあの娘だな。
言われて、ニシキは振り返って書斎の人間を一人一人見つめ、その中に壺の言う少女を見つけた。ニシキに見つめられた少女は狼狽えながら見返すだけだった。どうやって彼女が結界を解いたのだろうか。そんなニシキの心の疑問を量ったように、壺は答えた。
――――私の血を最も濃く受け継いだ娘とよく似ている。本来ならばその娘が解くはずの結界だった。
貴様が破ったことによって、結界の力が少し薄まったから解けてしまったんだろう。
…竜人よ、お前も必ずあの娘に会う日が来るはずだ。
ニシキはくすくすと笑って、答えた。
「その存在が世の理を歪めるのなら、会うかもしれないな」
時間だ、とニシキは壺の真上に手をかざした。ふと、疑問に思って壺に訊ねる。
「別れの挨拶でもしておくか?」
確か後ろの連中にはこの壺の宿主を親父と言っていた人間もいたはずだ。別れの挨拶くらいさせてもいいだろうと思う。しかし、壺の宿主はその気遣いを否定した。
――――よい…私と親しくしていた者は、ここにはおらん。
「そうか」
ならお別れだ。
「滅」
理事長の壺と同じ時のように、壺は粉々になり散っていく。
――――竜人よ。忘れるな。お前もここにあってはならぬモノの一つだということを。
竜と人の――
「余計なお世話だ」
強い口調でニシキは壺の言葉を遮り、思い切り顔をしかめた。この壺、最後にいらんことを言いやがって。
やがて壺が跡形もなくなると、ニシキは立ち上がり入口の方を振り向いた。
「壺が…」
「消えた…」
呆気にとられた様子の人々の中に、一際強い視線でこちらを見据える姿があった。結界を解いたという、あの少女だった。しばらくニシキと少女はにらみ合いにも等しい視線を放っていると、少女がおもむろに口を開いた。
「あなたは…何者なの…?」
ニシキは笑いながら、さっきもこう言っただろう、と返す。
「私はニシキと名乗ったはずだよ。人は私を破壊者とも言う。けれどこうも言ったはずだ。
覚える必要が無い、と」
ニシキの周りの空間が歪む。並みの人間にはきっと霞がかかったようにニシキの姿は映っていることだろう。少女はニシキの言ったことに更に訝しげになりながら、じっと見つめていた。
「飛」
そう小さく呟くと、ニシキの身体がさらに朧げになっていく。少女を含めた人々はもはや理解を超えた現象にただ立ち尽くすばかりだった。
「それじゃ」
その一言を最後に、ニシキが消えた。あとにはその名残のような霞だけ。
「ニシキ…」
自分の声にハッとして、とサキは驚いた。そこは見慣れない和室だった。どこだここは、と一瞬パニックに陥る。きょろきょろと見渡すと、本棚に囲まれた狭い空間になぜか父も見知った親戚もいて、皆同じように不思議な顔をして突っ立っている。
「なに…ここどこ?」
「ここは…親父の書斎?」
「なんでこんなところに…」
やはり皆、自分がどうしてここにいるのかわからないようだ。皆でそろって座敷に居たはずなのに、いつの間にか祖父の書斎に来ていただなんて、まるで狐にでもつつまれたみたいだ。
「皆様方」
突如現れた声に、皆一斉にそちらを振り向く。…あれ、こんなことが前にもあったような気がする。
振り向いた先に居たのは、祖父に長年使えていたという家政婦だった。
「弁護士の方がお見えになりました。どうぞ、座敷にお戻りください」
「え、ええ…」
家政婦に連れられ、叔母を筆頭に、そそくさと座敷へと戻る。書斎の外に出ると、どうやら庭園の端に作られていたものだった。その時に気がついたが、叔母はなぜか靴もはかずにここまで来ていたらしい。他は全員靴を履いているが、一体何があったら彼女一人だけが靴もはかずに書斎にいたのか。謎は深まるばかりだ。
そのまま座敷に戻るのは嫌だとごねた妻を見かねて、夫は渋々彼女を背負った。
「嫌だわもう。まるでお義父様に呼ばれたみたいじゃない」
「全くだ…」
「親父はどことなく不思議な人だったしな…」
そんな風にぼそぼそと喋っているのを横で聞きながら、サキはふと書斎の方を見る。
「どうしたサキ」
横に居た父が不思議そうにサキに話しかけた。しかしサキは書斎を見続けたまま、何かを思い出そうとしていた。
(ここで、何かあったはずなのに。何かあったはずなのに、全く思い出せない。)
そういえば、我に帰る前にサキは何かつぶやいた気がする。一体何と呟いたのだったか。
「サキ?」
「私…ほんのさっきまで、誰かと知らない人と話していたような気がする…」
「知らない人?誰だ?」
「…さあ」
さっきまであったはずの記憶が、砂のようにこぼれおちていくのを、サキは止めることができなかった。
「おかえり」
かぐわしい匂いが立ち込めた店と、静かな声がニシキを迎えた。
「良い匂いだな。今日はなんだ?」
「シチューだよ。2階に用意してある」
シチューか、とニシキは嬉しそうに反復する。気分は良妻を持つ夫の気分だ。この場合、スバルとニシキの性別が逆だから良夫になるのか。どちらにせよ、お腹をすかせて帰ってきて、すぐにご飯にありつけるというのは幸せだ。
店の奥、ニシキの机の更に奥には2階へ通じる階段がある。2階は居住スペースだ。コートを脱ぎ、机の隣に置いてある客用ソファ、とは言い難いがそれでもその役割を担っている、一人掛けソファにバサっとコートを投げ、愛用の椅子に腰かける。
するとスバルがほんの少し片眉をあげた。
「皺になるよ」
「別にかまわないよ」
スバルが無言でコートを取り、ニシキの椅子へとかける。別にそこでも大差はないと思うが、ニシキはそういったことに無頓着だ。別に皺がよろうが穴があこうが、着れれば問題はない。
「持ち主には会えたの?」
「ああ。既に身体は亡くなって、壺に宿ってたがな」
「へえ」
おや、驚かないな。ニシキの後ろで椅子に手をあてたまま立っているスバルを見上げると、いつも通りの静かな目だった。
「そういえば…お前の作った鳥、道中何人か視えてる人間がいた。お前らしくないミスだな」
「あれはわざとだよ」
「わざと?」
こくり、と首を傾けて肯定するスバル。
「幸せを見つけるのは青い鳥って聞いたことがあるから」
「…だから?」
「視える人間はきっと幸せになりたいって思う人たちってこと」
やっぱり、スバルはロマンチストだな。そんな視線を送ると、珍しくスバルは微笑を浮かべた。内心おおレアだな、なんて思う。美少年が浮かべる笑みというのはそれだけで見応えがある。眼福、眼福。
とにもかくにも、仕事も終わったし今は夕食だ。スバルはなかなかに料理上手だ。わりと幸福なんてこんなもので良いんじゃないかとニシキは思う。
さて飯だ飯だ、とニシキは立ち上がって階段へ向かった。
「今回は不幸を探すものになってしまったけど、幸福を追い求めることは良いことだと思うからね」
「この人間好きめ」
切るにも切れず、えらい長くなってしまいました。
まだまだ波乱万丈な展開にはならないです。イコール、ニシキちゃんのお相手フラグはまだまだ先っす…。はやく出したい。けど出せない。