だらしない天才魔女を俺は手放せない
フレイム王国唯一の最高学府、王立魔術学院。その最高学年の教室は、今日も静謐な空気に包まれていた。だが、その静けさの裏で、一つの噂がさざ波のように広がっていた。
「やあレイヴン、聞いたかい? 新学期から編入生が来るらしいよ」
休み時間、窓際で魔導書を読んでいた俺、レイヴン・ヴァンタに声をかけてきたのは、この国の第一王子であり、俺の親友でもあるエンバー・レッド・フレイムだった。
「編入生? この最高学年でか?」
俺は呆れて本を閉じた。
この学院は実力主義だ。途中編入、それも卒業間近の最高学年に入ってくるなど前代未聞である。
「ああ。なんでも、学院に入ったという『実績』だけが欲しい天才らしい。学ぶ必要がないほど優秀なんだとか」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
俺は鼻で笑った。
俺はエボニー伯爵家の令息として、そして魔力量210という桁外れの才能を持つ『秀才』として、誰よりも努力を重ねてきた自負がある。
入学当初こそ、エンバーや他の優秀な貴族たちと成績を競り合っていたが、今では俺が不動の首位だ。
「学ぶ必要がない天才なんて、最近魔法で人工知能を作ったとかいう噂の天才魔術師くらいだろ」
俺の軽口に、エンバーは苦笑した。
数日後、その『天才』が教室に現れた時、俺は自分の目を疑った。
壇上に立ったのは、あどけない少女だった。
「え、えと……初めまして。シアン・アズールです……よ、よろしくお願いします」
猫のような大きな瞳をした少女は、緊張で声を震わせ、何度も言葉を噛んでいた。年齢は14歳だと聞いた。俺も彼女と同じく飛び級だが、俺の場合は14歳で1年だ。
だが、俺が注目したのは彼女の首元だった。チョーカーに、青い魔石の指輪がぶら下がっている。
(仕草が貴族じゃないな…平民か……)
休み時間、エンバーと共に彼女に話しかけてみた。
「君がシアンか。よろしく」
「あ……はい、王子殿下。よろしくお願いします」
エンバーが微笑むと、シアンは嬉しそうに頬を緩めた。そのぎこちない笑顔を見た瞬間、俺の胸がドクリと跳ねた。
なんだ、この感覚は。
俺は動揺を隠すように、わざと意地悪く魔力を探ってみた。
「……ふん。魔力量102か。俺の半分もないじゃないか」
俺の言葉に、シアンはきょとんとした顔をした。
「これで天才? 親が金を積んで無理やりねじ込んだ箱入り娘の間違いだろ」
「レイヴン、言い過ぎだ」
エンバーが窘めるが、俺は止まらなかった。期待外れだったのだ。初めての胸の高鳴りの反動は、攻撃的な態度となって表れた。
「両親は?」
「えーっと……死にました」
シアンが淡々と答えた瞬間、場の空気が凍りついた。
俺は言葉を詰まらせ、気まずさに顔を背けた。
それからの日々、シアン・アズールという少女は、俺の常識を次々と覆していった。
彼女は朝にめっぽう弱いらしい。毎朝、隣室の公爵令嬢ガーネット・ヴァーミリオンに、まるで荷物のように引きずられて教室に来る。
「シアン! 起きなさい! 遅刻するわよ!」
「うぅ……あとごひゃくねん……」
授業中もよく船を漕ぎ、教師にチョークを投げられている。
エンバーは「ガーネットがいつもシアンの世話を焼いていて羨ましい」などと呑気なことを言っているが、俺は内心、彼女を馬鹿にしていた。
やはり、ただのコネ入学だ。学ぶ気も才能もない。
そう思っていた。最初の定期試験の結果が出るまでは。
廊下に張り出された順位表。俺はいつものように一番上を見た。
そこに書かれていた名前は、『レイヴン・ヴァンタ』ではなかった。
『一位 シアン・アズール 総合点 998点』
「は……?」
二位の俺との点差は、歴然としていた。この学院の試験は難解で知られ、専門科目以外は半分取れれば御の字と言われている。
なのに彼女は、ほぼ全科目満点だった。
俺のプライドは粉々に砕け散った。
それ以来、俺はシアンを敵視し、ことあるごとに突っかかるようになった。
「おいシアン、また寝てたのか? そんなんじゃ成績は良くても就職先が見つからずに野垂れ死ぬな。」
「ん……レイヴン、おはよ。今日も元気だね」
俺が嫌味を言っても、シアンはどこか嬉しそうに目を細める。
その反応がまた、俺の調子を狂わせるのだ。
ある日の実技授業。ペアを組むことになった俺は、シアンを怖がらせてやろうと画策した。
彼女が以前、クラスメイトとの会話で「嫌いな魔法」として挙げていた特級魔法『炎の檻』。これを寸止めで使ってやろうと思ったのだ。
「行くぞ、シアン!」
俺は詠唱を始めた。だが、シアンを直視した瞬間、恐怖がよぎった。もし当ててしまったら?
その一瞬の迷いが、魔法の制御を乱した。
『炎の檻』は暴発し、狙いを外れて爆発。あろうことか、その炎の奔流が俺自身に向かって逆流してきたのだ。
「しまっ……!」
俺の膨大な魔力量も相まって、安全装置の簡易結界がガラスのように砕け散る音が聞こえた。
死ぬ――そう思った直前。
閃光が走り、迫りくる特級魔法の炎が、瞬時に別の何かへと書き換えられていく。
熱波が消え、代わりにポン、という間の抜けた音がした。
俺はおそるおそる頭に手をやった。
そこには、フワフワとした感触の『猫耳』が生えていた。
「……は?」
「うん、無事だね。よかった」
シアンは平然と言った。
俺は彼女に詰め寄った。特級魔法を瞬時に変換するなど、彼女の魔力量で可能なはずがない。
「おい! どうなってるんだ! お前の魔力量で足りるわけがないだろ!」
「……私、回復力だけは一般人の十倍近くあるから。瞬間的な出力より、回転率で補ったの」
そう言って彼女はあくびをした。
俺の頭の猫耳は、それから一週間消えることはなかった。その間、俺はシアンの実力を認めざるを得なかった。
俺は少し態度を改めようとした。友達になろうと、優しく話しかけてみたのだ。もちろん、1週間後。
「その……この前は悪かったな」
「ふふ、レイヴンが謝った。猫耳似合ってたよ。もっかいつけてあげようか。」
「うっせぇ! お前がつけろ!」
結局、俺たちは元の喧嘩友達のような関係に戻ってしまった。だが、そこに以前のような憎しみはもうなかった。
しかし、面白く思わない者もいた。
シアンへの嫌がらせが始まったのだ。机が燃やされたり、椅子に触れると砂になる魔法がかけられたりした。
俺は犯人を探していた。そして昼休み、偶然教室に戻ると、普段誰もいないはずの教室に人影があった。セーブル伯爵令嬢のセピアが、シアンの愛読書である『魔法陣の教科書』を破こうとしているところだった。
「何をしている!」
俺が叫ぶより早く、異変が起きた。
「何すんだよ!!!」
どこからか怒号が飛んだかと思うと、教科書がひとりでに浮き上がり、怒り狂ったようにページを羽ばたかせ、セピアに攻撃を開始したのだ。
セピアは悲鳴を上げて腰を抜かした。
そこへ、クラスメイトたちが戻ってきた。俺とガーネットはセピアを問い詰めた。
セピアは泣きながら、父親であるセーブル伯爵に言われてやったこと、シアンの教科書に攻撃されたことを訴えた。だが、誰も「教科書が攻撃した」など信じなかった。
「……ブークを改造したの。自衛機能付き」
騒ぎの中、シアンがさらりと言った。
その瞬間、俺たち全員が理解した。
魔法で人工知能を作ったという噂の天才魔術師。それは間違いなく、目の前にいるシアン・アズールなのだと。
季節は巡り、卒業の時期が近づいていた。
世間では三賢者の一人が魔力暴走で死亡したというニュースが流れていた。老齢による焦りで無理な研究を重ねたのが原因だと言われていた。
普段であれば中年の魔術師で1番実力のある者が選ばれるだろうが、今度の次期賢者にはシアンが選ばれるだろうと、誰もが噂していた。
「シアンが賢者か……」
俺は焦っていた。彼女は遠くへ行ってしまう。
俺は宮廷魔術師を目指すことにした。夏冬年2回ある選抜試験では学力以外にも思考力や体力、忍耐力なども問われるため、通常は夏に行われる試験を本命として冬の試験は模試として受ける者が多いが、俺は卒業直後の冬の試験を本命とした。シアンの近くにいるために。
「無理するなよ、レイヴン」
シアンに心配されるほど、俺は死に物狂いで勉強した。その甲斐あって、俺は冬の試験に合格した。卒業式の記憶がないほどに疲弊していたが、心は晴れやかだった。
卒業直後、予想通りシアンは三賢者に任命された。
俺は合格の報告をするためにも、彼女の家を訪ねた。
ドキドキしながら扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは――足の踏み場もない汚部屋だった。
「……お前、これはないだろ」
「あ、レイヴン。いらっしゃい。ちょっと散らかってるけど」
ちょっとのレベルではない。
俺はその日から、自分の広報の仕事の合間を縫って彼女の世話をすることになった。
広報の主な仕事は、地方を回って幼児に魔法の絵本「ダイヤモンドと魔術師」を読み聞かせるというものだ。言わずもがな不人気の部署で、俺がイケメンだからちょうどいいということで配属された。
「ダイヤモンドと魔術師」はダイヤモンドクイーンという魔物を、魔術師が強大な魔力で焼き尽くし、ダイヤモンドを手に入れるというありふれた英雄譚だ。
そんな俺の様子を知った国王は、シアンの健康管理のため、俺を三賢者補佐に任命した。
周りからは「メイド」と嘲笑されたが、俺は嬉しかった。広報から外されたこともあるが、何よりも、一番近くで彼女を支えられるのだから。
だが、平穏は長くは続かなかった。
国王がシアンに結婚を勧めたのだ。シアンは面倒くさそうに「適当にする」と言い出し、見合いの話が進み始めた。
「ふざけるな! どこの馬の骨とも知らん奴に!」
俺は全力で見合いを妨害した。だが、シアンはやめようとしない。
焦燥感が限界に達した時、俺は叫んでいた。
「だったら俺にしろよ! 俺が一番お前のことをわかってる!」
シアンはきょとんとした後、パッと顔を輝かせた。
「そっか。レイヴンなら、国王もうるさく言わないね」
彼女はチョーカーにつけていた青い魔石の指輪を外すと、俺の左手の薬指にはめた。
「これ、結婚指輪ってことで」
「……お前なぁ」
色気も何もないが、それがシアンらしかった。
翌日、国王に報告すると結婚式は来年の春、大々的に行うと決定した。シアンは最悪だと布団に引きこもった。
今までと大して変わらない生活に幸せに浸っていると、第一王子エンバーの暗殺未遂事件が発生した。茶に毒が盛られていたらしい。飲む前に本人が気づいたようで、未遂で終わった。実行犯はその場にいたメイドということで、すぐに捕まった。
魔力の少ない第二王子派の陰謀が囁かれる中、シアンはエンバーの護衛に任命され、北の地の視察へ同行することになった。俺も補佐としてついて行った。
極寒の北の地。雪原を眺めていると細氷が見えた。他の魔術師たちも綺麗だ、初めて見たと口にしていた。だが、段々と様子がおかしくなってきた。初めて見るが、それでもわかる。細氷が不自然に舞っている。まるで人の姿…あの絵本に出てくる伝説の魔物『ダイヤモンドクイーン』だ。
無数の細氷が魔力を帯び、触れるもの全てを凍らせる恐ろしくも美しい怪物。
「おかしい」
シアンが冷静に分析する。
彼女の理論では、魔力は大きな質量を持つものに宿りやすい。細氷のような微細なものが魔物化するのは不自然だという。
「あれは、多分、人工的に作られたものだよ」
俺たちが炎で対抗しようとすると、相手はこちらの魔力を乗っ取ろうとしてきた。絵本の特徴と一致する。
俺が前に出ようとすると、シアンについてきていたブークが勝手に開き、魔法陣から特級の炎魔法を放った。
ダイヤモンドクイーンは瞬く間に消滅した。俺が困惑してブークの方を見ると、ブークは笑い出した。
「ふん、あと千年は生きられる魔力が宿っているからな!」
ブークが得意げに喋る。俺は不思議に思った。どうやってそれほどの魔力を?
だが、追及する時間はなかった。
シアンは調査を進め、現場に残されたダイヤモンドに似た魔石を発見した。
それは魔物を作る魔道具であり、その術式の特徴は隣国クリスタリア王国のものだった。
「第二王子とクリスタリアが繋がっている……!」
事態の重さに気づき、急いで王都へ戻ろうとした時だった。
何者かに襲撃され、俺たちは意識を失った。
目が覚めると、俺とシアンは冷たい牢獄の中にいた。
手首には手錠。魔力の発動を阻害する拘束具だ。魔法が使えない。さらに、麻痺の魔法もかけられているようで体が上手く動かない。
聞こえてくる話し声はクリスタリア語。俺たちは拉致されたのだ。
「シ…アン、大…丈夫…か?」
隣を見た俺は、息を呑んだ。
シアンが大量の血を吐いて倒れていた。顔面は蒼白で、息も絶え絶えだ。
「おい?どう…したんだ!あいつらか…?」
「……魔力、過飽和症……」
シアンがかすれ声で言った。
彼女は生まれつき魔力を溜め込みすぎる体質で、余剰分を常にブークに流していなければ体が耐えられないのだという。手錠のせいでパスが遮断され、彼女の体内で魔力が暴走しかけていた。
「おい! 誰かいないか!シアンが死にそうだ!」
俺は格子にしがみついて叫んだ。見張りの兵士がのっそりとやってくる。
俺は脅した。三賢者を殺せば国際問題になる、戦争になるぞ、と。
兵士は上の者に確認に行くと言って去ったが、戻ってきた時の答えは絶望的なものだった。
「クリスタリアは戦争を望んでいるそうだ。そのまま死ね」
兵士は去っていった。
俺は必死でシアンに呼びかけた。
「シアン! しっかりしろ! 死ぬな!」
「……レイヴン……」
シアンが震える手で、俺の左手を取った。
彼女の視線は、薬指の指輪に向けられていた。
「その指輪……噛ませて……」
「は?」
「中の毒……魔力暴走する前に、死ねるから……」
彼女は知っていたのだ。自分がいつかこうなることを。そのための青い魔石だったのだ。
俺は首を振った。嫌だ。そんなことはできない。
だが、シアンの体は限界を迎えていた。彼女は最後の力を振り絞り、俺の指にある石に口づけた。
ガリッ、と石が砕ける音がした。
「……ありがとう、レイヴン。大好き…かも」
彼女はふわりと笑い、そして動かなくなった。
その顔は、教室で居眠りしていた時と同じように安らかだった。
「シアン……? おい、シアン……ッ!!」
俺の叫び声が牢獄に響いた。
返事はない。もう二度と、あの眠そうな声を聞くことはない。
俺の中で、何かがプツンと切れた。
悲しみではない。怒りでもない。ただ、虚無だけが広がっていく。
そして、その虚無を埋めるように、俺の奥底からどす黒い力が溢れ出した。
手首の拘束具が、俺の魔力に耐えきれず悲鳴を上げ、砕け散る。
「あ……あああ……!!」
俺の人類最大と言われた魔力が、制御を失って暴走を始めた。
俺の命を燃料にして、全てを凍てつかせる呪いのような魔力が解き放たれる。
シアンがいない世界など、存在する意味がない。
シアンを殺したこの国など、残しておく価値がない。
俺の意識が消える直前に見たのは、牢獄の壁さえも越えて広がる、永遠に止まない黒い吹雪だった。
その日、クリスタリア王国は地図から消えた。
生きとし生けるもの全てが絶命し、国全土が永遠に溶けない黒い氷に閉ざされたのだ。
後に残ったのは、静寂と、氷の中に閉じ込められた悲劇の記憶だけだった。
そして、時が流れた。フレイム王国は、エンバー・レッド・フレイムが国王として統治し、平和を謳歌していた。
今日は、王立魔術学院の入学式。
俺は、コルウス・ヴァンタという名で、エボニー伯爵家の令息として、また学院の門をくぐった。前世の記憶は曖昧な夢のように時折よぎる朧げなものだが、俺の胸を焦がす熱情だけは鮮明だった。
そして、新入生を前にしたエンバー国王が壇上で優しく微笑んでいた。彼の隣には、王妃ガーネットの姿もある。
そこで、俺は彼女を見た。
最前列で、大きな猫のような瞳をキョロキョロさせている、あどけない少女。
そして、その首元には、シンプルなチョーカーに、青い魔石の指輪がぶら下がっていた。
一目見た瞬間、俺の胸がドクリと激しく跳ねた。
(シアン……ッ!)
容姿は違う。だが、その瞳、その仕草、そしてこの胸を貫く熱情。
いつのまにか隣に来ていたエンバー国王が、そっと俺の肩に手を置いた。
「ようやく見つけたな、レイヴン。……いや、コルウス」
エンバーはすべてを知っているような、優しくも寂しげな目をして、静かに囁いた。
「今度は、失うなよ」
その日から、俺の執着に満ちた第二の恋が始まった。俺は彼女の側にいるため、そして今度こそ守り抜くために、今度こそ大好きかもじゃなく、大好きだよと言ってもらうために、彼女のために学院生活を送ることを決意した。セルリア・コバルト――新しい青に、俺の運命は再び絡みついていく。




