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第十二話 流木の花

 川辺の風に、銀糸混じりの白い袖がたなびいていた。姿勢よく片手で傘を差し、雲風舟(わんふぉんざう)少年は、民謡らしきものを口ずさんでいた。


春雨(ちゅんゆう)初晴(ちょうちん)水拍堤(すいぱったーい)


 魚龍書院の三番弟子・雲風舟は、今日も儚く消えそうである。山雨(さんゆう)の立っている場所には、急流の飛沫が降り注ぐ。舟は水がかからない位置で立ち止まり、絵傘を畳んだ。


「命をもたらす初夏晩春の嵐は過ぎ去り、澄んだ谷川の水は堤を愉しげに打ちながら、可愛らしい童女が笑いさざめき走り去るかのようでございますね」

「雨、上がったの昨日だけどね」


 斜面を普通に歩いて来た雲風楽(わんふぉんろう)大師兄(だいしーひん)が言った。


大師兄(だいしーひん)


 舟は丁寧に頭を下げる。


不必多礼(そういうのいいから)


 楽はにこにこしながら、舟の肩に手をかける。それから、山雨の方へと振り向いた。


明弟(みんくん)、魚、捕れた?」

「捕れなかった」

「や、残念。捕れてたら、夕食のおかずにしようと思ったんだけどねぇ」


 山雨はギョッとした。


「えっ、あの量の魚を、もう全部食べちゃったの?」

「ん?昨日みんなで捕った魚のこと?」

「そう。すごく沢山あったと思うんだけど」

「食べちゃったよ」


 楽はこともなげに言った。舟は物悲し気に立っている。


「えええ」

「勉強するとお腹が空くからね」

「勉強?」

「ん?なんで不思議そうなの?ここは書院(がっこう)だよ?」



 確かにここは、魚龍(ゆうろん)書院(しゅーゆん)」である。学問所だ。勉強をするところなのだ。先生がいて、生徒がいる。座学があり、実習があり、武芸も学んでいるようだ。


 しかし、山雨には、そもそも書院が何をするところなのか、よく解っていなかった。本を読むところ、という程度の認識だ。その観点から見ると、ここ魚龍書院は「書院」という感じがしない。山雨が僅かに経験した座学の授業でも、弟子三人が本を読んでいる気配はなかった。山雨は文房具の使い方を習ったが、文字は教わっていない。見たままを写せと言われた。


「まあいいや。雲風桃(わんふぉんとう)師妹(しーむい)が何か狩って来るだろうしね」


 納得していない山雨をそのままにして、楽は山の方へと戻って行った。今日の食事当番は楽だったようだ。楽の話ぶりからすると、食材調達係は桃である。舟はぶらぶらと暇そうに見えた。愁を帯びた眼差しを静かに上流へと向けていた。


「この魚龍川は、われら魚龍書院の徒にとって、縁の深いところでございます」


 明山雨が改めて流れに目を向けた時、舟の問わず語りが始まった。山雨は聞き流しつつ、魚が姿を現すのを待っていた。


「かく言うわたくしめも、この川を西の都よりはるばると流されて参りました」



 遠くからギャギャギャッという鳴き声が響いて来た。河原を滑るようにやって来た舟は、山雨の腕を掴むと、ふわりと跳躍した。


小明(みんぽよ)鵲姐(じょぜー)が来ます。一旦ここを離れましょう」

「うん」


 山雨は、ありがたく同行させてもらった。鵲姐は山雨を排除しに来たのか、それともたまたま空の散歩でもしているのか、それはどちらとも言えない。そのどちらであったにせよ、山雨が見つかれば襲われることは確実だ。


「摸魚功の練習は中断だな」


 再び魚の姿を目にする前に、鵲姐が風を切って接近して来たのだ。軽功の習得どころではなくなった。山雨は、そのまま舟に連れられて書院の庭まで帰って来た。


「あ、老三(ざうぽん)明弟(みんくん)、お帰りー。二師妹(いーしーむい)見なかった?」

「大師兄、ただいま戻りました。二師姐(いーしーぜー)とは会ってません」

「河原でチラッと見かけたよ」


 山雨は、桃に貰った流木をまだ手に持っていた。その時のことが瞼裏に蘇り、山雨はなんだかうきうきした。笑顔を見せる明山雨に、二人の書院生も口元を緩めた。


「てことは、僕たちが行く前か」


 雲風楽は、すぐに普通の笑顔に戻って確認した。


「うん」

「何か食べ物持ってた?」


 山雨は少し考えてから、首を横に振った。


「持ってなかった」

「そっかあ。今夜は在りものかな。ありがとう、じゃあね」


 大師兄は軽く手を振って立ち去った。舟は傘を剣のように持って、優雅に頭を下げた。傘の石突を地面に向け持つ手は顔の前、反対の手は持つ手に添えている。


「では、後程」


 楽が建物の中に消えると、舟は山雨にも挨拶をして、庭の畑に向かった。陽は傾いている。明山雨は、もう一度門まで行くかどうか逡巡した。



 風が冷たくなってきた。石の門まで行くと、暗くなってしまいそうだ。山雨は、また明日の朝にしようと決めた。手にした流木は、庭にある道具小屋に入れた。


 立ち去り際に、山雨は流木の表面を何度かそっと叩いた。嵐で折れた大枝で、枝先には少しだけ白い花が残っている。花と言っても殆どが残骸だ。細く分かれた枝の間にくしゃっと張り付いていた。その中で形を保っている花もある。激流に千切れ流されることなく、残された花だ。その強運に、山雨は励まされた。


「努力でどうにもならないようなことでも、天運が思いがけない道を示す時だってあるかもしれない」


 それが運命というものなのだろう。


「明日はこの書院を、きっと離れられるさ」



 流木を渡してくれた桃の笑顔を思い出しながら、山雨は書院の建物に入った。部屋に向かう廊下には、弟子たちの個室が並んでいる。三人しかいないので、空き部屋もたくさんあるようだ。それぞれきちんと木の扉もついていた。なかなかに贅沢な環境だ。


「あ、明弟(みんでい)。これから夕食の準備するんだけど、味見する?」


 ちょうど部屋から出て来た楽が気さくな様子で聞いて来た。


「やめとく」

「そう?」


 山雨は怪しんだ。初日に自白剤を飲まされたことは忘れない。厨房へと向かう雲風楽の小太りな背中が、実験室に向かう妖医の姿にも見えた。以前立ち寄った村で、妖医の噂を聞いたことがある。毒のある植物や虫を育て、小さな子供まで実験台に使うのだという。


 閉じきる前に扉の隙間から、部屋の中が少し見えた。大きな箱が置いてある。子供ならひとりふたり入りそうな大きさだ。隙間から見える面には、大きく何か書いてある。古びた木の箱だが、墨が黒々と残っている。


 山雨はその模様をどこかで見たような気がした。山雨には読めないのだが、それは「薬」という文字だった。山雨は放浪者だ。たまには村や町にも通りかかる。薬を扱う店の看板で見たことがあったのだ。今は思い出せないため、箱の用途は分からなかった。


 山雨は、猜疑の目で楽を見ていた。こちらへと廊下を歩いて来た舟が、楽に味見の勧誘を受ける。弱々しく立ち止まった舟は、白い袖口をちょこちょこと直した。陰のある声音で丁寧に断ると、山雨の方へやってくる。


「おや、立ち止まって、如何なされましたか?」


 悲しそうに伏せられた瞼の縁を、長い睫毛が飾っている。


「いや、別に、なんとなく」

「左様でございますか。お見受けいたしますところ、大師兄のお味見役はご辞退なされたようでございますね」

「え、うん」

「それがようございますよ。お引き受けにならないのが一番です」


 もともと小さな声だが、更にボリュームを下げて聞いてくる。やはり、楽の料理を味見するのは危険を伴うことらしい。


「わたくしは、毒を身体の外に出すことが出来ますが、それでも舌が痺れたり、一時的に目が見えなくなったりと、様々なことが起るのでございます」


 はっきり毒という言葉が聞こえた。命に関わるような劇薬ではないようだが、それなら良いというものでもない。


「大師兄が当番の日には、食卓に運ばれてくる完成した料理も油断なりませんが、概ね大師兄は、お味見分だけに毒を入れるのです。院長には通用しませんし、桃師姐は百毒不侵(ひゃくどくぶしん)ですし、皆でいただく食事に入れても意味がありませんからね」

「それは、やっぱり、人体実験なの?」


 山雨はびくびくしながら聞いてみた。学友を害することが目的とは思えない。もしそうなら、仲が良さそうな魚龍書院の面々は、みな仮面をかぶっていることになる。害そうとする者も、害されている者も。


「ええ」


 舟はあっさり大師兄の所業を認めた。


「大師兄は、誠実な方なのでございます。何事にも真摯に取り組まれるのですよ」

「他人で毒を試しちゃダメでしょう」

「毒ばかりでもございませんし」


 舟は兄弟子を庇う。


「毒じゃなくてもダメでしょう。そういうの、妖医って言うんでしょう?」


 舟は慌てて山雨の口を塞いだ。



大家好だいがあほう

みなさんこんにちは

本文中の詩句は

方岳(1199~1262)「農謡·春雨初晴水拍堤」より


武侠小説は好きですか

カンフー映画や史劇、そして武侠ドラマは日本でも一定の愛好家層が存在してますけど、武侠小説となると、なかなか難しいみたいです

日本では現在、ほぼ金庸しかなくて歯痒いです

経典作品も最近の作品も、面白そうなのがたくさんあるのに、邦訳が全然ない

映像作品は日本で観られるものも多いけど、原作に忠実なものは極少らしいですし

梁羽生ですら、唯一の邦訳、徳間文庫で出してた「七剣下山」も絶版。しかも、ツイハーク版の原作という認識で読まれるもんだから、買った人はガッカリするという。ツイハーク版はだいたいなんでも、原作じゃなくて原案と思った方がいい。面白いけど。徳間文庫さんも、映画原作が当たれば他も出したのかもですが。そもそも原作小説の七剣は、剣士のトップセブンて意味であって、倚天屠龍記とか古剣奇譚みたいな古剣ジャンルじゃない。セブンソードを観て古剣伝奇ジャンルを読みたかった人は、少なからずコレジャナイと思うはず。


梁羽生の作品は、白髪魔女伝すら邦訳されたことがないようです。

そろそろ中国語版購入しようかと血迷いそうになるじゃないか。みんなそうなるから需要ないのかというと、そんなことないはず。中国語版まで手を出す日本人は、名訳を待ってるんじゃないかなあ。


後書き武侠喜劇データ集


師弟出馬

ヤングマスター

The Young Master

1980

監督、武術指導、主題歌 成龍

笑拳に続く監督二作品目

雑な女装からのスカートアクションが人気

阿龍 成龍

扇アクションもノートリックで、500回くらい撮り直したらしいですね

掌門人が扇子で闘うというと蛇拳を思い出します

昨今の武侠ドラマ扇子キャラは風流公子が相場で、もちろん実際には飛ばしたりとかしてない。残念

田師父 田豐

鐵捕頭 石堅

中の人の出演作一覧が凄いことになってる

四哥 元彪 ユン・ピョウ

秀姐 李麗麗

中の人は正統派武侠女優

未具名 太保

中の人は、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー双方のスタントチームで活躍、広東語、普通話、台湾語の全てが出来る凄い人材。

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