気付けば彼の手のひらの上!?本の虫令嬢の婚約は羊公爵閣下のお気に召すまま〜推しの正体が狼だと転生者の私だけが知っている〜
ディアマンテ王国・王立図書館。
彼はいつも決まって窓際の席に座る。
セシリアはそれに気付いてから、その斜め向かいの席に座るようになった。
長い睫毛が縁取る彼の瞳は琥珀の色。ふわふわとした癖っ毛の銀色の髪。
いつ見ても、その人は静かな表情で開いた本の上に視線を落としている。
(居た)
今日もその彼がいつもの席に座っているのを確認して、セシリアは席に着いた。
窓から差し込む光が机の上に降り注いでいる。
セシリアはこの時間が一番好きだった。
☆☆☆
ディアマンテ王国には精霊が存在し、精霊達は自らが愛する人間に魔法の力を与える。
「セシリア・ファルネーゼ。君に『聖樹』の世話を任せる」
ディアマンテ国王の言葉が王宮の広間に響いた時、聞き間違いだと思った。
『聖樹』とは、王宮庭園にある小さな木である。今はまだ幼木だが豊穣の力に溢れており、この木の成長と共に、ディアマンテ王国全体に精霊達の恵みが行き渡り、果樹の実りや野菜や穀物の育ちが良くなることが確認された。
その世話をする役を決める催しに、王国全土から貴族令嬢達が集まった。
セシリアは両親の言いつけでここに来たに過ぎなかったのだが、まさかの国王からの指名が入った。
(木を育てるより本を読みたいんだけどなぁ)
うっかり本音が口に出そうになった。
「『聖樹』の成長には、四大精霊の力が欠かせない。知っているとは思うが、改めて、我が国の宝とも言える精霊達に愛される者達を紹介しよう」
ドキリ、とセシリアの胸が高鳴った。
(きっと彼がいる)
セシリアの前に若者達が進み出る。
王の側近が、緊張するセシリアのそばで誇らしげに名前を呼んだ。
「水の大精霊に愛されし水の伯爵、クラウディオ・ベルナルディ」
「気楽にね、セシリア」
クラウディオと呼ばれた青年が優しげに笑んで差し出した手に、セシリアは慌てて手を載せて挨拶のお辞儀をして離れる。
「風の大精霊に愛されし風の侯爵ジェラルド・サルヴィ」
「よろしく」
ジェラルドはセシリアの手を取ると、その甲に恭しく口付けた。
きゃあ、と周りの令嬢達が小さな悲鳴をあげる。
「火の大精霊に愛されし火の男爵グイド・クレメンティ」
グイドと呼ばれた青年は、セシリアを見て顔をこわばらせていた。
(……あら?)
何だか最初から嫌われているような気がする。
ぎこちなく握手をして、グイドから離れる。
その時のセシリアには、それ以上グイドの反応について考える余裕が無かった。
『次』に控えている青年が気になって仕方なかったからだ。
「地の大精霊に愛されし地の公爵」
白銀の髪と琥珀色の瞳を持つ青年が、音もなくセシリアの前に立つ。セシリアを見つめる表情からは相変わらず何の感情も読み取れない。
「ルーカ・アルジェント」
こうして比べて見ると、大人びているように見えた彼はクラウディオやグイドより少し歳下に見える。
(ルーカ様……)
有名なので名前は知っていたが、彼と向かい合うと心臓が大きく速く打ちすぎて、倒れそうだ。
セシリアが王立図書館に足繁く通う理由の一つ、窓際でいつも本を読んでいる青年。
今この瞬間、彼が本ではなく自分を見ているというだけで、セシリアはクラクラした。
(かっこよすぎて直視できない)
視線を床に落とすと、「大丈夫? 顔色が悪い」という声と共に頬に誰かの手が添えられた。
その瞬間だった。
ドクン、と、心臓が嫌な音を立てた。
「———…っは」
呼吸が浅くなる。
セシリアは瞳を見開いた。
(ここは)
世界が崩れていくような感覚がして、セシリアは床に膝をついた。
周囲のざわめきが聞こえる。
頭の中が嵐のように掻き乱される。目を閉じれば知らないはずの光景が次々に浮かぶ。
(嘘でしょ……)
頭の中の嵐が過ぎ去った後、セシリアは前世の記憶を取り戻していた。
(ここは前世でクリアしたゲームの世界……)
それも『ディアマンテ王宮恋物語』という乙女ゲーム。精霊と魔法が存在するディアマンテ王国で、主人公アリーチェ[名前変更可能]が『聖樹』を育てながら男性達と恋を進めていく話だ。
だとすれば。
セシリアはルーカを見て涙を流した。
(ルーカ……様……!!)
「うっ……ぅゎぁぁぁぁぁぁっ」
感動と喜びのあまり、小さく長い悲鳴まであげてしまう。挙動不審な自覚はある。
(貴方に会えるなんてぇぇぇ!!)
「ルーカがセシリアを泣かせてる」
水の伯爵クラウディオにからかわれた地の公爵ルーカは「泣かせてない。勝手に泣いたんだ」と訂正する。
突然のことにルーカは明らかに引いているし迷惑そうだが、仕方ない。
だってルーカは、前世からセシリアの推しだったのだ。
寡黙で無表情。けれどアリーチェが笑顔を向け続けることで彼の心が動き、徐々にアリーチェに笑顔を向けてくれるようになる。
(それがすごい破壊力で!!)
心を開いたルーカの笑顔は前世で何より尊かった。
「セシリア」
「はい!!」
何度も繰り返し攻略して聴いた推しの声に元気良く反応してしまう。
「『セシリア』って名前だったんだ」
ルーカはそれだけポツリと呟くように言った。
☆☆☆
前世からの推しに会えるハッピーすぎる状況に一瞬舞い上がってしまったセシリアだが、数日経って冷静になってみると色々と引っかかる所が出てきた。
セシリアは王宮庭園で世話を任された『聖樹』を見つめながら考えた。『聖樹』はまだ小さく、セシリアの腰ほどの高さしかない。
(主人公のアリーチェは……?)
『聖樹』の世話をするのはアリーチェだった。ゲームの中では『聖樹』がアリーチェを選んだ。
(私が、名前が違うだけで実はアリーチェだとか?)
いや、アリーチェは庶民の娘だ。仮にも貴族令嬢の自分とは立場が違う。それにアリーチェと違って、『聖樹』の世話役にセシリアを選んだのは国王だ。
(この世界に何かが起きてる)
アリーチェはディアマンテ王国存亡の鍵を握るキャラクターだ。
このまま自分が世話をしたら、『聖樹』がうまく育つかも分からないし、下手すると機嫌を損ねて枯れてしまうかもしれない。
(よし。アリーチェを探そう!)
ところが、面倒な『聖樹』の世話を代わってもらおうという気持ちと、『聖樹』の世話で増えたルーカとの時間が無くなるのを惜しむ気持ちとの間で、セシリアの決意は揺れ動いてしまうのだった。
『聖樹』に手を翳していたルーカが、その手を下げてこちらに歩み寄ってくる。
「セシリア。『聖樹』に精霊の力を送り終わった」
(私がこの役目を任されていなかったら)
「ありがとうございます! ルーカ様」
推しに話しかけられた幸福感のままに、セシリアはルーカに満面の笑顔を向けた。
(きっと、王立図書館でずっと話しかけることもできないまま)
でも、この役目は本来アリーチェの物だ。セシリアの物ではない。この国やルーカ達のことを考えるなら、あるべき形に戻さなければならない。
「……この後、図書館に行く?」
最初、それを問いかけたのがルーカだと信じられなかった。
「は……あ、いえ、これからやりたいことがあって」
普段のセシリアであれば、王立図書館で本を読んだだろう。だが今はアリーチェに一刻も早く会いたくて、図書館に通う頻度を少なくしている。
ルーカは王立図書館の方向に目を向ける。
「そう。いつも同じ席に居るから、今日も行くのかと思った」
(……!!!)
セシリアは叫びそうになった。
(ルーカ様が私の存在に気付いてくれてた……! いやでも毎日のように同じ席にいたらさすがに気が付くか。ストーカー扱いされてないと良いなぁ……)
ルーカと王宮庭園で別れた後、セシリアはさっそく王都の街に出てアリーチェ探しを始めた。
(これもルーカ様のため。だってルーカ様は……)
セシリアは前世で何周も遊んだディアマンテ王宮恋物語を思い出した。
四大貴族の中で、一番王族に近い立場の地の公爵ルーカ。
大人しく、物言いも常に穏やかだから人畜無害にも見える彼には、智略に長けた裏の顔がある。
頭の切れるルーカは策謀を巡らし、四大貴族として『聖樹』の育成に協力する一方で、現在のディアマンテ国王の王位剥奪を目論む。そして見事それをやり遂げて自分が国王に収まるのだが、厳しすぎる彼の政治のやり方に周囲の心は離れていき、最後には革命が起き、独房に入れられる。
その未来を変える少女が、主人公のアリーチェだ。アリーチェがルーカを恋の相手に選んだ時、ルーカの運命は変わる。
アリーチェの優しさ、温かさが、ルーカの考え方に変化をもたらす。ルーカルートでは、ルーカはディアマンテ国王に忠誠を誓い、国王の信頼厚い、有能な側近として大事にされる。
(ルーカ様に光ある未来を!)
セシリアはルーカの忠実なるげぼ…いやファンとして、アリーチェを探し出す決意を固めた。
☆☆☆
『聖樹』を育てつつ、街で聞き込みをしてアリーチェ探しを続けていたセシリアの元に、その知らせは届いた。
「グイド様と婚約? 私が?」
火の男爵グイド・クレメンティ。王宮の広間で初めて会った時、彼は硬い表情をしていた。
(嫌われたのだと思ったんだけど)
『聖樹』を育て始めて、グイドと話すようになった。彼は物の言い方こそ冷たく感じることがあるが、意外と面倒見が良いタイプで、細かいことに気がつく。この前もセシリアが一人街に行っていることについて、危なくないかと心配していた。
(グイド様の性格は、いわゆるオカン系男子)
「ああ、グイド様がどうしてもと。グイド様は貴族の間での評判も悪くないし、クレメンティ家は火の大精霊に愛される特別なお家柄だ。良い結婚相手だと思うが、どうだね?」
優しい父親は、セシリアに意思を尋ねてくれる。
セシリアの脳裏に、白銀の髪の青年の静かな眼差しがよぎった。
(下級貴族の私に、王族に近い立場のあの方との未来なんて、ある訳がないのだから)
確かに、グイドは良い男だ。前世で、ゲームでアリーチェとしてグイドエンディングを見たことがあるセシリアは知っている。
グイドはアリーチェと結婚して、家族を愛する子煩悩な父親になる。
(絵に描いたような、幸せな結婚)
「お受けしますわ、お父様」
セシリアは未練を振り切るように微笑んだ。
(ルーカ様が幸せなら、私はそれで良い)
☆☆☆
久しぶりにやってきた王立図書館の空気を、セシリアは思い切り吸い込んだ。この場所に立ち込めている古いインクの匂いが好きだ。
いつもの席にルーカの姿を確認して、セシリアはそっとその斜め向かいに座る。
するとルーカは席を立ち……何故か、セシリアの隣に座り直した。
こんな事は初めてで、セシリアの脈拍数は一気に跳ね上がった。
「グイドと婚約したって聞いたよ」
ルーカがいつもの無表情で、小声で尋ねる。
「……はい」
ズキン、という胸の痛みを堪えて、セシリアは答えた。
「グイドのことが好きなの?」
更に尋ねてくるルーカの琥珀色の瞳を見てしまって、セシリアの胸が締め付けられるように痛む。
(好きなのは、ずっと一人)
「……どうしてそんなに、泣きそうなんだ」
胸が詰まって答えられずにいるセシリアに、ルーカは困ったように微笑んだ。
(……っ!!)
ルーカが初めて見せた微笑みに、セシリアは全てを忘れて見惚れた。
☆☆☆
彼女の存在に気付いたのは、もうずっと前のことだ。公爵位を継いで王都で暮らし始めた頃、仕事の合間に王立図書館で本を読むようになった。
通い始めてしばらくして、席に着いて本を夢中で読む彼女を見かけた。口元に小さな微笑みを浮かべながら頁を繰る彼女が気になって、向かいの席に座ってみた。
(人はこんなに集中できるものなのか)
本の虫、という言葉が浮かぶ。彼女は貪るように本を読む。
本以外のものはまるで見えていないようで、彼女がこちらを見てくれる事はなかった。
それから何度も、彼女のそんな姿を見かけた。
いつからか、自分達は決まって斜向かいの席に座るようになった。
言葉が無くても流れる静かで温かな時間が、ルーカにとっては何物にも代えがたく大切な時間だった。
☆☆☆
『聖樹』は順調に育っていたが、アリーチェはやはりどこにもその気配を感じなかった。
(守りたい、優しさMAXのあの笑顔)
図書館で自分に向けられたルーカの困ったような笑顔を何度も思い出しては噛み締めて、セシリアはアリーチェ探しに一層精を出した。
ルーカは牢に囚われていい人じゃない。
ディアマンテ王宮恋物語の中に、主人公アリーチェに関する情報はあまり無かった。
「庶民」「茶色の髪」「サファイアのような青い瞳」「明るく優しい性格」「王宮に召し上げられる前は王都で一人暮らしをしていた」くらいだ。
王都の広さ、人の多さには挫けそうになるが、ルーカのためならとセシリアは地道な捜索を続けていた。
そして、『闇の精霊』の噂を耳にした。
(闇の精霊……闇の精霊……)
王都の広場にあるベンチに座り、セシリアは必死で記憶を辿る。ディアマンテ王宮恋物語に『闇の精霊』などいただろうか?
(うーーん……あ、そうだ)
こういう時こそ、知識と謀略に長けたルーカに相談するのが良い。
セシリアはベンチから勢いよく立ち上がり、王立図書館に向かって歩いていった。
その手を誰かが掴んだ。
「セシリア!」
(えっ……)
驚いて振り返ると、そこにはグイドが表情を曇らせて佇んでいた。いつの間に近くにいたのだろう。
「グイド様」
「セシリア。今どこに行こうとしていた」
問い詰めるようにグイドが尋ねる。
「王立図書館に行こうと思っていました」
セシリアの手を握るグイドの手に力が入り、痛みが走る。
「分かってると思うけど言っておくぞ。お前は、俺の婚約者だ」
「……分かってます」
「なら今後図書館通いはやめろ」
「ま、待ってください! 何でそんな話に……!?」
グイドは冷たい瞳でセシリアに告げた。
「お前が図書館でルーカと会ってるのは知ってんだよ」
セシリアは息を呑んだ。
「頼む。約束してくれ……」
グイドの瞳は必死で、セシリアは断りきれない。
(『聖樹』の世話の時、ルーカ様に相談しよう)
しかし、そのセシリアの願いは叶わなかった。
☆☆☆
『聖樹の乙女』セシリア・ファルネーゼが王都から忽然と姿を消し、王宮は騒然としていた。
彼女の婚約者であるグイドの取り乱し様は酷かった。
地の公爵ルーカは一人、セシリアが消えたという王都の街へ足を向けた。
☆☆☆
ぶつぶつと響く声に、セシリアは目を開けた。
薄暗い。
(ここは……え、これは何!?)
椅子に座らされ、縄で縛られていることに気付いてセシリアはパニックに陥った。
アリーチェを探しに王都の中を歩いていた時、狭い路地で誰かに後ろから羽交締めにされた所までは覚えている。
(拉致されたんだ)
一体ここはどこなのか。少しひんやりとした、湿り気のある室内。どこかの地下室だろうか?
よく見れば、セシリアの足元には大きな魔法陣のような光る紋様がある。
(この紋様、見たことがある)
セシリアの頭の中で、王立図書館で読んだ一冊の本のページがパラパラとめくられる。まるで今その本が目の前にあるかのように。
[ディアマンテ王国精霊史・近現代
四大精霊に守られてきたディアマンテ王国だが、現代では四大精霊以外の精霊の発見が相次いでいる。しかし特定の人間達を愛し、その恵みを与える四大精霊と違い、近年発見された精霊達の中には、人間達に特別な力を与える代わりに、その対価となる物や生命を要求する者達がいる。彼らとの交渉には次の様な魔法陣が使われる(安全のため紋様を一部改変)]
足元の光る紋様は、そのページの最後にあった魔法陣によく似ている。
(これは、対価が必要な新しい精霊の)
「目覚めたか、『聖樹の乙女』セシリアよ」
「誰!?」
周りをよく見ると、何十人ものローブ姿の人間達が足元の紋様を囲うように立っている。その中の1人の人間がセシリアに近寄る。フードを深く被っているせいで、顔が見えない。
声からして歳をとった男のようだった。
その男の手に握られたギラリと光る物に気付いた時、セシリアの背中に悪寒が走った。
男が握っているのは、刃渡りの長いナイフだ。
周囲のローブの人間達は、皆ブツブツと小声で何事かを呟き出す。呪文のようだった。
「眠っていた方が楽だったかもしれないな……私怨は無いが、お前には我々の精霊様のために死んでもらう」
鳥肌が立つ。
セシリアの身体は恐怖にガクガクと震えだした。
(怖い。殺される。嫌だ、嫌だ嫌だ!!)
助けを呼びたいのに声が出せない。
男はニヤリと、歪な笑みを浮かべた。
「闇の精霊よ、いま『聖樹の乙女』の生き血を与えん。我々の声に応え、顕現せよ!」
(誰か!)
男がナイフを大きく後ろに振りかぶる。
「“一つ”」
新たな声がその場に響き、男は驚いたようにナイフを取り落とした。
カシャン!と、石の床に硬質な音がする。
「“『闇の精霊』を他言すべからず”」
「だ、誰だ!」
男は慌てて、床に落ちたナイフを拾おうとした。
セシリアを囲っている男達は、何故か「動けない」と動揺している。
「“一つ”」
言いながら薄暗い部屋に現れたのは、光が人間の形を取ったような、白銀の髪と琥珀色の瞳を持つ青年だった。
「“『闇の精霊』と共に国家転覆を必ずやり遂げるべし”」
(ルーカ様……!?)
男はナイフを握ろうとするが、何故かナイフは床に磁石のようにくっついてしまっている。男は意地になってナイフを引っ張る。
「これはあまり知られていないことですが、『重力操作魔法』は地の精霊の専門なんですよ、アンブロジオ卿。そのナイフは今、人間が持てる重さじゃありません」
ルーカは淡々と言う。
男は名前を呼ばれたことに焦ったのか、ナイフを取ることを諦めて逃げようとした。
「う、動けない!」
どうやらローブの男達には全員、重力操作の魔法がかけられてしまったようだった。皆、床から自分の足を引っ張っているが、接着剤でとめられてしまったかのようにどの足も動かない。
ルーカの琥珀色の瞳に、見たこともないような冷たく激しい怒りの感情が燃えている。
それに気付いたセシリアは、ルーカを相手に恐怖を感じた。
まるで、彼こそが闇を司る者であるかのように恐ろしい。
「僕から逃れたいなら、地下は最悪の環境ですね」
ルーカが手のひらを床に向けた瞬間、床や壁、天井から、ゴーレムの手のようなものが沢山生え、悲鳴をあげる男達をお構いなしに捕まえた。
「どうして俺たちしか知らない文言を……俺の名前を」
男の声に、ルーカはため息をついた。
「詰めが甘い、とだけ申し上げましょう」
(地の一族の者達は、諜報能力が高い)
セシリアは前世の記憶を思い出す。
地の公爵ルーカが調べようと思った時点で、王国全土からかなりの情報が集まってしまうのだ。
男達は壁や床から生えた手に掴まれ、もがきながらどこかに連れ去られていった。
ルーカはセシリアに歩み寄ると、先ほど男が落としたナイフを軽々と持ち上げ、セシリアを椅子に縛り付けている縄を切った。
「ルーカ様、ありが……」
「まず怒っていい?」
「え」
ルーカはセシリアを強く抱きすくめた。
(ル!!!)
セシリアは混乱する。
「どれだけ心配したと思ってる」
苛立ちと、安堵と、どこか切なさを帯びた声音だった。
(ダメだこの幸せすぎる状況死ねる)
死因・推しによるハグと甘い声。
バクバクと心臓が高鳴る。
ルーカはセシリアを抱きしめたまま、厳しい声で尋ねた。
「色々調べたけど、君が『アリーチェ』と言う子を探す理由だけが分からなかった。説明がほしい」
(それは……)
前世で、などと言っても信じてもらえないだろう。
「ルーカ様。アリーチェは、ルーカ様に必要なんです」
ルーカは腑に落ちない顔をする。
「僕はアリーチェなんて知らない」
「ええと……」
どこまで話せば良いのだろう。
「アリーチェがいると、ルーカ様の未来が良くなるんです」
しかしルーカはその言葉を聞いて、セシリアの頬に片手をあてた。
「僕にアリーチェは必要ない、間に合ってる」
「そんな、だって、アリーチェと恋人にならないとルーカ様が」
「これだけ言ってもまだ分からないか……僕は、君が、好きなんだ!」
(…………へ?)
一つ一つの言葉を区切ってはっきりと告げるルーカに、セシリアは呆然としてしまった。
「ぇえええええ!?」
「なかなか分かってもらえないみたいだから、これからは遠慮なくいく」
ルーカはセシリアを軽々と抱き上げた。
お姫様抱っこである。
「ルーカ様! これはちょっとあの、重いので!」
「重力操作魔法で軽くしてるから大丈夫」
「それは魔法が無いと重いという意味ですか!?」
「気にするなってこと。君のために何かしたいんだ。もっと僕を頼って」
ルーカはそう言うと、静かに微笑んだ。
前世でセシリアが虜になった笑顔だった。
☆☆☆
闇の精霊を呼び出すことで国家転覆を謀った男達の名前は、地の一族によって1人残らず調べられていた。その人数も多かったが、中には大物の貴族もいたようだ。
ルーカは内乱を未然に防いだ功績を、皆の前で国王に褒め讃えられた。
「褒美に一つ、お前が欲しいものを何でも与えよう」
と告げた国王にルーカが口にしたのは、
「それでは、セシリア・ファルネーゼを私の婚約者に」と言う言葉だった。
思いがけない要求に貴族達がどよめく。
(ルーカ様!?)
勿論、セシリアと婚約中のグイドはそれに黙っていなかった。
「国王陛下、既にセシリアは私と婚約中の身です!」
というグイドの声に、ルーカが呆れたように答える。
「グイド。彼女一人守りきれずに婚約者顔か。セシリアがいなくなった時、僕は地の魔法で彼女の足跡を浮かび上がらせた。王都の広場に不審な形跡が残っていたよ」
ルーカはグイドを睨みつける。
「王立図書館の方に向かおうとする彼女の足跡が、お前と出会って方向を変えていた。推測するに、僕に相談しに行こうとしたセシリアをお前が止めたんだろう。なら、セシリアの生命を危険に晒した責任はお前にもある」
ぐぅ、とグイドが唇を噛み締める。
「それでも彼女と婚約したのは私が先。私に優先される権利があるはずです!」
グイドは必死に国王に言い募る。
「何を勘違いしてるか知らないけど」
ルーカの琥珀色の瞳がゆらりと鋭くなる。
グイドは怯んだように後ずさる。
「彼女と出会ったのも好きになったのも僕の方が先だよ」
ルーカの主張を聞き、「ふむ」と国王は頷く。
「セシリアが居なくなった時、火の男爵は狼狽するばかりで何も手を打てなかった。どうやらもう少し精進が必要だなグイド・クレメンティ。地の公爵ルーカ・アルジェント、そなたの願いを叶えよう」
「そ、そんな……」と絶望するグイドの横で、「格別のご配慮、痛み入ります」とルーカは優雅な礼を取った。
国王は皆の前に立ち、大きな声で告げた。
「ディアマンテ国王の名の下に、グイド・クレメンティとセシリア・ファルネーゼの婚約を正式に破棄し、ルーカ・アルジェント並びにセシリア・ファルネーゼの婚約を宣言する!」
☆☆☆
王立図書館。窓際の席に、セシリアとルーカは並んで座っていた。
最近の二人は斜向かいではなく隣に座る。
「え? 『闇の精霊』事件の首謀者達の動きを、ずっと前から掴んでたんですか!?」
セシリアは小声で叫んだ。
ルーカは人差し指を『しー』というように口元に持っていく。
「泳がせてたんだ」
「どうしてです?」
「小さな騒動より大きな騒動を防いだ方が、陛下にワガママを言いやすい」
サラッと。
ルーカはいつもの静かな表情で、穏やかな声で言った。
「つまり……功績を上げるために、ルーカ様はわざと事が大きくなるのを待って解決したということでしょうか」
(なんたる腹黒公爵)
セシリアはつい内心ぼやいた。
(しかしそこが良い)
自分もだいぶ狂っている。
「必要な計算だよ。元々、君との婚約を僕が望むだけでは、身分を理由に周りに反対される未来が見えていた。だから陛下に頼む必要があった。でもグイドが君に惚れたのは計算外。少し焦った。君が標的になるとは思わなかったけど、あのタイミングで敵が動いてくれて良かった」
あの男達はルーカの手のひらの上で踊らされていたのだ。
ルーカはそこで、「でも」とセシリアを見つめた。
「僕にも分からない点がまだ残ってる」
「分からない点?」
ルーカの琥珀色の瞳に熱が宿る。
「僕は君が好きだ。君は?」
セシリアはルーカの問いかけに真っ赤になってしまう。
「……ず……」
「ず?」
セシリアは勇気を振り絞って言い切った。
「ずっと前から、ルーカ様のことが好きでした……!!」
(生まれる前から好きでした)
ルーカはふっと、眩しいものでも見るように目を細めて微笑んだ。
「よくできました」
☆☆☆
セシリアと四大貴族達の努力で、聖樹は無事に成長し、花を咲かせた。ディアマンテ王国は今、精霊の恵みに溢れている。
数年後、ディアマンテ国王の懐刀と呼ばれるようになった地の公爵ルーカと『聖樹の乙女』セシリアは、結婚後も王立図書館に足繁く通っていた。
何度も季節が過ぎ去った後。
公爵夫妻の傍らで、白銀の髪を持つ子供達が取り憑かれたように絵本を貪り読んでいる姿が、王立図書館の司書に目撃されるようになったと言う。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
『ディアマンテ王宮恋物語』、四大貴族のうちの水と風の物語を書いたなら火と地も書いて良いのでは?と思い書き上げました。この世界が気になる方は、水の伯爵クラウディオと風の侯爵ジェラルドのお話も是非ご覧ください。
何か少しでも心に触れたものがありましたら、評価やリアクション、感想で教えていただけますと大変嬉しく思います。よろしくお願いします。