第三十八話 明山雨と商人
程なくして楽が部屋に戻って来た。その後ろには葉銀花を引き連れていた。
「銀銀」
舟が、かいがいしく椅子を引いてあげた。銀銀は嬉しそうに微笑んだ。舟もそっと笑う。楽はすすっと元の椅子に収まった。
「貴女は何故この客桟にいるのですか?」
前後の脈絡なく、楽は端的に聞いた。いつもの温かな笑顔である。銀銀は眉を寄せた。そして、不安そうに舟を見上げる。舟は優雅に頷いた。それに元気付けられて、銀銀は答えを口にする。
「父の昔の知り合いと落ち合うことになっているんです」
銀銀の背筋は伸びているが、俯きがちである。声もかろうじて聞こえる程度だ。
「どんなお知り合いですか?」
楽は食い下がった。明山雨は、楽と初めて会った時のことを思い出した。楽は、静かな親しみやすい様子で、有無を言わせぬ尋問をする若者なのだ。明山雨が魚龍書院に迷い込んだ時、即効性の自白剤を飲まされた。それは効き目が切れると昏倒するという、危険な薬であった。何故か明山雨はなんともなかったのだが。
「え、あの、父の古い知り合いですが」
「何を生業としている人でしょう?」
またちらりと舟を見る。舟は励ますように視線を返した。
「織物商です」
「なんのために会うのですか」
銀銀は更に眉を寄せるが、観念したように答えた。
「武林大会で物を売るにはどうすればよいのか教えていただく約束です」
楽はひとまず満足したようだ。一口水を飲んだ。
楽が話をやめると、今度は白圓が質問を始めた。
「武林大会がいつ始まるのか知ってなさんのかい?」
「正確なところは存じません」
「へえ?そんなんで商売しようってのかい?」
「実は私、通行証が無効になってしまって、町に入れないんです。なかなか情報も集められなくて。人伝に聞いたことは、曖昧な内容が多くて」
「通行証が無効?」
三対の眼が一斉に銀銀を見た。
「ひっ」
銀銀は身を縮めた。
「怖がらなくても大丈夫ですよ」
「江水師兄」
助けを求めるように銀銀は船を見上げた。
「江水?」
白圓の眼が鋭く光る。
「おや?ご存知では無かったのでございますか?」
舟が皮肉ではなく、心底意外そうに言った。
「ああ、知らなかったよ。ひょろいの、おめぇさんも名前を変えてんのかい。まあ、武人に名前のひとつやふたつ、あったっておかしかねぇけどよ」
「白兄でも知らないことがあるんだねぇ」
「けっ、小子」
白圓は苦笑いをすると、話を元に戻した。
「そんで、染め物屋。通行証が無効だってなぁ、ぜんてぇどうしたわけなんだよ?」
「はい、あの」
銀銀はもう一度舟を見た。舟は励ますように頷いた。
「子供の頃の物しかなくて。今はもう父のお店はありませんから。住んでいる場所も身分も違うので、無効なんです」
「新しいのは作んねぇのかい?商人ならツテもあんだろ」
「ツテはあっても、発行手数料が払えなくて」
「けっ、呆れるぜ」
鵲国の通行証は身分証である。身元不明の人には当然発行されない。身元を保証してくれる人がいれば申請できるが、発行には手数料がいる。身元を保証してくれる人がいない場合には、闇業者が偽の保証人になってくれる。これは犯罪なのだが、実際には鵲国全域で横行している。
しかし、手数料のほうは誤魔化すことができないのだ。一般の貧しい人々には、通行証を手に入れることは難しい。貧しくても武功のある者どもは、様々な技を駆使して勝手に城塞都市を出入りしているのだが。
「町ん中にも入らねぇで売るつもりかい?」
実際鵲国では、城壁の外で荷車や敷物を使った物売りを見かける。
「はい。うまく売れたら通行証の申請をしようと思うんです」
売上金額の目標は、通行証発行手数料以上のようだ。
「おめぇさん、売ろうとしてるもんがどんなもんなのか、ほんとに解ってんのかい?」
銀銀はまた怯えた。
「大丈夫ですよ」
もはやお約束のように、舟が励まして銀銀が落ち着いた。
「刃物で切れない布なら、金属の鎧を買えない貧しい人でも買えますから、武林の方に興味を持っていただけると思うんです」
銀銀の発想は無邪気だった。ターゲットは楽のような手練ではなく、一般の武人に定めたようだ。
「もう少し研究して、お金も手に入ったら、高級生地にも応用出来る筈です。高級生地なら、富貴な方のお目にも留まるのではないでしょうか」
「けっ」
白圓は鋭い目つきで銀銀を見据えた。当然銀銀は震え上がった。舟は柔らかな動作で背中を軽く叩く。銀銀は完全に下を向いてしまっていた。
「おめぇさん、鎧の相場は知ってんのかよ?」
「え……?」
「えっ、ておめぇ」
白圓に鼻で嗤われて、銀銀は居住まいを正した。咎められたと感じたのだ。蚊の鳴くような声で、慌てて説明をした。
「よくは存じませんが、服を買える者でも鎧は気安く買えないとは伺っております」
「ふん、どうするよ?」
白圓の言葉は、楽に向けたものであった。
「教えてあげても良いんじゃない?」
楽が銀銀を信用したのかどうかは判らない。滅多に腹の底を見せない若者である。
「ま、いいか」
胡乱な目つきで銀銀を見ながら、白圓は楽に同意した。明山雨は、そろそろ飽きてきた。部屋を出て行くかこの場に残るか算段を始める頃である。
「いいか、おめぇさん。よく聞けよ。金属より軽くてしなやかで刃物も通さない布なんざ、普通の鎧の比じゃねぇぜ」
「えっ」
「また、えっ、かよ。けっ、とにかくだな。幽谷寺って秘境の寺に伝わるとかいう、幻の外功並の硬さなんだよ。伝説級のもんが、庶民むけの値段で買えるとなりゃあ、手に入れた奴が高値で売り捌いたり、命のやり取りが起きたりするもんだぜ」
銀銀はもう短い言葉すら出せずにガタガタと震え出した。額からは冷や汗が流れ落ちていた。
「その、親父さんの知り合いってのは、そこんとこ何にも教えちゃあくれなかったのかよ」
黙って背中をさする舟に勇気付けられて、銀銀は深呼吸を何回かした。ようやく落ち着きを取り戻すと、白圓の質問に答えた。
「はい、何にも」
「どんな話になってんだ?」
「南鵲城に、父が昔交流をしていたという方がいらして」
白圓の眼が光り、舟の顔に微かな緊張が走った。
「昔、御用商人をなさってらした方で。父の顧客は宮中までは届かなかったので、弟分のようにご指導下さっていたそうなのです」
「それは誰に聞いたんだい?」
「えっ、あの」
銀銀はまた怯む。
「大丈夫ですよ。落ち着いて。ゆっくりで良いんですよ」
「江水師兄」
「大丈夫です」
銀銀は舟にひとつ頷くと、話を続けた。
「幼い頃、神鵲城の自宅に、その方がよく遊びにいらして下さってて。私も可愛がっていただきました。父のお店が立ち行かなくなる前に、その方はお商売を畳んで南に行ってしまわれたんです」
「御用商人だろ?店を畳むたあ、ただ事じゃねえぜ?当時その知り合いってなぁ、いくつくらいだったんだ?」
白圓は、その御用商人に引っ掛かりを覚えたようだ。
「父より歳上でしたが、それほどお年は召してらっしゃらなかったんですけど」
「けどなんだ」
「ひっ、ええ、あの。坊ちゃんがお病気になられたとかで。療養に専念する為に、気候の良い南部地域に移られたんです」
「坊ちゃんてのには会ったことあんのか?」
「はい。たしか、私より七、八歳は上でしたかしら。江水師兄、覚えてらっしゃるかしら?李虹雲師兄。お父様は、李錦霞伯父様よ」
銀銀の背中に添えていた舟の手が、微かに震えた。
「どうした、ひょろいの。覚えがあんのかよ?」
白圓は探るような視線を舟に向けた。御用商人に関してなら、白圓は詳しく知っているに違いない。名前が出るまでは、御用商人を騙る悪人とも考えられた。だが、具体的な家族の名前まで出てくれば、白圓の知識と符号する人物もいるだろう。勿論、実在する御用商人になりすました可能性は捨てきれないが。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
現実の中国で木綿が庶民の服となったのは、12世紀初頭の南宋からと言われている
その前は麻の服が一般的だった
後書き武侠喜劇データ集
A計劃
プロジェクトA
project A
動作 喜劇
主人公グループが武で侠なのでおけ
監督、脚本、主演 成龍
動作指導 成家班
1983
馬如龍 成龍
阿龍。水警沙展。香港の水上警察で巡査部長にあたる。
途中で水警が廃止になり陸警に編入されるが、終盤で復活
赤い縞々の陽除けを落ちてゆくスタントが有名
ジャッキーが武術指導をする作品は、最初期から長柄物の招式を多く使っていて、逆に軟器や投擲武器、弓などはあまり使わない
本作では飛び道具も敵の武器としてそれなりに活躍するが
本作でも障害物多数の空間で長柄物アクションを見せてくれる
成龍喜劇を観ていると、棍や長槍が、狭い、天井が低い、障害物が多い、遮蔽物が多い、などの空間でいかに華麗で強力な兵器であるかがよく解る
卓一飛 洪金寶
阿飛。泥棒。阿龍の幼馴染。
洪天賜 元彪
警部補で陸警教官。水警といがみ合っている。
香港喜劇は、けっこうシリアスなストーリーを全編コメディで描いても、場違い感や不快感を起こさせないのがいい




