第五十回 大結局
一緒に来た魚龍書院の一行を見失い、二人で祭を見て回る。川の上では、灯籠を掛けた竿を叩き合いながら、夜龍打と言われる名物競争の川舟がゴールを目指していた。ほろ酔いの見物客が歓声を上げて見守っている。一際激しく争っている二艘が、並んでゴールラインを超えた。
「なんだ?」
「おい、戻れ!失格にするぞ!」
二艘は争い続けたまま、下流へと進んでいったのだ。
「なあ雨雨、あれ、衛梨月と永明公主だよな?」
「うん、そうだね。相手は親爺さんたちだね」
四人とも仮面をつけているが、動きを見ればすぐに正体が判る。白い服を身につけた武人体型の漕ぎ手は、本来は船内のどこかに立てておく灯籠付きの竿を振り回している。灯籠に傷は付けていない。竿から突き出した、灯籠を提げるための鉤手を巧みに操っている。鉤手で相手が伸ばして来る竿を受けもする。それなのに、自分の灯籠は落ちない。
「梨花帯雨!」
白い人物は、石突きにあたる竿の根元を水面に突き、水平方向の水を玉を連ねた簾のように跳ね上げた。流れるような動作で竿を回転させると、雨を帯びた梨の花が枝に咲いているかのように見える。そのまま水滴を内功で飛ばす。標的は勿論、敵方の川船だ。
「阿桃、あれ、梨花戟の招式だよね?」
屋台で手に入れた瓜子を齧りながら、明山雨が桃を肘でつつく。ついでに吹き出した皮で刺客の手を刺し、短刀を落とさせる。
「そうだね、雨雨。有名なやつだ」
桃は飲み口の軽い龍児白を啜っている。盆の窪を狙う毒針は、髪紐の先に付けられた金鈴の音功で防ぐ。針は音波に押されて凶手の指先から離れた。針の頭が遣い手の胸に突き刺さる。
「ぐあっ」
刺客は慌てて針を抜き、解毒剤を飲み込んだ。その隙に二人は「いつもの山歩き」で見えなくなっていた。
「有名だよね。皮影戯で観た」
「覆面の意味ないよな」
気づいているのは二人だけではない。梨花仙人ファンの子供達や、親派の武人が岸から喝采を送っているのだ。
「梨花掃風!」
青い服の漕ぎ手が剣を振るって対抗する。主に若い娘を中心にした歓声が上がる。
「阿桃、衛梨月だね」
「仮面被るなら得意技の封印くらいしないと」
「隠す気ないよね」
香袋の売り子に扮した刺客が、縁を鋭利に削った小銭を飛ばして来た。明山雨は内功を使って防ぐ。小銭はバラバラと地面に落ちる。近くにいた子供が拾おうとして手を切ってしまった。母親が慌てて傷口を押さえている。幸い毒は無いようだ。手助けが必要ないと判断して、明山雨と雲風桃は素知らぬ顔で通り過ぎた。
端午香嚢の屋台で、銀銀が舟を呼び止めていた。何やらいい雰囲気で凧の形をした腰佩用の香嚢を渡している。想いを告げる伝統行事だ。明山雨と桃は、ちらりと違いの腰を見た。
山雨の腰佩は桃の陣が仕込まれている。中には、楽が特別に処方した幻術避けの薬香が入っている。形は公輸の開祖が発明したという鳶凧を模したものだ。桃の腰にはころんとした三角形の端午香嚢が下がっていた。初学者が練習する蚊よけの陣を縫い込んだものだ。贈り主の山雨にとっては力作である。
互いの贈り物が相手の腰佩として下がっていることを確認し、各々満足そうに口元を緩めた。二人のほわほわした空気はお構いなしに、舟の四人は争い続けている。竿で進める規定だが、四人は内功で操船していた。もっともレースは終わっているので、反則ではない。
「梅花暗雨!」
黒衣の人が船から飛び上がって、金属製の立方体をばら撒いた。四角い金属が空中で展開すると、梅の花の形に変わる。花びらが開くと同時に、無数の黒い針を飛ばした。全て毒針のようだ。
「堂門暗器かよ、えぐいな」
「この数を一度に扱えるのは、永明公主だけだね、阿桃」
永明公主は鉄鱗港要塞化の過程で、暗器で有名な堂門という武門とも繋がりが出来ていた。噂によれば入門はしておらず、いくつかの暗器を譲り受けただけなのだという。
「そうだな。しかし親に向かって、容赦ねぇな」
親とは皇帝である。黄色い服に帯は白黒の斜め縞模様だ。それぞれは富裕層なら手に入る品物だが、この組み合わせは皇帝だけに許されていた。船上で争う仮面の四人は、誰一人として身元を隠す気がないようだ。
「鵲国皇帝も図々しいな」
皇帝は、力をつけ過ぎた国公に対して、常に忠誠心を試すような仕事を持ちかけている。今回の競争を親子対抗戦にしてしまったのも、その一環なのだろう。
「でもさ、阿桃。国公親子も敵対してない?」
梨花派の親子も、かなり激しい戦闘を繰り広げている。梨の花吹雪を幻視する観客たちが、うっとりと眺める美麗な闘いだ。一方の皇帝親子は、娘の攻撃を父の暗衛が防いでいた。皇帝は圧力をかけるためだけに立っているらしい。
「そうだなあ。衛世子は永明公主と組んで、はっきりと鵲国皇帝に牙を向いてるからなあ。護国が使命の国公としては、お仕置きしたいんじゃないか?」
「あの二人には、叛逆罪を適用したらむしろ新王朝建てられちゃいそうだけどね」
「それで、迂闊に処刑したり追放したり出来ないんだろうよ」
遠ざかってゆく争いを見送り、二人は川辺で立ち止まった。暗殺者たちの相手にも飽きてきた。人混みの中を、大きな魚の形をした灯籠が泳いでゆく。魚のぬいぐるみを引っくり返すと竜になる玩具を売る人が、灯籠の後に着いて歩く。辺りはすっかり暗くなった。
「阿桃、帰ろうか」
「そうだな」
手を繋いで跳び上がった二人の影が、弦月の空に浮かび上がった。相変わらず髪を整えていない二人である。仲良く摸魚功で風を切って、祭りの灯りを後にした。南雀王山荘の廃墟の上を跳び越える時、阿六が地上で手を振っていた。彼はまだ、亡くなった鯉たちの弔いを続けているのだ。二人は阿六に手を振りかえし、飛花客桟も越えて書院を目指す。
竹藪の中に石の門が見えてきた。
「これ試してみようよ」
桃が石を削ったミニチュアの結界門を取り出した。新開発の宝具である。院長が日々強化している魚龍飛天陣を破り、先祖の作った結界への入り口を増やそうという魂胆だ。それを使えば、門下生ならどこからでも書院に入れるようになる。ただ、まだ開発中なので、効果の程は保証できない。
「大丈夫なの?」
「平気だって。実験は成功してるんだし」
「本物の門の隣とか、安全な場所で試しただけでしょ?」
「いや?いろんな時間にいろんな場所で試した」
「ほんと?」
明山雨は疑わし気にどんぐり眼を細める。元が愛嬌のある丸い眼だけに、細めると途端に迫力が出た。
「疑うなって。ただし、携帯用の石門で入る時には好酒想歩を忘れずに使うんだよ」
好酒想歩は「いつもの山歩き」である。宝具の使い方にも、いくつかの条件を課しているのだ。万が一盗まれても、かつての惨劇を繰り返さないようにとの配慮である。
第一の条件は、本来の門と同じだ。即ち魚龍書院の門下生であること。正式に発行された名札がないと通過できない。第二の条件は、好酒想歩だ。散仙と明山雨ほどの高手ではないにせよ、現在の書院関係者は一年間学んで、皆使えるようになった。あとの条件は、一つの門では一人しか入れないとか、一日に使える回数は五回までとか、一回使った後はしばらく使えなくなるとか、細かい起動条件が設定されていた。
二人は端午の夜空で「いつもの山歩き」のステップを踏み、書院の屋根に降り立った。
「成功だ」
「阿桃、おめでとう。実用化できたね」
「ありがとう!他の人にも試して貰って、まだ改良するつもりだよ。でも、とりあえず乾杯しよう!」
全く飲酒をしなかった明山雨は、この一年で少しだけ付き合うようになっていた。お祝いの席や話が盛り上がった時などに、嬉しそうに呑む桃を見ていると、なんだか自分も呑みたくなるのだ。
「うん。僕も龍児黄貰っていい?」
「いいけど、強いよ?大丈夫?」
「一口試して駄目ならやめとくよ」
「そう?」
桃は袖口から小さな竹の杯を二つ取り出した。二人は屋根の上に並んで座り、杯を一つずつ手に持った。自然に笑顔が溢れてくる。トクトクと微かに黄色味を帯びた酒が落ちてゆく。
「乾杯」
「乾杯」
一口呑んで、明山雨はとても気に入った。
「おいしいね」
「これが美味しいと感じるなら、雨雨はいっぱしの武人だな!」
「えぇぇ、僕、嫌なんだけどなあ」
「あはははは!まあ、なんでもいいさ!うまけりゃそれでいいだろ?」
「うん、そうだね」
二人は朗らかに笑い合った。
「あ、そうだ、ちょっと待ってて」
「え?なに?」
「いいものあげるから!すぐ戻るよ!」
武林ですぐ戻るという言葉は、ほぼ守られない。だが明山雨は、本当にすぐ戻ってきた。手には太めの竹筒を持っている。
「へへ、阿桃、なんだと思う?」
「酒だろ?」
「うん、そうなんだけどさ」
「もしかして、雨雨が仕込んだのか?」
桃は思わず身を乗り出した。
「あっ、危ない」
バランスを崩した桃を支えた弾みに、二人の肩が触れ合った。気まずさを誤魔化すように、明山雨は竹筒を桃に渡した。
「擾擾成何事 悠悠送此生」
舟のようにはいかないが、明山雨はここに初めて来た日に聞いた詩を歌った。魚龍書院の雰囲気にぴったりな、世俗の些事に煩わされず、悠然と人生を送る漂泊者の心境である。今では続きも知っている。蜘蛛の糸が雨を宿して夕陽に煌めき、そこかしこに詩情が溢れているという内容だ。
「蛛絲閃夕霽,隨處有詩情」
「蛛絲閃?内力が増えるって言う養老派の秘酒か?」
「桃がお酒好きだからさ。阿六に頼んで養老派の酔仙人を紹介してもらって、教わったんだ」
「教えて貰ったからって、すぐ出来るもんじゃないだろ?すげぇな、雨雨」
「酔仙人に会った時、阿六に習って仙水はもう出せたからね。そこは修行の必要がなかったから、普通より早く完成出来たんだ」
明山雨はこともなげに言った。いつの間にか書院メンバーらしい感覚を身につけていたのだ。桃は、五月の青竹のごとく爽やかに笑う。
「そっか、ありがとう!早速一緒に呑もう!」
「へへ、好きだよ、阿桃」
明山雨はどさくさに紛れて気持ちを告げた。もっとも、言葉にしなくても、端午祭の伝統を通して互いの想いは伝え合っていたのだが。
屋根の上の華やぎを他所に、遠くから寂しい歌が聞こえてきた。端午祭に、ひとり侘しく酒を嗜む老人が主人公の歌だ。
「獨無尊酒酬端午」
聞こえるや否や、白い人影が書院を飛び出していく。銀糸が月光に煌めいた。舟である。手には酒壺を持っている。声の主は、袁海であった。袁海は高手である。幾重もの陣を潜り抜けて、下の渓流まで来てくれたのだ。
一方、屋根の下では宴会になっているようだ。散仙と照児が琴と笛とで合奏している。楽と院長は演奏に向かないので、ただ聴いているようだった。
「濁醪誰造汝一酌散千憂」
聞き慣れない声がする。
「誰が作った濁り酒 たった一杯呑むだけで 千の憂いが霧と散る」
子供たちの声が、子供用に翻案された歌で合いの手を入れた。
「お客さん?」
「ああ、爺爺が禁足地から出てきたんだね」
「爺爺?」
「前院長だよ。公輸鉄魚」
「えっ、阿桃のおじいちゃん?」
「そ」
十年前に負った怪我のせいで、普段は禁足地にある特殊な装置つきの寝台で寝ているそうだ。楽の努力が実り、今夜、とうとう起き出して来られるようになった。
「阿桃、降りよう」
「え、いいよ」
「阿桃は禁足地で会えるんだろうけど、僕は師伯に会うのは初めてだよ」
「そういやそうだね。わかった。降りよう」
二人は食べ物の包みと酒の竹筒を抱えて、ひらりと庭に降り立った。
天機台からの帰り道、山道で月を見上げた国師が静かに微笑んだ。国師に訪れた未来の風景に、ひとつの歌が漂っている。
「魚龍舞
湘君欲下瀟湘浦
瀟湘浦
興亡離合 亂波平楚
獨無尊酒酬端午
移舟來聽明山雨
明山雨
白頭孤客 洞庭懷古」
それは寂しい歌であったが、国師の垣間見た未来では、明山雨の余生は幸せなものであった。妻に先立たれた端午祭の日は、雨が降っていた。実際には孤独ではなく、孫たちは元気に公輸の秘術を学んでいる。だが、半身のような連れ合いを失って、魂が引き裂かれるような苦しみを味わっていたのだ。魚龍渓谷の滝壺を遠い昔の伝説に歌われた湖に見立てて、予見の中の明山雨は、一人龍児黄の杯を傾けていた。
と、思ったら違ったようだ。老いた明山雨が激流の水面に腰を下ろして呑んでいる酒を、皺の寄った手が奪う。隣に座って一緒に呑み出したのは、すっかり白髪になった桃だった。そのあと、本当の最期もちらりと見えた。
「えっ、ははは、奇縁に振り回された明山雨は、最後には愛する人と同じ日に、眠るように旅立てるのか」
春雨
朝代:宋朝|作者:陳與義
花盡春猶冷,羈心只自驚。
孤鶯啼永晝,細雨濕高城。
擾擾成何事,悠悠送此生。
蛛絲閃夕霽,隨處有詩情。
落日
盛唐・杜甫
落日在簾鉤,
溪邊春事幽。
芳菲緣岸圃,
樵爨倚灘舟。
啅雀爭枝墜,
飛蟲滿院遊。
濁醪誰造汝,
一酌散千憂。
憶秦娥·五日移舟明山下作
陳與義[宋代]
本文中に全文掲載
音読さんに読ませる時は、広東語にない文字に注意
後書き武侠喜劇データ集
フィナーレはショウブラザーズ
キョンシーコメディの嚆矢
阴人上路,阳人回避!
あむやんしゃんろう やんやんういぺい
茅山僵尸拳
別題名 神打小子
邦題 霊幻少林拳
Spiritual Boxer, Part II
The Shadow Boxing
1979
喜劇、動作、奇幻
監督 劉家良
父親が黃飛鴻の孫弟子
陳五(劉家榮)
酒と博打ばかりしている困った師父
道教の一派である茅山術で、死体を動かし移送する
中の人は監督の実弟
英文データベースで僵尸をvampaiaと書いてあるけど吸血鬼ではない。この映画ではただの死体。法術で動かされているだけ。
ただし、陽の気に当たりすぎると変尸=悪鬼化する危険がある
そのため、移送する時に阴人上路,阳人回避!と口上を述べるのだ
作中の変尸は、生きた人が移送中の死体とすり替わっただけなので、この映画にホラー要素は無いと言ってもよい
法術をホラーとするかどうかは人によるが、恐怖ジャンルではなく奇幻ジャンルに分類されている作品
范振元(汪禹)
主人公
茅山僵尸拳の遣い手
それなりに真面目で気の良い男
袁兄弟ほどではないが、硬い、柔らかい、速い動きで笑わせる
光頭殭屍(劉家輝)
この人が武侠担当
かつ、死体のフリをしつつ逃げ損ねる展開がコメディ要素の半分を占める重要キャラ
中の人効果で終盤の武打シーンがかっこいいのだが、感想などでは可愛い偽死体として語られるほうが多いようだ
鷹拳
冤罪で指名手配されている人物
移送中の死体になり変わる
中の人は監督の父の養子
阿菲 黄杏秀
ヒロイン?
最後まで主人公は法術一筋なのでヒロインではない?
感想やデータサイトではほぼ名前さえ出てないキャラ
現代視聴者を苛立たせる粘着ストーカー
主人公を追いかけ回して仕事の邪魔をしまくる
それがコメディ要素の半分を占めているので、押しの強いお騒がせキャラにアレルギーがある人には無理な映画
前作「神打」のヒットを受けての続編だが、前作より面白い
この頃の、喜劇演技が出来る武術家は、登ったり隠れたり走ったりする動きがガチで速い
ワイヤーやコマ落としなしの画面でも速い
それだけでも緩急ついて面白い
別の作品ですが、液体みたいな動きとかも柔らかすぎて笑う
そういう人が沢山いた黄金時代
作品の多くが、今観ても明るくて楽しい
殭屍拳
この映画ではたくさんの招式が出てきますが、名称を含めてアイデア自体はオリジナルではない
1954年に初回が掲載された金庸の武侠小説第一作、書劍恩仇錄 第二十五回に登場
黒目が上向きになり、両腕を水平に伸ばして死体のように硬直した体で飛び跳ねる拳法
鉄布杉や千手如来または千手観音は、現在では創作物世界の少林寺由来とされるのが一般的ですが、初出は書剣恩仇録に登場する反清組織の個人技のようです
迷ではないので、初出の確信はなし
もしかしたらもっと前の古代中国小説の武侠物に登場しているかもしれません
魯班、奇門遁甲、唐門暗器、茅山術などが渾然一体となり、現代武侠世界の魯班メカとなっているのと同じ現象ではないでしょうか
なお、この中で唐門だけは完全に架空の門派
魯班について
歴史学者は公輸が姓なのか号なのか確定できる資料を見つけていないようです
魯班以前に公輸という姓は、公的な記録に現れたことがない
魯班が功績により新しく考案された姓を賜ったと言う説もあります
武侠世界では、魯班の秘術を継承している一族が公輸である場合と、そうでない場合があります
陣法による障眼術、まやかしではない法術、古代のオーバーテクノロジー、法術で動く宝具、など、魯班の秘術とされる技術も作品によって違います
武侠世界で魯班の残した秘伝書とされる「魯班経」ですが、実在の魯班経は明代に編纂された、建築と奇門遁甲を融合したような書物
最後までお読みくださりありがとうございました!




