ゴーレムとの戦い
その夜、アレンは約束の時間きっかりに私の部屋に現れた。
窓が、キィ、と小さな音を立てて開く。
私はもう、その音に恐怖を感じることはない。
むしろ、待ちわびた音楽の最初のファンファーレを聞くように心を躍らせていた。
彼は昨日と同じ椅子に腰を下ろし、私の興奮の息遣いが落ち着くのを待ってから静かに語り始める。
「さて、どこまで話したかな。……そうそう、神殿の最奥で黒曜石のゴーレムと対峙したところだったね」
アレンの声が瞬時にして、私をあの古代神殿の、ひんやりとした石の空間へと連れ戻す。
目の前には月光を吸い込んで鈍く輝く、巨大な石の巨像。
ミランダの剣戟も、アレンの魔法も通じない、絶望的な守護者。
「ミランダの剣が火花を散らして弾かれる。私の放った炎の矢も、氷の槍もその黒い肌に触れる前に霧散してしまう。ゴーレムはただゆっくりと、しかし着実に私たちの方へ、一歩、また一歩と歩みを進めてくる。ズシン……、ズシン……、とその足音が神殿の床を。そして私たちの緊張を直接揺さぶるんだ」
彼の語りは、ただの状況説明ではない。
その場の空気、音、そして焦燥感や絶望といった感情までもが言葉に乗って、私の肌に突き刺さってくる。
私は思わず、シーツを強く握りしめていた。
「『ちくしょう! こいつ、不死身か!?』とミランダが悪態をつく。彼女の額からは脂汗が流れ落ち、その呼吸は激しい戦いで乱れている。私も使える魔法のほとんどをすでに試していた。万策尽きた、と思った」
その時。
ゴーレムが、大きく腕を振り上げた。
「ゴーレムの腕が天井の亀裂から差し込む一筋の月光を一瞬だけ遮ったんだ。するとどうだろう。ゴーレムの動きがほんのわずか、コンマ一秒にも満たない時間だけ鈍ったように見えたんだ。その時、思わず私は叫んでいた」
『ミランダ! 光だ! こいつの動力源は光そのものだ! 台座にある羅針盤が月の光を集め、このゴーレムに力を与えている!』
――羅針盤の名は『陽光の羅針盤』。
それは、その名に反して太陽の光だけでなく月光を含めたあらゆる光を魔力に変換して、幻惑を打ち払うことも、またその魔力を別の魔法のエネルギー源に変えることもできる古代の超魔導具だった。
『光が動力源だって?』
ミランダが、信じられないというような声を上げる。
『じゃあ、どうするんだい、アレン! あんたの魔法で夜を呼べるのか!』
『無理だ! だが、影なら作れる!』
アレンの計画は無謀そのものだった。
ミランダがゴーレムの注意を全力で引きつけ、時間を稼ぐ。
その隙にアレンが、彼の持つ魔力の全てを注ぎ込み、羅針盤の上に一時的に影の空間を作り出す、というもの。
失敗すれば二人とも、この石の巨人に塵も残さず踏み潰されるだろう。
「私はミランダに聞いた。『……できるか?』と。すると彼女は不敵に、ニヤリと笑って見せたんだ」
『誰に言ってるんだい、この臆病者の魔術師。あたしを誰だと思ってるんだ』
「そう言うと彼女は雄叫びを上げ、ゴーレムに向かって真正面から突進していったんだ。それはもう、戦いというよりも舞いのようでね。巨人の振り下ろされる拳を紙一重でかわし、薙ぎ払われる腕の下を滑るように潜り抜ける。彼女の赤い髪が残像となって、黒曜石の巨人の周りをめまぐるしく踊る。彼女は、自分の命を完全に私に預けてくれていた」
アレンの声が、かすかに震える。
それは、恐怖からではない。
極限の状況における、相棒への絶対的な信頼と感謝の念からくる魂の震えだ。
「私は詠唱を始めた。私の人生で、あれほど精神を集中させたことは後にも先にも一度もなかっただろう。全身の血が沸騰するような熱さを帯び、指先から魔力が奔流となって溢れ出していく」
『闇よ、来たれ! 光を喰らう、静寂の帳よ!』
「私の呪文が完成した瞬間、羅針盤が放っていた穏やかな光が、まるで闇に吸い込まれるように一点へと収束して、消滅した。そして次の瞬間」
ゴゴゴゴゴ……。
という、地鳴りのような音。
「ゴーレムの動きが完全に止まった。振り上げていた拳を中空に留めたまま、まるで時間が止められたかのように、ぴたりとね。そして、その黒曜石の体のあちこちから、パラパラと小さな石片が剥がれ落ち始めたんだ。やがて、その全身に蜘蛛の巣のような亀裂が走り……ガラガラガラガラ!という轟音と共に、ただの石くれの山となって崩れ落ちたんだ」
長い、長い沈黙。
物語の興奮が、静かに部屋の闇に溶けていく。
私とアレンの安堵のため息だけが、その静寂の中で小さく重なった。
こうして、二人は『陽光の羅針盤』を無事に手に入れたのだという。
「……ミランダは、すごい人なのね」
私がぽつりと呟くと、アレンは、ふ、と優しい笑い声を漏らした。
「ああ、全くだ。彼女がいなければ、私の冒険など最初の街の酒場でとっくに終わっていたよ」
その声にはミランダへの、愛情ともいえるほどの深い想いが満ちていた。
けれど、その温かい響きの奥底に、ほんのわずか。
氷の破片のような冷たい悲しみが隠されていることに、私は気づかないふりをした。
それからというもの、アレンの夜の訪問は私の日常の、かけがえのない一部となっていった――。




