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魚龍書院/ゆうろんしゅーゆん  作者: 黒森 冬炎


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第三十五話 明山雨と琴師

 帷帽(いぼう)の人物の顔がチラリと見えて、明山雨は確信した。やはり鵲菫(じゃっがん)を摘んでいた女性だ。


江水師兄(こんすいしーひん)。本当にお久しぶりねえ」

「貴女は……?」


 舟は傘を閉じながら、帷帽の女性に問うた。心当たりがないようだ。


銀銀(にゃんにゃん)よ。葉銀花(いっにゃんふぁー)柳女師傅(らうないしーふー)に琴を習っていたわ」


 それを聞いて、舟は姿勢を正した。


「銀銀。荷車なぞお引きでいらっしゃるゆえ、気がつきませんでした。幼い日々には灌木の細枝が如きか弱き(かいな)で、琴を落とすまいと懸命にお運びなされておられましたから」

「相変わらずね。江水師兄。そんなに畏まらないでよ」

「銀銀こそ、師兄はやめてくださいよ。母の手を見て真似事は致しましたが、手解きを受けたのではございませぬゆえ」


 どうやら(ざう)は江水という名前で、母親は古琴の教師だったようだ。


「でも師兄。共に弾いた調べの数々は、ほんとうに楽しかったでしょう?とても懐かしいわ」


 か細い銀銀の声となよなよした舟の小声は、葉擦れが囁き交わすかのような調和を見せていた。



「銀銀」


 舟は悲しそうな目線を銀銀の指に落とした。ガサガサの皮膚、染料で黒ずんだ爪。貴族や豪商の千金と見紛う扮装ながら、袖口から覗く手は労働者のそれだった。


「ご苦労なされたのですね」

「あら、そんなことないのよ」


 銀銀は帷の中で控えめに微笑んだ。舟の口元にも微笑が浮かぶ。


「晴れ上がる初冬の朝早く、真白に輝く霜の花は、浄らかで魂までが洗われるようでございます。辛い日々にもシミ一つなく、清廉なまま生きる強さは賞賛に値いたします。日々の苦労が薄く重なり合って羽の如く凍った、わたくしの心の池の氷は、貴女という暁の熱に溶かされました。神秘を覆う帷にそっと手をかけてみれば、揺れる絹の隙間からわたくしの心に忍び込む風は、僅かに温んで、もう厳冬は過ぎ去ったのだと解ることでしょう」


 銀銀は舟の話を静かに聴いている。楽なら聞き流し、桃なら悪気なく遮って、院長なら鼻で嗤うことだろう。しかし、銀銀は嬉しそうに聞いている。旧友との再会を喜ぶだけではなく、深く心に響いているようだった。


 明山雨は物陰で二人のやり取りを聞いていた。帷帽の女性が何者なのか気になったのである。そもそも、神鵲京郊外の河原で見かけたからまだ五日ほどしか経っていない。あの場所からここまで、馬でも五日ではとても着くことが出来ないのだ。明らかに軽功を使っている。



晴皎霜花(ちんがうさうふぁ) 暁熔冰羽(ひうゆーびんゆう) 開簾覚道(ほいりんこっとう)寒軽(ほんへん)


 もの哀しげに舟が歌った。銀銀は、恥ずかしそうに目を伏せてそれを受けた。


却怕(かっぱー)惊回(げんうい)睡蝶(すいでい) 恐和他(ふんうぉたー) 草夢都醒(ちょうむんどうせん)


 銀銀の声はか細いが爽やかだ。陰鬱な舟の声とは好対照である。明山雨に歌の内容は全く解らない。だが、二人がなんとなくしっとりと良い感じになっているのは解った。明山雨は、急に桃の躍動的な動きを思い出した。


「なんでだろ?」


 目の前の二人とは正反対である。連想するような点はひとつも見当たらなかった。だが、桃の姿がやけにくっきりと目に浮かぶのだ。


「阿桃、今何してるかな?会いたいなあ」



 明山雨が桃の姿に憧れを抱いている間にも、白い二人は再会を喜んでいた。二人は向かい合って立っている。銀銀は脚の震えが収まって、荷車の前で真っ直ぐに立っていた。長身な舟を見上げて、熱心にその言葉に耳を傾けていた。


「昔の人は、花園に張り巡らせた紐に花鈴と呼ばれる小さな銅の鈴をたくさん提げて、花園が鳥に荒らされるのを防いだと聞きました。冬が過ぎ春が訪れるまで、美しく香り高く咲き誇る花々を護ってくださることでしょうね。けれどもあなたは、そうした銅の花鈴が、まだ咲きもしない花々の花芽に羽を休めて眠る胡蝶や、草花の中に漂う美しい春の夢までも眠りから覚ましてしまうことを恐れていらっしゃるのですね」


 銀銀はこくんと頷いた。帷帽が細長い薄布の帷ごと頭が上下する。舟はやや背中を丸め、小柄な銀銀と視線を合わせて微笑んだ。帷から覗く柔らかな微笑みと、舟の愁を含んだ微笑みが新緑の中で溶け合っていた。



 山雨は、出て行くタイミングを失ってしまった。舟が何を言っているのかは、相変わらず全く理解出来ない。銀銀には通じているらしいのが、山雨には驚きだった。


 調和という言葉がぴったりと来る二人だ。一対の白い若者の間には、逃げて行った山賊など居なかったかのような、穏やかな空気が流れていた。真っ白い薄絹に隠れた浄らかな少女と、銀糸の混ざる白衣(びゃくえ)を纏うもの憂げな少年。その場には、気を失った山賊が数人残されている。舟が長い袖を操って取り上げた、山賊どもの刀の山もある。そうした襲撃の痕跡は、二人の目には入っていないようだった。


「江水師兄、もう十年くらい経つかしら?」

「そうですね。銀銀も苦労なされたようですが、この十年、どのようにお過ごしでしたか?」


 明山雨は、二人の再会よりも舟の絵傘が十年間変わっていないことに驚いた。これも内功の成せる技なのだろうか。絵傘に張られた紙も、それを支える骨も、さほど古びてはいないのだ。真新しくもないのだが、破れたり茶色く変色したりという様子は見られない。銀銀は、それに気づかないのか気にしないのか、十年前と同じ傘として自然に受け入れていた。


 それに加えて、地面に転がっている山賊も気になった。いつ起き上がるかわからない。早く通報しないと、体勢を立て直した盗賊が仲間を増やして戻って来るかもしれない。明山雨はハラハラしながら眺めていた。



「江水師兄、あの、わたし、この先にある飛花客桟に向かっているところなんです」


 銀銀が控えめな調子で言い出した。ここは飛花客桟からみると、梨花城の先である。山の中で立ち止まっていたら、到着がだいぶ遅れてしまうだろう。懐かしさが少し落ち着いて、現実に心を配るゆとりがでたようである。


「左様でございますか。荷車、引いて差し上げましょう」

「まあ、ありがとう。それじゃ、後ろから押してくださる?全部任せてしまうのは気が引けるもの」


 舟の申し出を素直に受けて、尚且つ甘えるだかでもなく、銀銀は荷車の持ち手を握った。


「ええ、では、後ろから押しますね」

「お願い致します」

「止まる時には仰ってくださいませ」

「声をかけるわ」

「それじゃ、行きましょうか」

「ええ、出発するわね」


 二人は坂道を下り始めた。明山雨もなんとなくついて行く。


師傅(しーふ)と江水師兄が行方不明になってから五年くらいたったころだったかしら。父が頼りにしていた問屋さんが不幸に見舞われてね。染料の荷を積んだ交易船が遭難してしまったの」

「それは災難でしたね」

「予約分の高級染め物生地が作れなくなってしまって」


 大きな損失を立て直すことができず、結局、葉家の染め物店は倒産してしまった。立て直しに奔走した父母と兄、そして最後まで残ってくれた数名の従業員たちは、過労で倒れてしまった。祖父母も心労が祟って寝込んでしまった。倒産後の生活苦で家族は次々と鬼籍に入り、銀銀は今、天涯孤独の身の上だ。


「偶々見つけた繊維を強くする染料があるの。すごいのよ。刃物も通さないの。武林大会が開かれるって聞いたから、欲しがる武人がいるんじゃないかと思って」


 銀銀が鵲菫(じゃっがん)の変異種を見つけたのは、予期せぬ出来事だったようだ。銀銀が運んでいる荷物は、強化繊維の布地か、その布で仕立てた衣服だろう。


「その話を誰かにしましたか?」


 舟は心配そうに尋ねた。特殊な生地を作る職人となれば、狙われて当然である。品物を盗む者、技術者を拉致する者、ライバルが強化されるのを恐れて技術者を亡き者にしようと企む者。様々な危険が考えられた。


「いえ。まだ誰も知らないわ。売り出すのも初めてよ。その草は、一年前に見つけたんだけど、普通の鵲菫と見た目は変わらないのよ。布を織り上げて端の始末をしようとしたら、糸が切れなかったの。細い糸一本なら切れるんだけど、二本より多いともうだめなのよ」

「他の職人さんからも聞いたことがなかったということでしょうか?」

「ええ」


 鵲菫の変異種が生えているのは、都の近くである。誰でも行くことが出来る河原だ。(ろう)は知っていたが、武林や染織業界の常識というわけではなかったようだ。これまで発見されなかったのは不思議である。明山雨は、興味を惹かれて聞き耳を立てた。




大家好だいがあほう

みなさんこんにちは


本文中の詩句は、

张炎 1248-1320? 满庭芳·晴皎霜花より

人生が14世紀にかかっている詩人を見ると、新しいと思ってしまう

令和に生きる我々は超未来人


後書き武侠喜劇データ集

奇幻ジャンル


西遊·降魔篇

西遊記 はじまりのはじまり

Journey to the West: Conquering the Demons

喜劇 奇幻 冒険

中国で孫悟空は武侠なのでおけ

2013

監督 周星馳

玄奘 文章

段小姐 舒淇

孫悟空 黄渤(人形)葛行宇(真身)

にんぎょうじゃなくて、人間体です

初登場シーンが秀逸


特徴

カラクリ

降魔師たち、促妖ものではない、完全に武侠世界の住人

残酷描写あり

三蔵法師のおともが原著と全く違う来歴

オリジナルが香港ではなく中国なので普通話ですが、広東語版同様、メインキャラの多くが配音無しで本人の声を使用

続編、西遊 伏妖篇はツイハーク製

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