第四十二話 山中の公公
かつて江水という名前だった雲風舟は、いつも持っている絵傘に手をかけた。竹で作られた柄を捻ると、スポンという音を立てて持ち手の先が抜けた。細竹の節を利用した物入れになっていたようだ。
舟は傘を斜めにして柄を振った。中からは古びた布に包まれた物がコロンと転がり出して来た。舟は袖から手巾を取り出してさっと手を拭くと、テーブルの上で布包みを広げた。既にみな食事を終えている。出て来た腰佩のようなものは、親指の先ほどしかない白玉の球だった。
「この傘は、五歳の誕生日に袁公公から頂いたんです。大人用にしては小ぶりで軽く、子供用にしては大きすぎるのは、長く使えるように、と特別に注文して下さったからなんですよ」
舟は懐かしそうに傘を見ながら、柄の先を元に戻した。それから布ごと玉を摘むと、文字が刻まれている面を皆に見せた。
「これをご覧になったことはございますか?」
問われて皆が覗き込む。
「ふむ。夜と書いてあるようだな?」
院長が真っ先に口を開いた。
「文字を刻んだのは魔功じゃないか?邪法の気配がするよ」
桃が手を翳したり、細く短い筆を近づけたりしながら調べている。
院長と桃の様子をそわそわしながら見ていた楽が、たまりかねたように椅子を蹴って立ち上がった。普段の楽からは想像も出来ない荒っぽい動きである。しかし、声は落ち着いていた。
「三弟、それどこで手に入れたの?いつから持ってるの?ダメだよ。千年以上前の奇毒百種って言う本で、観たら逃げるべき物三選の第一位になってるやつだよ」
「楽よ、劇薬なのだな?」
院長を始めとして、皆が口を覆って壁際まで飛び退いた。舟は平然と座ったままだ。
「毒を発生させる装置の一種で、危険物ですよ」
楽によれば、魔功で文字が彫られた邪教の宝具だという。持ち主の魔功で文字を彫った特殊な石で、持ち主の血を垂らした時だけ、彫り込まれているのと同じ文字が空中に浮かぶのだという。身分証明書として信頼度が極まったものである。古代の殺人教団がメンバーの証として身に付けていたものだ、と文献には記されているそうだ。
「現代では西狼国のスパイが使っていて、持ち主以外の血を垂らすと猛毒が吹き出すんだ」
何もしなくても、持っていることを知られたら、スパイ組織の母体である西狼国の奇毒教から暗殺者がやって来る。奇毒教は、とある奇毒を御神体として祀っている邪教である。神の宝物としてではなく、珍しい毒そのものが神として崇められているのだ。
「この玉は、眼にするだけでも危険だと言われてますから、知っている人も少ないです」
楽の先祖は、幻の民族である薬仙一族だ。実在しないとされる雪蓮谷には、唯一の末裔である楽だけが閲覧できる貴重書が数多く残されている。「奇毒百種」も蔵書に含まれていた。
「流石よくご存知ですね、大師兄」
舟が感心した。
「これは、九年前に起きたスパイ事件の現場に落ちていた物なんです」
舟は離れたところにいる皆に向かって説明した。危険物を警戒して、向かい側の壁に張り付いているのだ。それぞれに防御の陣を展開し、横一列で舟の挙動を伺っていた。三種類の陣が折り重なって組まれている。明山雨も安全圏に収まっていた。
「九年前のスパイ事件って、もしかして南雀王の山荘で起きたっていう事件か?」
桃が口に出した予想は、皆も思っていることだった。
「そうです。最新兵器の設計図を、西狼のスパイが盗もうとしたという事件です」
舟の返す声は強張り震えていた。
琴師だった舟の母と、拍板の名手だった袁海公公が出演した梨花宴は、魚龍書院に惨劇を齎した事件が起きた現場でもあった。二つの事件が起きた時は、穏やかな春の宵に、庭園に植えられた梨の花が雪の如く咲き誇っていた。美しく輝く月は霜の如き光を降らせ、夜宴に趣を添えていた。
幼かった舟は、飛花客桟の布団に包まり、窓から月を見上げていた。母と公公の演奏を思い浮かべながら、そろそろ眠りに落ちるところであった。
「江水!起きなさい!」
袁海の高い声が、半分眠っている江水の耳元で聞こえた。肩を掴んで起こされたが、寝ぼけてぼんやりしていた。
「早く!」
袁海は部屋を見回すと、小さな荷物を肩にかけた。楽器の他には親子で一つの包みしか持っていない。袁海は手ぶらで飛び込んできたので、子供を抱える余裕もあった。
「んんー?」
まだ覚醒しない江水を素早く縦抱きにして、袁海は客室の扉から飛び出した。廊下には裏庭へと開く戸があった。閉じられていた戸のひとつを足で蹴り開けると、袁海は外に向かって大きくジャンプした。頬を撫でる風の痛さで目が覚めた江水が、袁海公公の首にしがみつく。袁海は黙って裏山の斜面を跳ねて登った。
開けた場所に出る頃、蹄の音と人声が聞こえて来た。斜面を登り切ったところには崖がある。見晴らしが良いこの場所は、絶好の月見スポットであった。しかし今夜は、冷たい金属の光が崖の上を満たしていた。
「逃がすな!」
罵声と共に馬を走らせる一群の兵士が現れた。南雀王が率いる南方辺境軍の一員である。軍隊の前を走るのは立派な黒馬だった。乗っているのは赤と青緑色の薄絹をはためかせる人物だ。
「や、読みがはずれたか」
袁海は、追手が街道沿いに来ると読んでいたのだ。思いがけずに別口の逃亡者とその追手に出くわしてしまった。
慌てて引き換えそうとする袁海に向かって、鋭い風切り音と共に数本の矢が襲って来た。袁海は江水を抱えたまま、草の間を転がって避ける。鼻先や腕の側に矢が次々と突き刺さった。江水は何が起きているのか分からず、ただ袁海にしがみついていた。
「居合わせた不幸を呪うんだな!」
先頭を走る兵士が、二人に向かって恐ろしい叫び声を上げた。
「待て!公公じゃないか?まずいぞ」
後ろから来た者のひとりが止める。
「なんでこんなところに」
袁海はその隙に斜面を降りようとした。
「何を抱えている!」
背中を丸めて庇われていた江水を、すぐに子供だとは見分けられなかったようだ。兵士が見咎めてがなった。
「設計図かっ」
「西狼間諜だなっ!」
「おいっ、子供だぞ?」
あっという間に近くまで来た騎馬の一群は、二手に分かれて逃亡者と袁海たちに迫る。騎馬の逃亡者は、馬を射られて月夜の空に舞い上がった。ひらひらと流れる赤い袖と、青緑色の裳裾が星空を背景として鮮やかに浮かび上がっていた。地上では、どうと倒れたがっしりとした黒馬が、悲痛ないななきを上げていた。
その時、追手が来る方向とは反対側の茂みから、一人の武人が飛び出して来た。灰色っぽい質素な服を着た青年だ。一直線に空を舞う人の方へと向かっている。高い位置で束ねた髪が、青白い月光の波を勇壮な龍のように泳いでゆく。
「新手だ!」
射手のターゲットが灰色の人影へと切り替わる。人影が薄絹の人を捕まえる前に、薄絹の人は笛を取り出した。夜空には澄んだ笛の音が響き渡った。
「気をつけろ!音功だ!」
内功を乗せた音が衝撃派となって矢の雨を跳ね返す。足を下にしてくるくると回りながら、月夜の笛吹きは地上へと降りてくる。待ち構えていた兵士が剣を振り翳して襲いかかった。しかし、音功に足元を掬われる。大人数を吹き飛ばすほどの威力はない。それでも足止め程度にはなっていた。
「照照ーっ!」
若い男の必死な声に、笛吹きが振り返る。演奏は止めずに、声のほうへと走り出した。
袁海は右に左に矢を避けながら、逃げ道を探して走る。子供を抱えて飛び上がり、回転し、目を見張るような動きだった。矢は一本も当たらない。ちょうど人影と笛吹きの間くらいの位置に来た時、馬に乗ったままの兵士が、身を乗り出して袁海へと剣を向けた。
あわや刺されるかという瞬間、人影が投げたものが黄色く光った。光は二匹の魚になって、互いの尾を追いかける。追いかけながら、魚は光の円を描く。円は袁海に向けられた切先をとらえ、刃は光の円に突き刺さる。刺したはずの切先は円に呑まれて、円は柄へと昇ってゆく。
「ありがとうございます!」
光る円は幾つも投げられていて、飛んでくる矢や振るわれる白刃を呑み込んでいった。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
後書き武侠喜劇データ集
江湖論劍實錄
邦題なし
stupid journey
2014
古装 喜劇 武侠
シリアスもしんみりも説教臭くなく、全編喜劇展開
魯班臭のする飛行機も出る
監督 蒋卓原
司徒耀祖(郑恺 饰)
名門正派で修行を終えた武功高強な青年
下山したら仕事がない
成り行きで公主救出任務につかされる
二丫(潘之琳 饰)
歌妓。沢山の詩を書いているが全く売れない
弓の絶世高手
「何故みんな龍にならなければならないのか?鯉のままで充分幸せではないのか?」という台詞が、映画全体のテーマ
张鼎鼎(孙坚 饰)
役人の息子だが江湖に出ている
絵が得意
王翠(余思潞 饰)
男装女子
女侠




