第四十一話 昔日の宮廷楽師
明山雨が桃に連れられて魚龍書院に戻った時には、夕飯の準備が整っていた。山雨の席も用意されていた。
「まあ座んなさい」
院長に促されて、山雨は食卓に着いた。
「食べよう」
真っ白な饅頭が食卓で湯気を立てている。中には山菜と肉が入っていた。山菜の種類は多く、香味野菜や香辛料も使われていた。明山雨は促されるままに山菜入り饅頭を食べている。食卓には重苦しい雰囲気が漂っていた。魚龍書院にしては珍しい光景だった。
「四人とも、当分書院の外に出ないほうがいい」
しばらく黙って食べていた院長が、難しい顔で言った。
「山雨も逃げきれない場面が出るかも知れないからな」
桃も養老派から刺客が放たれることを心配していた。明山雨は軽功が使えないので、目眩しが破られたら捕まってしまう。
「確かにそうだね」
明山雨も認めざるを得なかった。
「ここにいればまず安全だ」
院長は声だけではなく、体全体からどっしりと頼もしい保護者の雰囲気を醸し出していた。明山雨を入門させようとする強引さは影を潜めている。
「ここにいる間に、せめて軽功くらいは学ぶといいよ」
楽が穏やかにアドバイスをした。桃と舟も饅頭を咀嚼しながら頷く。
「そうだね、摸魚功の練習をしてみるよ」
明山雨があまりにも素直に受け入れたので、楽は垂れ目を見開いた。舟も物憂げに瞼を上げた。
「やっとやる気になったね?」
桃が器に水を注いで明山雨に渡してくれた。山雨は少し頬を染めて受け取った。
またしばらく皆が無言になったが、今回も院長が沈黙を破った。
「今回の手配書がいつまで有効になるのかは、まだ分からない」
門下生たちは黙々と食事をしながら聞いていた。明山雨も真面目に耳を傾けた。
「だが、常に研究を重ねて鍛練していれば、自ずから身を護ることになる」
院長はここで言葉を切って、四人をぐるりと見回した。四対の真剣な眼差しが返ってくる。普段は色々とマイペースな明山雨も、命に関わるとなればそうもいかない。
「楽よ、薬の備えは万全だろうが、外功と陣法もよく修練するのだぞ」
「師父放心」
楽はいつも通り余裕の受け応えをした。
「桃は、悪いがしばらく宝具の開発に専念してくれ」
「尊命」
桃はガサツに見えて、繊細な機構を作ることが得意なようだ。明山雨は、木製の球体が蓮華の形に開いた様子を思い出した。まるで極楽浄土が目の前に現れたかのような、神々しい光景だった。その宝具をつくったのも桃である。
「舟はどうする」
舟だけは院長から質問を受けた。食卓に緊張が走る。明山雨は張り詰めた空気に身をこわばらせた。
「ここに留まるか?」
明山雨は院長の問いかけにびっくりして、勢いよく舟の方に顔を向けた。雲風舟は真っ直ぐに院長を見返して答えた。
「はい、ご迷惑をおかけ致しますが、まだここで学びたいことが沢山あるのです。ここに流れ着いたのもご縁と申しますものでございましょう?何も聞かずに入門をお許しくだされた師父には、言葉に尽くせぬ感謝の心を抱いております」
「分かった。だが、この先留まるならば、ひとつ条件がある」
院長は厳かに宣言した。
「何なりと」
舟は椅子から立ち上がり、院長の隣で跪いた。
「立ちなさい。跪かなくてよい」
院長に言われても、舟は頭を下げたままだ。院長はふんと鼻を鳴らして、立たせることを諦めた。
「仕方ない。そのままで聞きなさい」
「はい、師父」
「書院での修練を続けるのなら、皆の安全の為に、話せる範囲で良いから、ここに着いた時になぜ気絶していたのかを教えてくれ。それが条件だ」
舟の事情について、書院では誰一人として知るものがいなかった。舟が魚龍書院に流れ着いた時には、ここの暮らしが少し落ち着いてきたところだったのだ。院長も、何かあればその時に対応すれば良いと思って、そっとしておいたのである。
舟は床に額をつけるお辞儀をしてから、ゆっくりと立ち上がった。
「皆様の安全に関わることでございますゆえ、心のうちに仕舞い込んでおくことは身勝手と言うものでございましょうね」
舟はそう言って席に戻った。
「臥遲燈滅後,睡美雨声中」
幽冥なる佇まいを見せながら、囁くように語り始めた。
「この書院に参りましてからの日々は、いつしか枕元を照らす燈も消えて暗闇の中で横たわる時、宵闇の中で絶え間なく落ちる秋霖の、寂しくも優しい音を子守唄にして、甘美なる微睡に揺蕩うような日々でございました」
誰も口を挟まずに聞いている。明山雨は、いつもと同じく舟の言っていることが理解出来なかった。ここでの暮らしを舟が結局どう思っているのか、山雨には伝わらない。だが、何か心の奥底に沈めて皆から隠し通して来たことを話してまでも、舟がこの場に残りたいと思っていることは分かった。
風の音や鳥の声、そして魚龍渓谷の水音が聞こえてくる。銀糸の煌めく白い袖を床まで流して、視線を膝に落とした長身痩躯の少年が、姿勢正しく質素な食卓に向かっている。舟の姿は、まさしく春雨を帯びた一枝の梨の花のごとく愁わしげであった。
前庭に向けて開け放たれた窓から、夕べの風がひんやりと訪れる。手入れの行き届いたしなやかな黒髪が、そよそよと揺れている。前髪を上げて小さな髷を結い、残りは垂らしたままだ。長い後ろ髪が衣擦れの音を立てていた。
仄暗く漂う密やかな語りは、雲風舟の過去を紡ぎ出していった。
「今から九年前のことです。梨花宴の惨劇が起きたのは、日暮れも近い春の庭園でございました」
その場にいる皆が息を呑む。楽の過去も、九年前に南雀王山荘で開かれた梨花宴と関わりがあったのだ。
「わたくしめの母は、宮中で祝い事などがある折に宴を彩る箏楽を献上しておりました。その日は、外国からの貴賓も招かれる、華やかな伎楽交流会での演奏を依頼されていたのです。梨花宴と呼ばれたこの会は、南方交易の成功で栄華を誇る、南雀王花墨が主催するものでした」
雲風舟は、当時江水という名前の子供であった。苗字はなく、江水が名前である。父は琴を作る職人であり、母は宮廷楽師であった。住まいは神鵲京にあり、富裕層や貴人の子女を弟子に迎えることもあった。葉銀花や李虹雲も、そうした弟子たちの中に数えられていた。
母の楽師仲間には、伎楽担当の公公もいた。特に親しくしていた袁海公公は、打楽器の名手だった。拍板が得意で、宮中の宴でも楽団の一員として参加するほどだった。右手には拍板と呼ばれる細長い板を二枚繋げた楽器を構え、左手では床に据えた鼓を打った。
袁海公公は、江水少年とも気があっていた。宮廷で権威を持つ公公たちではあるが、袁海は驕りを知らない勤勉な人物であった。父を早くに亡くして、他に親戚もなく、母ひとり子ひとりの江水少年にとっては、祖父のような存在であった。
惨劇の起きた日、五歳だった江水は、朝食を終えて母を見送った。朝早くだというのに、袁海公公が迎えに来てくれていた。侍者や見習いの若者を遣わすのではなく、自ら出向いてくれていた。
「それじゃ、いい子でね」
「危ないから部屋の外には出るんじゃないぞ」
都から遠く離れた山荘での仕事である。幼い江水少年は会場近くの飛花客桟に預けられていた。仕事が終われば母も客室に帰って来る。貴賓は山荘に泊まっていたが、宮廷楽師とはいえ苗字もない親子に部屋は与えられなかったのである。袁海は山荘に泊まっていたのだが、江水の様子を見に来てくれたのだ。
「うん、分かった」
子供の頃からひょろりと背が高かった江水は、真面目な顔で頷いた。大人しい子供であったので、知らない場所を探検して歩くような心配がない。大人たちもそこは信頼していた。それでもやはり幼児であるから、母の柳女は宿の親爺にも声をかけて出かけた。
「ご面倒をおかけ致しますが、よろしくお願いします」
「いいよ、いいよ、気をつけて行ってらっしゃい」
「明日、ご迷惑でなければお礼に一曲演奏させてくださいませ」
「ええっ、そんな、いいのかい?」
果たされない約束を宿の主と交わして、柳女と袁海は山荘に向けて出発したのだった。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
総髪は日本の髪型、月代を剃らない男性の髪型。月代を剃らないだけで、束ねてちょんまげにしたもの、髷を結わずにポニテにしたもの、束ねずに垂らす長髪オールバックについて総髪と呼ぶ例が見られる。大切なのは月代を剃っていないこと。学者や山伏などにみられる。浮世離れした人に多く見られる。
垂髪は古代中国の髪型、多くは前髪だけ髷にしている。風流公子や魔頭などの反社会的、もしくは退廃的、享楽的な人物に多い。
文中の詩句は、白居易 772—846 秋雨夜眠 より
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肉体の変化もなく実感はない




