2番手男の恐るべき真実
幸田航大と友人であることは、自分のみっともなさを自覚させられる連続であり、この幼馴染の言葉に引っ張り上げられる日々でもあった。そして、このズレた親友は常に規格外である。
出会いは小児病院だった。五歳の時に薬を飲むのが嫌で泣いていると、航大がやって来て僕の飲むはずだった薬をひったくって飲み干した。
状況をよく呑み込めない皆に航大は「にがいものはからだにいい」とだけ言った。
医師が戸惑っていると「じかんとは、おかね」と呟いた。
何気に僕の最古の記憶だ。その時のことに触れると、航大は珍しく顔を赤くする。
「本で読んだ知識をひけらかすなんて、傲慢もいいところだ」
そこじゃないんだけどなあ……。
「航大、正義の味方ってどこにいるのかな?」
小学4年生の時に投げかけた疑問に腐れ縁の幼馴染は首を傾げた。
「ホワイトハウスに不審者でも出たのか?連絡先は知らない、調べて急いで連絡しよう」
どうしてそんなにワールドワイドな展開を予想したのだろう。斜め上というより直角の返答に否定してから返す。
「いや、『正義は勝つとは限らない』とかいうけどさ、買ってるところを見たことない気がするんだ、現実で」
航大は遠い目をして一定のトーンで声を出した。
「僕の見立てでは、正義はまず勝つことがない。なりふり構わず勝ちに行く人が結果的に成功するんだから。だからこそ、名もなき優しい人々に『正義』という慰めを与えているんじゃないかな」
「でもさ、悔しくない?何だってやるからには勝ちたいじゃん。まあ、お前は何でも2位以内に入ってるからヨユーなのかな」
「大切なのは勝つことでも、1番になることでもないよ」
「最優先事項は全員が幸せになることだ。皆の充実感の最大公約数が高まれば、自分一人のことなんて些末な事さ」
そう、この時から航大は何をやらせても「2番」だった。勉強も、スポーツも。
マラソン大会では途中までトップなのに、微調整するかのように失速して銀メダルを貰うのが常だった。
絵画コンテストでは写真のような風景画を描くも、最後に右端に絵の具をこぼす。それでも画力を推した先生がねじ込んで、「汚れが無ければ全国に持っていけるのに」「もはや絵ではなく写真だ」と惜しまれつつ県の絵画祭に選ばれる手前の、次席に留まっていた。
美術の先生はいつも、惜しい、もっと作品を大切に扱って欲しい、と唸っていた。
体力測定の遠投の時は、必ず3回ファウルをして、全員が投げ終わった後に体育教師を説き伏せて泣きの一発を投げた。
小学校の時に一緒で今年の夏の甲子園に行った渡邊君が65メートル投げて伝説になったが、航大は64.5メートル投げて「意外過ぎる」と話題になった。
そして、次の日の朝、渡邊君が興奮気味に教室でまくしたてた。
「幸田はものすごい肩の持ち主だよ!あいつは天才だ!」
彼が言うには、キャッチボールをしたところ悠々と速球を投げるので、もっと本気が出せるはずと聞いたらしい。
「なあ、幸田。お前こんなもんじゃないだろう?本気を出してくれよ。俺とバッテリー組んでくれ!お前がピッチャーでいい!いや、その方がいい!甲子園、プロ野球、大リーグまで行ってWBCに出よう!」
府抜けた顔で返球する航大が道路に目をやると、真ん中で白ぶち猫が寝ていたらしい。車が近づいてきていて、まだ遠くで互いに気づいていないがこのままでは猫が危ない。
すると航大は渡邊君に叫んだ。
「ボールをくれ!」
慌ててボールを投げた渡邊君がその後に見た光景は衝撃的なものだった。
ボールを受け取った航大は速やかにキャッチしてミットを手から外し、左手で思いっきり道路に投げた。
剛速球は車の少し前を通過し、ガードレールの隙間に挟まった。
車の運転手は激怒して飛び出してきたが、その騒ぎを聞いて猫も逃げ出した。
逃走中に渡邊君は何度も航大に、利き手の真相について尋ねたらしい。
当時、噂の渦中になっていた後代に僕は質問したことを覚えている。
「航大、その話本当?ていうか左利きなの?」
「そんなわけないじゃないか」
そう言いつつも、航大はいつにもまして無表情だった。僕には分かる。こいつなんか心当たりあるな。
「渡邊くんが嘘つくような人には見えないけれど、さすがに信じがたい話だもんなあ」
そして僕はこう言った。
「航大がWBCに出てたら、僕でも野球中継は観るよ」
当時の僕はサッカー少年団で右サイドバックに挑戦していたがベンチ外だった。
悔しがっている僕に、航大が「内田篤人の判断力」と書かれた分厚いお手製のクリアファイルをくれたことがあった。中には、ボールペンでサッカー選手の動きの模範がビッシリと描かれていた。
「でも、そうなったら倉橋と一緒にいられなくなるな」
「え?」
「もうすぐ中学生だな。お互い自制心を持って頑張ろう」
その後、航大は用があるとだけ言って去った。翌日、近所で一人暮らしのおばあさんが眼鏡をかけた容姿端麗な少年に梨をおすそ分けしてもらったと喜んでいた。
微調整していたのだ。今まで敢えて1番を、特にプライドの高い四月一日君に譲り続けていた。さっきの体育のサッカーでそのことをあっさり公言したことで校内中に露見した。
こうなってくると、幼稚園から去年の学園祭まで常にクラス演劇の「助演男優賞」にノミネートされていたこと。
そもそもあれだけ変人扱いされながらかろうじてクラスに溶け込み名脇役としてキャスティングされ続けていた人間関係の立ち回りもすべて計算通りだったのだろう。恐ろしい男だ。
四月一日君が怒り心頭だと噂が出回っても、航大は気にしない。
「幸田、また96点だぞ。それでな、小テストの正答率調べたんだよ。そしたらお前33回連続96%だぞ。先生怖いって」
古文の山本先生は事情を知らずに笑っているが、クラスの生徒一同は四月一日くんの一件で真相を知っていて驚愕していた。そもそも、ここまで気が付かなかった僕たち学園一同も鈍いかもしれない。
「航大、お前……」
「化学の関根先生は1問4点の設問が無いんだ。2点の問題も一つしかないし」
航大はいつもの表情で右手を顎に当てている。
「倉橋、氏名記入欄の『幸田』の『幸』を『辛』にしたら、何点引いて貰えるかな」
「それが気遣いだとしたら、四月一日君はもう十分だと思うよ」
航大をキラキラした目で見る月島さんに目をやった。月島さんって……。
「失礼。突然だが答案に『島耕作を腕相撲で打ち負かすセーラーマーキュリーの図』の似顔絵を描いたことで20点引かれたことを抗議しに来た」
月島さんの親友、仲間・アンダーソン・唯香だ。僕の席は入り口近くなのでビクッとしてしまった。
「おお、倉橋。お前、幸田ちゃんと仲いいんだよな。類は友を呼ぶというからにはお前も相当な変わり者と見た」
すみません、授業が終わってからにしてくださーい。学級委員長の市川さんが淡々と言った。ダメ押しになるが、航大は副委員長である。
「おおすまない、また会おう、ミスター山本。いや、この減点が無ければ私はいつも通り97点なんだ」
仲間・アンダーソン・唯香が帰った後、僕は航大を見た。
「大丈夫。仲間さんなら説得できる。僕はこのままで問題ない」
その時、改めて幼馴染の親友を空恐ろしく思い、いつものように少しイラっとした。