それから
――それから幾許かの時が流れた。
父は目の前で起きた奇跡を、そして娘を救うためにその身を捧げたアンデッドの気高い魂を前に全てを理解した。
父は私とアレンに謝罪し、そしてアレンの亡骸を丁重に弔うことを約束してくれた。
宮廷から呼ばれた魔術師は、私の目を治した魔法が失われた神聖魔法の中でも最高位に位置する『完全治癒魔法』であったのだろうと驚愕した。
私は自分の手で教会の床に散らばったアレンの骨をひとつひとつ丁寧に拾い集めた。
そして清められた骨をミランダが眠る我が家の墓所の一角に、共に埋葬した。
これで二人は、ようやく本当の意味で再会できたはずだ。
季節は巡り、柔らかな陽射しが庭園に降り注ぐ午後。
私は屋敷の庭に設けられた白いガゼボの下で、久しぶりのお茶会を楽しんでいた。
テーブルには純白のレースのクロスが敷かれ、その上には可憐な絵付けが施された磁器のティーカップと、色とりどりの焼き菓子が並べられている。
かつて私の指先だけで感じていた世界は今、圧倒的な色彩の洪水を伴って私の目の前に広がっていた。
「それにしてもよかったわ、エリアーナが元気になって」
琥珀色の紅茶を優雅に口に運びながら、向かいに座る友人の令嬢のセシリアが微笑んだ。
彼女のドレスは淡いピンク色で、今日の晴れやかな空気にとてもよく似合っている。
「本当ね。事故に遭ったと聞いた時は、どうなることかと……。私たち、ずっと心配していたのよ」
もう一人の友人、リリアナも深く頷く。
彼女の瞳が潤んでいるのを見て、私の胸が温かくなる。
私が光を失っていた間、彼女たちがどれほど心を痛めてくれていたのか、その表情を見るだけで痛いほど伝わってくるのだ。
「ごめんね、二人とも。随分と心配をかけてしまって」
私は心からの謝罪と感謝を込めて微笑んだ。
視界があるというのは、なんと素晴らしいことだろう。
相手の表情を見て、その心の機微を読み取ることができる。
言葉以上のものを伝え合うことができる。
「それで? 気になるのはそこじゃないのよ」
セシリアが身を乗り出し、声を少しだけ潜める。
その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。
「その奇跡的な回復魔法を掛けてくれたという、通りすがりの魔術師様のことよ。一体どうなったの?」
「惚れた? 惚れちゃった? 命の恩人でしょう? まさか追いかけて捕まえちゃうとか?」
リリアナも悪戯っぽい笑みを浮かべて畳み掛けてくる。
私は苦笑しながら、ティーカップをソーサーに置いた。
カチャリ、と澄んだ音が鳴る。
「もう……。彼と私は、そんな関係じゃないわ」
私は二人の期待を裏切るように首を横に振った。
「そりゃあ、少しは素敵だなって思ったけど……。彼には、心から愛した大事な女性がいるんだもの」
「なーんだ」
「ラブロマンスにはならないのね。がっかりだわ」
二人はあからさまに肩を落として見せた。
その様子がおかしくて、私はくすくすと笑った。
――アレンが死者であり、動く骸骨であったという事実は父とアネット、そして私。
また、あの日駆けつけた者たちだけの秘密として伏せられた。
対外的には、旅の途中で屋敷の近くを通りかかった高名な魔術師が私の境遇に深く同情し、秘術を用いて視力を回復させてくれたということになっている。
そしてその魔術師は名乗ることもなく、礼も受け取らずに風のように去っていった、と。
もし彼が『蘇った骸骨』であり、しかもかつてこの家に嫁いだ先祖に復讐するために現れたのだなどと知れれば、ブラッドフォード家の名誉に関わるだけでなく、私自身も『死霊術に関わった娘』として教会から異端の疑いをかけられかねない。
何よりアレン自身がそれを望まないだろう。
彼は最後、ただの誇り高い一人の冒険者として消えていったのだから。
嘘をつくことにはなるが、彼ならきっと『私の骸骨姿が世間の噂になるよりはずっといい』と、あの顎の骨を鳴らして笑って許してくれるに違いない。
「お嬢様方、お茶のおかわりと新しいお茶菓子をお持ちいたしました」
タイミングよく、アネットが銀のトレイを持って現れた。
彼女の足取りは軽く、その表情は明るい。
「ありがとう、アネット。今日のマドレーヌは一段といい香りね」
私が声をかけると、アネットは嬉しそうに目を細めた。
「はい。料理長が、お嬢様の全快祝いにと特別に蜂蜜をたっぷり使って焼き上げたのです」
アネットは私のあの無謀な脱出劇に加担したことで、父から厳しい叱責を受けた。
一時は解雇さえ覚悟したようだったが、数日間の謹慎だけで済んだのは結果的に私が視力を取り戻し、無事に帰還したからこそだ。
父は「今回だけは目を瞑ろう。だが次は無いぞ」と鬼のような形相でアネットと、そして私にも強く釘を刺した。
もちろん、あんな冒険はもう二度とないだろう。
私の人生における最初で最後の大脱走劇だったのだから。
アネットが紅茶を注ぐ豊かな香りが風に乗ってふわりと漂う。
私はその湯気を見つめながら、アレンが語ってくれた砂漠の夜の香辛料の効いたお茶の話を思い出していた。
「ところで、エリアーナ先生?」
マドレーヌを頬張りながら、セシリアが改まった口調で私を呼んだ。
「次の本は、いつ出るの? 私、待ちきれないわ」
「そうそう! 前回の引きが意地悪すぎるのよ。アムン・ラーの神殿を見つけて、二人が中に足を踏み入れたところで終わってるじゃない! 続きが気になって夜も眠れないの!」
リリアナも身を乗り出して訴える。
そう、私は今、執筆活動を始めていた。
ペンネームを使い、一冊の冒険小説を自費出版したのだ。
タイトルは『太陽と風の追憶』。
「もう、気が早いわね。まだもう少しかかるわよ。神殿のトラップの描写が難しくて推敲を重ねているところなの」
「えーっ! お願いだから早く書いて! あの女剣士ミランダの活躍がもっと読みたいのよ」
「アレンの知的な謎解きも素敵よね。二人の掛け合いが最高だわ」
友人たちの感想を聞くたびに、私の胸の奥がじんわりと熱くなる。
私は、アレンが毎夜語ってくれたあの数々の冒険譚を一冊の本にまとめて出版することにしたのだ。
私の記憶の中にだけ留めておくには彼らの物語はあまりにも鮮やかで、そして美しかった。
父の許可を得て屋敷の倉庫や古い文献を調べ、ミランダ様が実家に書き送っていた手紙や、彼女が遺した武勇伝の断片を集めた。
それらをアレンが語ってくれた物語をベースに組み込み、リアリティを持たせて再構築していく。
それは私にできる唯一の、そして最大の彼らへの供養だ。
世の中の人々にとって、アレンとミランダ様は私の頭が生み出した架空の登場人物として映るだろう。
それでいい。
誰も信じなくていい。
でも、私は知っている。
彼らがこの世界に確かに存在し、砂漠を旅し、森を駆け抜け、天空の都市を目指して共に笑い、共に戦ったのだということを。
その魂の輝きが作り話などではない真実であることを。
「ふふ、頑張るわ。次はゴーレムとの戦いよ。すごい迫力なんだから」
「キャーッ! 楽しみ!」
友人たちの笑い声が平和な午後の庭に響く。
ふと、強い風が吹き抜けた。
ざあ、と木々が揺れ、花壇に咲き誇る鮮やかな花々の花弁が舞い上がる。
無数の花びらが風に乗って、どこまでも高く澄み渡る青い空へと吸い込まれていく。
私はその光景を目で追いかけた。
光を失っていた頃は、ただ肌で感じるだけだった風。
今は、その風が運ぶものの美しさを、この目で見ることができる。
空の青さはアレンが語ってくれた天空都市から見た空の色と同じだろうか。
舞い上がる花びらはミランダ様の赤い髪の色に似ているだろうか。
風の音が、あの日バルコニーで聞いた、カシャカシャという骨の音に少しだけ似ている気がした。
「……綺麗ね」
自然と口から言葉がこぼれ落ちた。
世界はこんなにも美しい。
光に満ち、色に溢れ、生命が息づいている。
アレンが私に返してくれたこの光。
ミランダ様が必死に生き抜いて繋いでくれたこの命。
私は大切にしようと思う。
悲しみも、苦しみも、全てを受け入れて。
彼らが愛し、駆け抜けたこの世界で、私は私の足で、しっかりと大地を踏みしめて生きていこう。
いつかまた、魂の巡り合わせで彼らに再会できた時。
「私の人生も、あなたたちに負けないくらい素敵な冒険でしたよ」と、胸を張って語って聞かせることができるように。
「さて、お茶のおかわりはいかが?」
私は微笑んで、友人たちに向き直った。
テーブルの上で、ミランダ様の紋章が入ったあのブローチが陽光を受けてきらりと誇らしげに輝いていた――。




