第三十九話 明山雨と蓮池
「江水師兄?」
これまでとは反対に、銀銀が心配して舟の肩に触れた。舟はポンポンと銀銀の背中を叩き、切れ長の目を儚げに細めた。その様子を見て楽が静かに立ち上がる。
「ん?」
楽の動きを目で追って、白圓が太い眉を顰めた。
「三師弟、積もる話もあるだろうけど、今日はそろそろ失礼した方が良さそうだよ」
舟は楽を見て、銀銀を見て、白圓を見た。最後に山雨を見ると、幻のようにゆらりと立ち上がった。
「銀銀、それでは、また明日にでも」
「え?ええ」
食事の約束をしていたはずなので、銀銀は得心がいかずに眉を顰めた。今話していることも途中なのだ。急に立ち上がった二人に困惑したのである。銀銀の戸惑いをよそに、楽と舟は一礼して部屋を出る。残る謂れもなく、銀銀と山雨もその後について行った。白圓は不満そうに舌打ちをしたが、皆が出て行くままにした。
銀銀の部屋まで来ると、楽は舟を見上げた。楽は銀銀を見た。銀銀は戸惑った。
「行こうか」
楽が唐突に言った。
「えっ」
「へっ」
葉銀花は舟に、明山雨は楽に腕を掴まれて、摸魚功で連れ去られた。
降りた先は、南雀王山荘跡である。石の梁の上で仰向けに寝転がっていた阿六が、ごろりと寝返りを打った。腹這いになって下を覗くと、気さくな調子で話しかけて来る。
「最近お客さん多いんだけど、なんかあったの?」
「うんまあ、ちょっと動きがあったよ」
楽が穏やかに答えた。目の前に飛び降りてきた阿六を、銀銀がまじまじと観ている。目線を受けて、阿六が話しかけた。
「ん?服が気になる?」
銀銀は染物屋なので、阿六の着ている服が普通の物ではないことに気がついたのだ。
「君も三百年くらい修行したら作れるようになるよ」
「ふふ、三百年ですか」
冗談かと思って、銀銀が笑った。はにかんだ笑いが廃墟の庭に彩りを添えた。
「銀銀、阿六は本物の仙人ですから、冗談でも比喩でもなく、本当に三百年かかるという意味で仰っているのですよ」
舟は身を傾けて銀銀に告げた。
「あら、そうなの?三百年?」
銀銀は予想外の事実を受け止めきれずに、小ぶりな両手を握りしめた。
「興味があるなら教えてあげるよ。ここで会ったのも何かの縁だからね」
「三百年はちょっと」
「ふうん、残念」
仙人は縁分、因縁、天命等という言葉を大切にしている。縁の無いものに執着することがない。阿六は、銀銀に勧誘を断られるとあっさり引き下がった。一方で仙人は、天命とあらば何がなんでも実現させようとする困った人々でもあった。運命に逆らおうとする者と出会えば、逆天を阻止するべく全力をつくす。そこを非情、無情だと批判されることも多かった。
阿六が興味を失うと、楽が口を開いた。
「それで、三弟。李虹雲師兄と李錦霞伯父っていう人に心当たりはあるの?」
客桟でしていた話の続きだ。白圓が楽の本名を知らなかったことで、楽は場所を移したのである。過去に関わる話を身内だけでするつもりなのだ。
「はい、ございます。お父上は、たいそう羽振のよい織物商でございました。ご子息には母が琴の手解きをしておりました。わたくしが都を離れる前には、まだお元気なご様子でしたよ。物静かで真面目で、どこか浮世離れしたところもあって、あまり商人という雰囲気の方ではございませんでしたね」
「三師弟が神鵲京を離れてから、李家の人には会った?」
「いいえ、ご子息が病に苦しんでいるという噂も存じませんでした」
楽は、銀銀にも質問をした。
「小葉女、李家はいまどんな暮らしぶりなのか、聞いてる?」
「お店を畳んでからは、ご家族だけでひっそりとお過ごしだったんです。都を離れてからも、父にお手紙をくださっていて。数年前に私が住まいを定めてから、お手紙を出してみましたら、お返事をくださったんです。李虹雲師兄は南に移られてから間も無く亡くなって、奥様も今では鬼籍に入られたとのことです」
「じゃあその人、商いから引退してだいぶ経つよね?」
「そうですね」
「そんな人に、武林大会で品物を売る方法なんか解るの?」
「どうでしょう?お会いしてみませんと、なんとも」
「うん、それはそうかもしれないね」
銀銀は舟を見た。
「江水師兄。李錦霞伯父様にお会いする?二、三日の内には、飛花客桟に到着すると思うわよ」
「わたくしめのことを、覚えていらっしゃるでしょうか?」
「覚えてらっしゃるわよ。お手紙でも話題にしてたもの」
「左様でございますか」
舟は物思いに沈むように目を伏せた。
「会ってみれば?どうせ小葉女から伝わるだろうし」
「大師兄、確かにそうですが」
舟は迷っていた。
「そういえば、江水師兄、名前を変えたんですって?なんと仰るの?」
銀銀はなんのてらいもなく聞いた。
「まあ、そのうち解るよ」
楽は曖昧に受け流した。
「三師弟、小葉女を客桟まで送ってあげたら?僕は食事当番だから、お先に失礼するよ」
連れて来たのは楽である。少し身勝手な提案だが、舟はその程度では動じなかった。
「ええ、じゃあ、銀銀、戻りましょうか」
「えっ、ああ、ええ」
明山雨は、何故自分まで連れてこられたのか解らなかった。明山雨が身につけているのは養老派の障眼歩法だけである。本人が養老派だと認識していなくとも、歩法に関しては雲風天院長に高手と認められるほどなのだ。だから、明山雨は名乗るとすれば養老派だ。魚龍書院の門下生として手配書を作られてしまったが、正確には書院の所属では無い。
そんなわけで、明山雨はあからさまに不満そうな雰囲気を全身から醸し出していた。それでも、立ち去り兼ねているようだ。三人が会話している傍で、手持ち無沙汰な様子で立っていた。銀銀を勧誘するのをやめた阿六が、明山雨にちょっかいをかけて来る。
顔の真横でいきなり水が噴き上がり、明山雨は横様に飛び退いた。
「へへっ」
阿六がにやにやしている。彼も楽たちの会話には加わらないつもりのようだった。
「びっくりした」
「雨雨もやる?」
「三百年かかるの?」
「かかんないよ」
阿六が水を出す法術は、阿六たち鯉門の蓮池功というものだ。鯉門は、武術の修練を通して仙人を目指す修仙門派である。明山雨は仙人になりたいわけではないが、水を出せるのは便利である。阿六から減らない水を貰ったが、水筒が壊れたらそこで終わりだ。どこでも水が手に入る技術は、習っておいても良い気がした。
「じゃ、やる」
「うん、わかった」
明山雨が気軽な様子で頷くと、阿六も軽い調子で引き受けた。
「最初は水場のあるところでやるほうが簡単だぜ」
「ここにはないね」
「蓮池まで行く?」
「近いの?」
「近いよ」
「じゃ、行く」
明山雨の返事と共に、二人は山荘の廃墟からいなくなった。阿六は、明山雨の腕を掴んだり肩に触れたりはしなかった。忽然と消えたのである。話をしていた三人は、二人が消えたことに気づかなかった。楽と舟が廃墟を離れる時、初めていないと分かったのである。
「あれ?明弟、いないね」
「阿六さんも見当たりませんね」
銀銀はきょろきょろした。
「二人とも、相変わらず見事に逃げちゃうもんだねえ」
楽はにこにことしながら言った。
「それじゃ、三師弟」
「ええ、大師兄」
そうして三人もその場を離れた。
一方、明山雨は、阿六に連れられて蓮池の畔までやって来た。山の中にある広い池で、一面に蓮の葉が浮いている。水中に見える茎の間を泳ぎ回る魚も見えた。
「水を掬ってみて」
「うん」
明山雨は両手で池の水を掬った。
「次は片手でやってみて」
「うん」
また言う通りにやってみた。
「じゃ、次は、水に手を入れないで、水を掬ったときの感覚を思い出してみて」
「うん」
明山雨は、言われた通りにした。
「そしたら、その感覚で、水に手をつけないで池の水を掬ってみて」
「うん?」
阿六が雲風天院長のようなことを言い出した。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
武侠世界の仙人や飄々とした青年、老成すると老怪人系になりそうなキャラが、気に入った相手を揶揄う時によく発する「えぇーい?」という音声
キャラ自体武侠世界以外ではあまり見かけないですが、この音声も中国武侠ドラマ以外では聞きませんね
後書き武侠喜劇データ集
経典作品
奇門遁甲
ミラクルファイター
The Miracle Fighters
1982
功夫,武術,霊幻,神怪,无厘头
喜劇は?喜劇で良いんですよね?
百度百科で無厘頭=始まりも終わりもない無秩序な90年代香港ドタバタコメディがついてますが、このジャンルは周星馳を筆頭に香港で発生した文化
監督 袁和平
武術指導 袁家班
樹根 袁日初
孤児。冒頭で人質にされた挙句死亡した皇孫の、身代わりにされる。オリジナルは王爺の息子だから少なくとも皇帝の息子ではないが、翻訳では皇子となっているようだ。
奇門 梁家仁
うどんの技などが得意
遁甲 袁祥仁
紙蝶の技が得意
高雄 高雄
満州族と漢族は連携してはいけないという国法に逆らい漢族を妻とし、妊娠中の妻を自らその場で処刑しろと言われて反撃、しかし妻子は処刑される
皇孫を人質にして逃げる。解放しようとした時には既に皇孫は息絶えていた
蝙蝠法師 袁信義
反派
本作でも人形アクションあり
故人だけど遺影がお酒を呑む師匠役に袁小田
冒頭のどシリアス以外はいつもの明るい袁家班
奇抜な動作設計で第2屆香港電影金像獎最佳武術指導を受賞
2017、2020、2023にリメイクと称するほぼ1982版と無関係な作品が製作された
袁和平が監督と武術指導をした2017年版奇門遁甲も、脚本、製作を担当した徐克の色が濃い
その他にも奇門遁甲之〇〇、奇門〇〇、という一群の武侠魔幻劇が製作され続けている
本作の奇門遁甲
天師 法術を操る道士
入門功夫 手足を同時に操る技
奥義 天候を操り紙を本物の麺に変えることも出来る




