第三十二話 明山雨の水筒
雲風楽の髪帯は、特殊な染料「鵲菫」によって、刃物を通さない強度を持っていた。白い帷帽を被った人物が集めていたのは、その草である。やはり普通の人ではなかったようだ。
「怪しいと思ったんだよ」
「桃よ」
「なんすか、師父」
「忘れるなよ?書院はあちらから攻めてこない限りは、世俗のあれこれに関わらない掟だ」
「うっ、気をつけるっす」
「くれぐれも余計なことに首をつっこむでないぞ」
「ニ師妹は下山しないほうがいいみたいだね」
「大師兄!」
明山海と雲風桃が散々頭を悩ませた手配書は、院長や大師兄が事情を全て知っていた。魚龍書院としては、特になにも対策をしないようだ。今まで通り、侵入者を撃退するだけである。
明山海も、ここにいれば守って貰える。だが、勧誘や人体実験の危険も依然としてある。そこで明雨は考えた。国公府もまた、保護してくれるのではないか、と。
明山雨は、独りで山を下りた。桃は院長から下山を止められ、他の二人は特に同行を申し出なかったのだ。
「静かだなあ」
話をしていない時でも、そばに誰かがいると完全な静寂は感じられない。竹林を過ぎ、街道を辿り、飛花客桟を通る。数日かけてのんびりと旅をした。「いつもの山歩き」を使っているので、指名手配されていても恐ることなく歩いてゆく。
「考えてみれば、あんまり気にしなくて良かったんだ」
散仙から教わった歩法を使えば、人目を気にする必要がない。大きな町でも国境でも、見咎められることなく通り過ぎることが出来る。明山雨には通行証も必要なかったのだ。桃も摸魚功で跳び越えて仕舞えば良かったのである。
客桟からしばらく行ったところに、馬車も通れそうな坂道があった。摸魚功で運んでもらった時には気が付かなかった道である。廃墟へと続く崩れた階段とは違い、現役の馬車道である。今人影は見えないが、轍や蹄の跡がくっきりと残っている。
明山雨は予定を変更して、そちらへ曲がることにした。保護して貰う必要がないと気がついたのだ。国公府を訪ねる理由もなくなった。気の向くままに足を進める。
坂道は思いの外長かった。二度ほど休憩して、崖の上に出た。振り返ると、魚龍山が見える。書院から摸魚功で来るならば、客桟よりこちらの方が近そうであった。
坂の上には、道案内の立札がある。一つは今通ってきた坂道を指していた。「梨花城」と書いてある。きちんと読める看板だ。もう一つは左手を指し、「南雀王山荘」という文字が殆ど消えていた。
最後の一つは右手を指している。「南鵲城」と書かれている。崖から見渡すと、はるか向こうに城が見えた。この看板は手入れされている。九年前に南雀王府が無くなって、現在は南鵲城という皇帝の直轄地になっていた。そこへと向かう道なのだ。定期的に手入れがなされているようである。
明山雨は崖の下を覗いてみた。
「謝照児はここから落ちたのかな?」
断崖絶壁である。眼下には森が見える。
「よく助かったなあ」
謝照児は笛の名手である。散仙から習った音功で勢いを消し、崖を足場にして安全に下りたのだと言っていた。音功は音に内力を込める技術である。楽器の音が強い衝撃波となる他、虫や人を操る催眠音波を出すことも出来た。
ここは、見る限り殆ど垂直の崖である。途中に岩棚や太い木は見えない。照児は、音功の助けだけでこの崖を駆け降りたのだ。とても人間業とは思えない。
「ここを下りる気にはならないな」
明山雨は首を振った。
「子供と公公は落ちてないと良いんだけど」
その夜逃げていたという二人連れが、また思い出された。散仙は二人を逃したという。だが散仙も毒に侵されていたのである。記憶は曖昧だろう。
「ふーっ」
明山雨は水を飲んで一息ついた。
「さてどっちへ行こうかな」
竹筒に栓をして腰に戻すとき、ふと手が止まった。
「ん?」
山雨は竹筒を振ってみる。中でチャポチャポと水音がする。
「おかしいな」
重さを確かめるように、山雨は竹筒を軽く上下した。それから栓を抜いて中を除きこむ。
「あれぇ?増えてるぞ」
飲み終わった後には、かなり軽くなっていたのだ。腰に下げようとした時、急に重くなって不審に思ったのである。それに、中の水は何やらキラキラと光っていた。
「妖怪か?」
明山雨は、用心深く竹筒を体から遠ざけた。妖怪の中には、水に溶け込んでいるものがいるのだという。明山雨は、今までに妖怪と遭遇したことがない。噂に聞いているだけである。
「飲んじゃったけど、大丈夫かなあ」
明山雨は、中にある液体を捨てるかどうか少し迷った。
「やっぱり捨てよう」
残しておいても飲むのは怖い。持っている意味がないのだ。明山雨は、竹筒を傾けて地面に中身を捨て始めた。
「おおい、おい、おい」
光る水から声がして、明山雨は思わず竹筒を取り落とした。ころころと転がる竹筒から、光る水がトクトクと溢れでる。
「酷いなあ。せっかく仙水を入れておいてあげたのに」
水から光がゆらゆらと立ち昇り、声の主が現れた。
「阿六?」
山雨は腰を抜かした。最近は、非常識な能力を持つ武人を目の当たりにして来た。だが、液体や光が人間に変わる瞬間は初めて目撃したのだ。
「阿六だぜ」
「ずっと水筒の中にいたの?」
地面にぺたりと座り込んだまま、山雨は尋ねた。
「違うって!仙水が溢れたのを感じたから見に来ただけ。仙水は、いつも器をいっぱいにしておけるし、腐らないんだぜ」
「いつ入れたの?」
仙人なら、知らない間に何かするくらい朝飯前だろう。山雨の気持ちの中では、ありがたさより気味の悪さが優っていた。
「細羽と雨雨が山荘跡地を発った時だよ」
「えっ、そんな前に?」
明山雨は全く気がついていなかった。水筒の中がさほど減らない内に、水場で補給していたからである。桃の摸魚功で運んでもらっていた間は、喉が渇くことも少なかった。今回気がついたのは、坂道で汗をかき水を多く飲んだからだ。急に増えた場合に重さの違いが解るくらい、中の水が減っていたのだ。
「なんだよー。気付いてなかったのかよ」
「うん」
「そっかあ」
カラカラと笑う阿六仙人の声が、真昼の空に響いた。波打つ漆黒の髪が崖上の強風に靡いている。
「よっと」
さっと腰を屈めて、阿六は竹筒を拾い上げた。それから空いた方の手で空気から水を取り出して、山雨の水筒を洗ってくれた。阿六たち鯉門の秘術、蓮池功だ。
「ほい」
戻された竹筒には、また仙水が満ちていた。山雨は受け取るのを躊躇った。
「今まで飲んでても、おかしなことはなかったろ?」
「それはそうなんだけど」
「まあとっときなよ」
阿六は人懐こそうにニコッと笑う。明山雨は毒気を抜かれて受け取った。
「あっ、もういない」
山雨が竹筒を受け取るや否や、阿六はパッと消えてしまった。
「南に行ってみるか」
森の向こうに小さく見える南鵲城を眺めて、山雨は心を決めた。南鵲城は山雨にとって危険な土地である。山雨に無実の罪を着せた皇帝が、臣下に与えず自ら管理している町なのだ。だからこそ、却って好都合でもあった。南鵲城は、敵の拠点であると同時に地方都市でもある城塞都市だ。国全体の現状を知るには、中央だけでなく僻地も見た方が良いものである。
もっとも、知ったところで、明山雨に出来る事と言えば、目眩しくらいだったが。いざとなれば国外に出ても良いとは思っている。明山雨は漂泊者だ。ひとつの国に留まる意向は特にないのだ。
「以前は、お隣の南燈国との交易で栄えてたみたいだけど、今はどうなってるんだろ」
南雀王花墨亡き後、南方交易は下火になった。友好関係は保っているが、人も物も以前ほど活発な行き来は無くなっていた。山雨が滞在していた数日間、首都である神鵲京では、南鵲城からの噂話は殆ど入って来なかった。
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
後書き武侠喜劇データ集
双生神捕之墙头马上
邦題なし
The twin god catches the wall horse
Detective Duo: Maiden and Horseman
2024
探案 古装 喜劇
古装の捕頭は武功高強で義侠心があるので広義の武侠喜劇といえる
10分×24話
監督 周国栋
この作品が遺作となった
人気シリーズ「魔幻手机」の三季が控えていた、2023年7月に50歳の若さで病死
R.I.P
蔡三郎 宋木子
地方都市の捕頭
古典的喜劇主人公
洛友霍 袁大森
大理寺から派遣されて来た捕頭
堅物