武家に振り回された男
おれは、京の都で生まれた。
だが、今は大坂の本願寺にいる。
なぜか?
父上のせいだ。
父上は近衛前久という、かつて帝に、関白として仕えた男だ。
そして、近衛という家は、公家の中で頂点にある、摂家とよばれる家の中の筆頭だという。
しかし、父上は今の大樹様――足利義昭卿にきらわれて、都を追われた。
詳しいことは聞いていないが、おれもその煽りをうけた。おれも父上と同じようになったのだ。
おれは、近衛家は都に帰れるのだろうか。
***
俺は、信長卿によって都に呼び戻され、信長卿より一字を頂いて元服した。
たとえ、この後に、俺がいくら名を変えようとも、この一字だけは、一生涯変えぬだろう。
父上も信長卿と仲良くされている。代わりに色々と使われているようだが。
もし信長公が天下を平定なされば、近衛家に一国を献上していただける、らしい。父上は、手紙の中でそう言われたと、大はしゃぎしていた。
俺も、内大臣に任じられていた。いずれはかつての父上と同じように、関白になれるやも知れぬ。
***
信長公は、公の腹心とも言えた惟任日向守光秀の手によって討たれた。討たれてしまった。
ようやく天下が治まると思った矢先だった。父上の悲嘆は相当なものだろう。
父上は出家し、龍山と号することになった。
くそ、くそ、くそ。
何故あの猿面の成り上がり者は、我等摂家の問題に口を出してくるのだ。
何故あの猿面の成り上がり者が、関白になれるのだ。
何故あの猿面の成り上がり者に、父は、龍山は気を許したのだ。
何故あの猿面の成り上がり者の下に、俺が付かなければならぬのだ。
だが、あの男も、いずれは関白を俺に譲り渡すことになっている。今は時を待つのみだ。
尾張の大納言が、憎くてたまらない。
関白殿下の甥というだけで、実力もなくのし上がっただけの男が、俺を差し置いて関白になれるなど。
関白殿下は、信長公の下で実力を付け、惟任日向守を討ち、柴田修理を倒し、信長公の子たる前内府常真と徳川三河守を従え、ついには天下の全てを従えたのだから、龍山の力を借りて関白となるのもやむを得ぬだろう。
しかし、あの男のどこに実力があるというのか。
憎くてたまらない。
***
俺は、どうやら流罪となるらしい。
名護屋に赴くことが、間違っていただろうか。俺は太閤殿下、はたまた関白殿下が唐入りなされるならば、それに同道しようとしただけだ。
龍山が上杉不識庵謙信や、信長公と同道したように。
しかし、太閤殿下は、大層怒っておられた。陛下はそれ以上の怒りだった。
関白殿下は、何も言わなかった。このことについて、彼に発言権などなかった。
だが、護送は関白殿下の手の者によって、だった。
坊津での暮らしは、都と比べれば、寂しいものだった。
だが、島津龍伯はそのような俺のことを良く遇してくれた。
坊津に入って一年程。都から奇妙な噂が流れてきた。
なんと、関白殿下が自害したとのことだった。
関白殿下のことは、憎いと思うこともあったが、決して嫌っているわけではなかった。関白殿下も、恐らくはそうだっただろう。
殿下は……いや、殿下もまた、あの太閤に振り回されたのだろう。
儂と同じように。
***
太閤殿下はもうこの世にいない。伏見が混乱しているのがその証左だった。
内府殿……家康公が、やがて天下を握るだろう。
儂は、数年前に帰京を許されたばかりだった。
天下を握った家康公は、朝廷の人事を回しはじめた。
太閤殿下に関白の地位をさらわれて二十年。
ようやく手にしたが、そこに感動はなかった。安堵感だけがあった。
父上は、龍山は儂が関白になったことを見届け、先日薨じた。
儂には嫡子がいない。
陛下から皇子を頂いて、嗣子にすることになった。
娘を娶らせ、血を繋ぐことになった。
にわかに大坂が騒がしいという。
だが、儂には、もう関わる必要のないことだ。あとは、信尋が担うだろう。
これで、儂も武家に振り回されずに済む。
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