第三話 明山雨は訳も分からず罰を受ける
風が出て来た。横殴りの雨で明山雨は目を開けていられなくなる。延々と語り続ける少年は、銀糸の煌めく白い衣に染みひとつ付けずにいた。
「清流を抱く渓谷を遥かに覗く深山の頂に程近く、春の花は儚く散り夏の葉は楽しい日々に影を落とし、豊かな秋の実りを悉く喰らい、冬、白銀の夢は豪雪に舞い、さながら薄幸の美少年が繰り出す銀網手套の如し」
雨で目を瞑ったこともあり、明山雨はうとうとし始めた。理解不能な言葉は雨音と区別出来ないようだ。敢えて聴こうとしなかった。身体の自由を奪われているので、側から見れば瞑想でもしているかのように見える。雲風舟は構わず喋り続けた。
「冷たく凍る大地を飾る霜が懐かしくなる頃、花に先立つ柔らかな雨が降り注ぐ。恵みの雨は地中を走る草木の根を潤し、人々に喜びをもたらす。深山の雨は閉ざされた心が開かれるかのようにさっぱりと上がり、辺りは明るく空は澄み、蜘蛛の巣を飾る雨滴が金赤の夕陽に煌めく」
雲風舟は掌に力を軽く入れた。絵傘がくるりと回転する。雨水が一直線に居眠り中の若者へと飛ぶ。回転させたのに周りへは飛び散らず、一つの方向へと空中を流れていった。顔に水を受けた明山雨は、眼をパチリと開けた。
「お目覚めですか、趣あるご尊名をお持ちのお方」
何を言っているのか、何がしたいのかは分からないが、とりあえず目が覚めたことを否定する必要はない。
「目は覚めたよ」
雲風舟はゆっくりとひとつ頷いた。明山雨が様子を伺っていると、風舟少年は傘を傾けて庭の戸に目を向けた。
「ああ、師父ですよ、小明」
明山雨は急に馴れ馴れしく呼びかけられてギョッとした。馴れ馴れしいのだが淡々と小声なので、余計に背筋が寒くなる。そこへ、竹笠姿の老人が棹を片手に、歩いて庭の中へと入って来た。
「なんだ、雨の中で突っ立って」
雲風舟の醸し出す雰囲気の異様さは、竹笠の老人が出すドスの効いた声を耳にしてほっとしたほどである。
「師父、お帰りなさいませ」
雲風舟は丁寧に頭を下げた。
「なぜ立たされているのかは存じませんが、この方は明山雨さんとおっしゃるそうでございます」
「それだけか?」
「はい」
「聞き出せたのは名前だけか?」
雲風舟は、明山雨から直接聞いたことを師匠に告げた。
「なんと。本当に全くの偶然でやって来て、ただ歩いて結界門を潜り抜け、無数の陣が組まれた山道を通り、楽に呑まされた秘薬の効果が切れた時に意識を失うことなく、大雨の中で立ち続けているのか!」
魚龍書院の院長と思われる老いた教師は、感動に眼を潤ませた。
「好きで立ち続けてるわけじゃないよ」
明山雨は文句を言った。
「おお、そうか、それは気の毒なことをした」
誤解が解けて、院長はささっと三箇所を指で突く。
「干魚点穴指解」
「ほーっ」
明山雨は身体が動かせるようになり、大きく息を吐き出した。
明山雨は書院の一室に通された。板張りの質素な小部屋で、木の机がひとつと背もたれの無い椅子が数脚ある。他には何もない。雲風舟はいつの間にやらいなくなっていた。
「少し待ってなさい。着替えを持って来てあげよう」
「ありがとう」
誤解は解けたし、家屋の中に入れてもらうことができた。それに着替えまで用意してくれるという。軒下を借りられたら恩の字であったのだ。明山雨は、庭で立たされた件には目を瞑ることにした。彼は元来、裸足の宿なしである。概ねどこでも不審者である。理由は兎も角、どうやら自分が私有地に侵入した人物になっているらしいという状況も理解した。明山雨は、感謝する部分のほうが多いと思った。
しばらく立ったままで待っていると、乾いた服に着替えた老人が戻って来た。
「身体を拭いて着替えなさい。それとこれで濡れた床を拭いておくように」
老人はひと抱えの布を手渡し、木のバケツをふたつ床に置いた。バケツはどちらも空である。
「これは何に使うの?」
「片方には濡れた雑巾を入れなさい。もう片方には濡れた服を入れなさい。あとで干す場所を教えてあげよう」
老人は説明を終えるとすぐに、また出ていった。
着替えて床の水を拭き終わる頃、老人と三人の弟子たちがやって来た。
「こちらに来て座りなさい。とりあえずバケツはそこに置いたままでよい」
老人、三人の弟子たち、そして明山雨が木の机を囲む。老人は皆が腰を落ち着けると口を開いた。
「明山雨と言ったか?」
「うん、そうだよ」
「魚龍書院のある魚龍山は、強力な陣法によって護られている。余程の達人でなければ、その陣を破ることは出来ない」
「え?」
明山雨は呆然とした。またしても解らない言葉だらけだ。老人は、話の内容に驚いたのだと受け取った。明山雨が意味を理解出来ずに戸惑っているとは気が付かない。
「門は書院の入り口だが、書院に所属する者以外は通れない仕組みになっている。門の中は外界との繋がりを断たれた結界だ。外郭の陣を破って山に入れたとしても、この門を通れなければ書院という結界に足を踏み入れることは叶わない。ゆえに、書院の門を、我等は結界門と呼んでいる」
「あの、難しくて分かりません」
「何?どの辺りが難しかったかな?」
老人は厳しくも優しい口調で言った。
「その、全部」
明山雨は少し申し訳なく思いながら白状した。
「つまり雨雨は、普通の人が潜れん門を、何でか分からんけど通っちゃったんだよ」
桃が分かりやすく説明した。桃も舟に続いて突然馴れ馴れしく呼びかけて来たが、そこは受け流す。
「うん、それは流石に何となく分かったよ」
何回ものやり取りを経て、明山雨にも何が問題とされているのかが分かって来たのだ。
「分かったか」
老人は満足そうに頷いた。
「うん」
明山雨も話が通じて明るい顔つきを取り戻す。
「そこでだ」
「何?」
「潜れた理由はおいおい調べるとして、だ」
まだ調べられるのか、と明山雨は再び表情を硬くした。
「いくら偶然とはいえ、書院に所属するもの以外が門を潜り抜けることは許されない」
雲行きが怪しくなって来た。
「それなりの罰は受けて貰う」
明山雨はげんなりした。大雨の中、身動きも取れずに謎の長話を聞かされたことで、充分罰になったのではないか。そう考えて、明山雨は抵抗を試みた。
「あのう、雨の中で動けないようにされていたから、もういいよね?」
「それは弟子どもが勝手にしたことだ。その件はこやつらに別途罰を与えるから、安心せい」
何が安心なのだろうか。
「師ー父ー!徒児錯了!罰はやだっす」
桃は単純なので、素直に謝った。明山雨は、雨の中に置き去りにされた件も許せる気がした。罰はちょっと可哀想に思えた。
「師父、徒児無恥、雨に濡れたままお話をしていたのは、間違いでした。酷いことをしてしまったと反省しております。ですが、小明がなぜ雨の中で立っていたのか解らなかったのです。自分で動けるようには出来ないことも存じませんでした。それで、少しお話をさせていただいたのです」
舟は余計な話をしているだけだ。困った人ではあるが、罰を受けるほどでは無さそうであった。そもそも、動けなくなったのも、雨の中に放置されたのも、自白剤を呑まされたのも、舟とは全く関わりがないことだった。
「師父、徒児不明白、私には関係ありませんし」
動けなくしたのは、大師兄である。それにも関わらず、雲風楽はにこにこと穏やかな様子で逃げようとした。しかし明山雨は、さっさとバラした。
「動けなくしたのは、この人だと思う。薬もこの人に呑まされたよ」
「んん?」
院長は弟子たちをジロリと睨めまわす。
「誰が何をしたのかは、後でじっくりと聞こうじゃないか」
弟子たちは縮み上がった。
「それより今は、明山雨だ。規則は規則だからな。まあ、門を潜ったからには縁ある学徒として、魚龍書院に入って貰うことにしよう。罰が済んだら、三拝するんだぞ」
「えっ、今度は何?罰も嫌だけど、書院になんか入らないよ。書院て本を読むとこでしょ?文字は読めないんだけど」
明山雨は、厩の隅で一夜の宿を借りるだけのつもりだったのだ。入門の縁など無い方が良い。更に、怪しげな言葉が出て来たのである。明山雨は全力で拒否することに決めた。
「それと、三拝ってなに?罰のほかにもまだ何かするの?やらないよ」
大家好だいがあほう
みなさんこんにちは
奇門遁甲は好きですか
武侠世界では魯班と結びつけられて
幻術や結界術のような陣法として登場するのが定番ですよね
現実の奇門遁甲は道教由来の占い技術、結界は仏教の宗教概念、魯班は紀元前5世紀の工学系技術者
だけど武侠劇では喜劇の小道具としても浪漫武器や秘術としても最高のネタだと思います
唐傘も魯班由来であり、様々な作品の中で絶世奇兵として活躍しますね
後書き武侠喜劇データ集
今回は前回の出演者 袁和平繋がりで
天師撞邪
邦題 妖怪道士
英題 SHAOLIN DRUNKARD
製作年 1983
監督 袁和平
類型 劇情 喜劇 動作
えっ、劇情タグついてんの?ストーリーもの?え?
なお、類型については複数サイトを参考にしております
主な配役
醉道人、游婆婆 袁祥仁
ふた役です。酔っぱらいは笑える超絶技巧、おばちゃんも奇門遁甲の達人なので超絶アクション
それぞれキャラとしても面白い。
游白云 袁日初
主人公。嫁さん貰って一族の秘術を受け継ぐ次世代を!と言われて逃げ出す。
邪胜正 袁信义
このキャラ反派だっけ?走火入魔した父だっけ?忘れてたので調べました。大反派。悪役です
このキャラを調べた結果、当作品には、なんと!ドニー・イェンが替身で出演したという情報を得た。筆者、迷じゃないので知らなかったよ。
ええー!炎拳のおじさんの替身!本人もすごい人の替身!袁家班作品のスタンドインは昨今の偶像武侠劇の替身とはぜんぜん違う種類の仕事だと思うの!
この作品でもうひとつ驚くのは、魯班メカのデザイン。古籍に掲載された形にほぼ忠実なんですよ。鍵なんか本家のデザインそのまま。博物館の資料写真にも同じ形のものがあるんです。