第四十三話 国公府の大侠
灰色の人影に救われて、袁海公公は全力で走った。軽功を使って跳んだ瞬間、客桟へと続く斜面から、小柄な男が現れた。男もやはり軽功を使っていた。
「こっちへ!」
男は囁くと、公公の上腕を掴んで引っ張って行く。袁海は目を見開いた。
「掌拒的」
「ふっ」
驚く袁海に不敵な笑いを見せて、飛花客桟の亭主は弦月の照らす枝を蹴る。声も出せず公公に張り付いている幼児にも、ニッと笑いかけた。それを受けた江水も安心して頬を緩めた。
宿の主ほ忽ち飛花客桟の裏庭へと舞い降りた。
「さ、急いで」
裏庭にある薪小屋に二人を引き入れると、ナタや手斧が入っている箱をどけた。箱の下の筵を捲ると、剥き出しの地面に四角い石板が現れた。亭主は内功で重たい石を地面から引き抜く。板かと思ったものは、直方体の切石であった。
「はやく」
石を引き抜いた穴の中には、地下へと導く階段がある。亭主は、懐から出した筒状の火種に息を吹きかけ、灯りとした。真っ暗な地下道を小さな火だけを頼りに進む。三人とも余計な口は叩かない。足跡は軽功に速歩特有な、タタタという軽やかな音だった。
地下道の出口は山の中にあった。安全を確かめてから、三人は外へ出る。
「このまま真っ直ぐ行くと梨花城に着く。門衛にこれを見せれば、衛掌門に会わせてくれるはずだ」
客桟の亭主が袖から取り出したのは、梨の花が額縁状に周囲を飾る小さな楕円形の木札だった。真ん中に梨花客桟と書いてある。
「梨花客桟?」
「そっちの名前を頼りにやって来る客は、信頼していい連中だ」
頼もしく感じさせる笑顔で、痩せた地味親爺が木札を袁海に握らせた。
「とにかく急いだほうがいい。街道にも追手は走ってるだろうからな」
「ありがとうございます」
袁海公公は江水を抱えたまま目だけでお辞儀をした。
「いいから、いいから、早く」
亭主の手で追い払うような仕草を受けて、袁海は出発した。
梨花城に着いた二人は、無事城主に会うことが出来た。城主は、鵲国の総司令官である国公衛月山だ。自ら梨花派を率いる武門の掌門人でもある。
「話は聞いています。梨花派の門下生で、梨花宴に参加していた者がいましてな」
袁海はまだ江水を抱えていた。江水は首を捻って城主の様子を伺った。梨花仙人と呼ばれる城主は、颯爽とした人物だった。
「そのお子さんも、現場に?」
「いえ、その場にいた楽師の息子さんです」
「ということは、その楽師さんは」
城主に問われて、袁海は目を瞑った。
「ああ」
梨花仙人が嘆息する。
「お母さんがどうかしたの?」
すっかり目が覚めてしまった江水は、母が話題になっていると気がついた。袁海は片手で江水を抱えながら、もう片方の手で頭を撫でた。優しく撫でながら、涙で詰まる声で子供に告げる。
「お母さんはね、悪い奴らが暴れた時に運悪く通りかかってしまったんだ」
「えっ、お爺ちゃん、お母さん、お怪我したの?」
袁海は江水を床に下ろすと、自分はしゃがんで目線を合わせた。
「いいかい。落ち着いてよく聞くんだよ」
「うん」
袁海の話によると、宮廷楽師柳女は、控え室に忘れ物をしてしまった。慌てて取りに戻ったが、なかなか帰って来ない。出番が迫っているので、一緒の楽団で参加していた袁海は、様子を見に控え室まで行ってみた。
「山荘の渡り廊下を歩いている時に、書庫の方から大勢が走って来たんだ。先頭を走っていたのは、地元の演奏者として招かれていた、謝県令のお嬢さんだったよ。衛兵に追われていたんだが、何故なのかは知らない。そのあとすぐに、今度は控え室のほうで悲鳴があがったんだよ」
袁海が控え室に駆けつけた時には、柳女が腕をねじ上げられていた。顔色が酷く悪い。
「忘れ物を取りに控え室に戻りましたところ、夜美人が楽団の荷物を開けていたのです」
「無礼者!」
絶世の美女が美しい声で怒りを露にした。美人は皇帝の妃に与えられる位のひとつである。彼女は寵妃だったが、梨花宴の演奏者ではなかった。その場に来ていた事自体、袁海は不思議に思った。
「隊長!こいつ、唇が黒くなってますよ」
「む、そうだな。西狼の死士が使う自決用の毒だ」
死士とは、暗殺や諜報活動に失敗した時に情報を取られないために自決する工作員のことである。同じスパイや暗殺者の中でも、失敗が許されない悲惨な身の上である。袁海は、柳女がそうした残酷な任務を帯びたスパイだなんて信じなかった。
「言え!受け渡し地点と受け渡し方法を教えろ!」
生きているうちに情報を聞き出そうとして、隊長と呼ばれた男が声を荒げた。柳女は白眼まで黒ずんだ眼で、力なく隊長を見上げた。
「私はスパイではありません」
「言え!」
「床に落ちていたのは、最新兵器の設計図だ。知らないとは言わせないぞ」
「存じません」
袁海の足元に何かが転がって来た。小さな腰佩のような白玉である。玉には「夜」という文字が刻まれ、紅い下げ紐がついていた。素早く辺りを見回すと、誰も見ていなかった。袖口から出した小布で玉佩をつまむと、さっとしまった。
袁海は実直な気質だったので、口の硬さを見込まれて様々な秘密を知っていた。西狼のスパイが身元確認に使う古代の邪法についても、安全の為に、と教えてくれた人があったのだ。そのため、直に触ってはいけないことが解っていた。
袁海は、柳女にはもう望みがないことを見てとった。手に入れた玉佩は証拠である。「夜」の字は夜美人を連想させる。血を垂らしてみれば、持ち主は確実に解る品物だ。宮廷の中枢部に属する各部門の長たちならば、それが何を意味するのか知っている筈だ。
しかし、この場にいる誰が味方なのか分からないのだ。少なくとも設計図窃盗の容疑者は二人いる。衛兵が現場に到着した時、設計図は床に落ちていた。柳女は状況をはっきりと説明していた。それなのに、スパイだと決めつけられていたのだ。衛兵もスパイだという可能性がある。夜美人が皇帝の寵愛を一身に受ける権力者だから、という単純な理由かもしれない。
何れにせよ、今は官憲や夜美人の手にその玉佩を渡してはいけない、と袁海は判断した。同時に、柳女のスパイ容疑が確定したことも見てとった。軍事機密を外国に持ち出すとなれば、九族に及ぶ重罪だ。柳女の親類は江水だけである。適用される年齢は御前会議で決定されるだろう。それまでのんびり待ってはいられない。袁海は直ちにその場を後にした。
「うわあああん」
母の迎えた理不尽な最期を聞かされて、江水はしばらく泣きじゃくっていた。泣き疲れて眠るまで、袁海と衛月山は静かに子供の背中をさすって寄り添った。
「袁公公、追手に顔は見られましたか?」
子供を寝かせた後で、梨花仙人が袁海に尋ねた。
「分かりません。月が明るかったので、私だと気づかれたかもしれません。それに、柳女琴師と私が親しかったのは、多くの人が知っております」
スパイの家族を匿うのは叛逆罪である。柳女にとってたった一人の家族である江水の姿が消えれば、捜索が行われるだろう。幼い子供が、叛逆罪を恐れて自ら逃げ出すとは考えられない。誰かに匿われていると簡単に予測できる。よしんば顔を見られていなかったとしても、連れて逃げたと真っ先に疑われるのは袁海である。
「残念だが、袁公公、もう宮廷には戻れないものとお考えになった方がいいですね」
「ええ。解っております」
「もし宜しければ、梨花城でお過ごしください。坊やは梨花派に受け入れることも出来ますよ」
梨花仙人は親切に申し出た。しかし、袁海は乗り気ではなかった。
「その件は、本人の気持ちを確かめてからに致しませんか?」
幼いとはいえ、自分の道はある程度自分で決めた方が良い、と袁海は考えたのである。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
皇族の妻の自称
ざっと調べた限り、どの研究資料でも明らかな誤用とするのは、皇帝に対して「臣妾」と自称することのみ
他の自称については、確実に史書で確認できるのは「本宮」と「我」「吾」「予」
本宮は、清、明、元で妃に限らず皇族が使っていた記録のある一人称
王朝によっては使用例が史書にない言葉
皇族は住まいの名前「〇〇宮」をそのまま呼びかけに使われた
自称するときには本宮と言ったことも記録に残っている
本宮 史書にもあり
哀家 古代戯曲にあり
臣妾 現代創作物にあり
寡人 現代創作物にあり
孤 現代創作物にあり
朕 史書にあり。ただし武則天が帝位に就いてから使用した例。
我 史書にあり
吾 史書にあり
予 史書にあり
追記
則天武后と入力してから武則天に変更したつもりが則武天になってた誤植を発見→なおした
後書き武侠喜劇データ集
ドニーイェンのデブゴン
肥龍過江
燃えよデブゴン/TOKYO MISSION
Enter the Fat Dragon
2021
動作 喜劇
主人公は武で侠だけど現代なので苦情を受けるほうが多い設定
洪金宝は出ていない
ノリもテーマも同一題名のサモハン作品とは違う、刑事アクション喜劇
優勢、劣勢、お笑いを絶妙なタイミングで切り替え繰り返しカタルシスに導くところは、香港動作喜劇のセオリー通り
ドニーイェンでアクションコメディと言えば、笑太極を思い出しますが、本作ではそういう親しい年長者との交流や学びの要素は皆無です
なんとなく王晶カラーが濃いですよね?これ
監督 谷垣健治
朱福龙 甄子丹
仕事も私生活も上手くいかず激太り
特殊メイクで肥龍アクション
動きは鮮やかでかっこいいし、視覚的には面白いんだけど、やっぱり本物の肥な高手じゃないよなーと冷めた目で見てしまう
可儿 周励淇
ヤクザの仕事を受けて来た日本で、連絡を絶っていた主人公と再会
潇洒哥 王晶
元香港警察で、東京に住んでいる
主人公と協力して犯罪組織を追い詰める
小虎 林秋楠
子役。中の人は中国テコンドー世家に生まれ、自身も選手をしている。「大師兄」でドニーイェンの子供時代を演じたというが、観ていない。
悪徳警官役の竹中直人は言葉がわからなくてアドリブ一切しなかった、とインタビューで語ってます
監督はインタビューで、現場は三分ごとに状況が変わるような自由さだったと言っています
クライマックス手前、ビルの狭い物干し場みたいなところで、物干し竿を振り回す長柄物アクションがあります
ほんの短い場面ですが、ちゃんと隙間を突っつくお約束もあるので大満足




