第十一話 摸魚功/もうゆうこん
散仙に教わった「殆どの危険から逃げられる歩き方」は、それ自体は歩き方に過ぎない。目眩しが効かない相手だと、逃げ切れるかどうかは互いの足の速さが決め手となる。山雨はある程度身を躱すことができる。だがそれも、野山で生きていくための生活習慣の範囲に留まる。だから、摸魚功を使われてしまうと、山雨に勝ち目はないのだ。
「目を緩めると気が流れる」
自らも雲風天院長の速さを手に入れるべく、明山雨は魚と向き合う決意をした。院長の言葉を思い返し、実践してみることにした。
「気は身体の中を流れる力」
雲風桃の説明も耳に蘇った。桃が話していた時には、全く理解が出来なかった。言葉の意味が分からないうえ内容に興味がなかったので、聞き流していた。
「身体の中?流れる?血のことか?」
必要を感じるようになり、山雨は意味を突き止めようとした。だが、やはりよくわからない。目の力を抜いてみても、半眼になるだけだ。何も真新しいことは起こらなかった。
「とりあえず、澱みを見てみるか」
院長から与えられた課題に取り組むことにした。普通に目を凝らしても全く見えない。次に半眼で試すが、澱みは遠くにあるのでぼやけるだけだ。
「なんだ、どうやるんだ、ぜんぜんわかんない」
山雨は途方にくれた。空を見上げれば、雲が長閑に流れてゆく。考えても答えは出ない。ひとまず竹筒から水を飲んでみた。心を落ち着けるためである。
「緩める、緩める、目を緩める」
気を取り直して、しばらく色々と試してみたが、一向に進歩がない。山雨は川のほとりにペタリと腰を下ろした。
「ひたすら魚を捕ることで身に着く」
昨夜桃から聞いた言葉を口に出してみる。
「あーあ、魚がいないんじゃなぁ」
山雨は疲れてしまい、怨めしそうに川を見る。目の前では留まることのない水が、山雨に挑むような荒々しさで流れ下って行った。絶え間ない水音が耳元を過ぎ去る。そのまま音の中に閉じ込められてしまいそうだ。
どれくらいの時が過ぎたか分からない。殆ど虚ろな山雨の視界の縁で、なにかがきらりと光った。
「お?」
華々しく水滴を撒き散らし、渓流の魚が宙に舞う。山雨が目を向けた時には、身を翻して水中に帰るところだった。水の玉と青銀の鱗が太陽を反射して、魚の鱗に虹が架かる。山雨が思わず見惚れていると、魚はすぐに水の下へと消えて行った。バッシャーン!という音と共に、岸辺まで水が飛んできた。
明山雨は反射的に立ち上がると、水際まで走って行った。魚が落ちた場所は、岸からかなり近かった。だが、もう見えない。泡立つ水には一昨晩の嵐で流れ下ってきた大枝や草花が浮かんでいる。流れてきたものの一部が岩の間に引っかかって溜まったのだ。そうした草木は、急流に流されそうで流されない危うい動きを見せながら、視界を遮っていた。
「どこ行った?」
澄んだ水の底で、丸い川石が光っている。頭上を流れる雲の影が水底を通り過ぎて行く。山雨は、じっと見つめているうちに自分が渓流の中にいるような錯覚に陥った。
「あっ」
錯覚から逃れる前に、チラリと細い魚の影が走った。山雨は、魚がとても近くにいるように感じた。慌てて魚に手を伸ばす。そのまま夢中で、岸辺の浅瀬にバシャバシャと足を踏み入れた。山雨は魚に駆け寄ろうとしたが、流れに足を取られて転んでしまった。嵐の時よりは穏やかな流れだが、バランスを崩した山雨を運び去るには充分だった。
岩にぶつかるかと目を瞑った瞬間、誰かに襟首を掴まれた。水から引き上げられた山雨は、恐る恐る目を開ける。振り仰ぐと、薄汚れた黄色い服の少女が山雨の背後に立っていた。雲風天の二番弟子、雲風桃である。
「魚龍鱗功の鍛練はまだ早いよ」
「えっ、いや」
山雨は、魚を捉えようとして転んだだけである。
「まずは摸魚功を身につけないとな!」
「いや、それをいまやってて」
「えっ?」
桃はずぶ濡れの山雨を見下ろして、猫目をぱちくりさせた。山雨は川辺に尻餅をつく形で桃を見上げている。しばらく黙って見つめ合う。奇妙な緊張感が走った。
「ぶっ」
桃が弾けるように笑いだした。
「あははははは!」
晴れた晩春の渓谷で遠慮なしに笑う少女を、山雨は眩しそうに眺めた。
「なんだよ!もしかして転んだのか?」
笑いながら桃が手を差し出す。山雨はきまり悪そうに目をそむけながら立たせてもらった。体格の良い少年が少女に助け起こされる様子は、滑稽でさえあった。桃は決して小柄ではないが、山雨が大きいのである。
「まあね」
「あはははは!」
「ちっ、そんなに笑わないでよ」
「はははっ、拗ねんなって!雨雨!あははっ」
ひとしきり笑った後、桃は岸辺に打ち上げられていた流木を拾い上げた。桃の背丈ほどある。
「ほれ!」
「ん?」
桃が投げてよこす流木を反射的に受け取って、山雨はキョトンとした。
「そいつでもありゃ、少しはマシだろ」
「え、ああ?」
急流に入る杖にしろと言うことだろうか。
「そんじゃ、流されないようにな!」
「へ?あ、うん」
桃はニカッと笑って跳び去った。
「行っちゃったな」
山雨は、渡された流木を抱えたまま、桃が去った先に目をやった。もう全く見えない。
「もう一度、魚が出て来るのを待ってみるか」
少ないとはいえ、魚は川にいるようだ。山雨は擦り切れた服から水を垂らしながら、再び川へと近づいた。飛沫がかかるほど流れの近くに立つと、抱えていた流木を川に差し入れてみる。水の勢いは、川の中ほどよりはいくぶん緩やかだ。それでも気を抜くとすぐ水流に持っていかれそうだ。
「魚を捕るどころじゃないな」
これでは魚が跳ねたとしても、流木から手を離したらまた転倒しそうである。
「どうしたもんかな」
流木を一旦川から引き上げると、地面に突いて寄りかかった。昨夜、魚龍書院の面々が魚を捕っていた様子を思い出す。一番弟子の雲風楽は、嵐で増水した激流をものともせずに、潜って掴み取り。二番弟子の雲風桃は、掌に載る木の船で奇妙な術を使った。三番弟子の雲風舟は、白銀の投網を使っていた。投げた網を引き上げる時には、銀色に光る靄のようなものを操っていた。
「うーん、参考にはならないな」
弟子たちの方法は、山雨が真似出来るものではなかった。山雨は早々に諦めた。残る院長は、棹を振り回していた。何をしていたのかよくわからない。棹を使って、山雨の方へと太った魚を投げ飛ばして寄越したことだけは覚えていた。山雨は寄りかかっていた流木を持ち上げてみる。
「あまり音を立てると、魚が遠くへ逃げちゃうしなあ」
よく思い出してみると、院長もあの白い靄のようなものを使っていた。
「やっぱりダメかぁ」
結局のところ、彼等は既に摸魚功を自在に操れるのである。学び始めたばかりの山雨には、彼等の方法で魚を捕えることは出来ないのだ。
「だいたい魚が少なすぎるんだよなぁ」
桃の生け簀に投げ入れられた大量の魚を思い出す。昨夜食べきれなかった分はどうしたのだろう。今日、山雨は、朝食前に書院の建物を離れた。結界門に仕掛けられた陣の力で教室に強制送還された時には、昼時を過ぎていた。朝昼で食べ尽くしたのかもしれないし、まだ余っているのかもしれない。
「残ってるなら、川に戻してくれないかな」
山雨はブツブツと文句を言う。そこへ、開いた傘を片手に白衣の少年が舞い降りてきた。傘は白地だ。薄墨で描かれているのは、渓流と舟。やって来たのは雲風舟である。長い袖がひらひらと風に舞う。前髪だけ小さなお団子にして、あとは下ろした髪が靡く。銀糸が午後の陽射しに煌めいている。艶やかな髪がふわりと浮いて、少年は川原に降り立った。
「休みなく流れ去る清涼な渓流を前にして、ひとり佇んでおられるとは、これはまた風流なことでございますねぇ」
「いや、そう言うんじゃないよ」
山雨はだんだん舟に慣れて来て、気がつけば普通に受け答えをしていた。
大家好だいがあはお
みなさんこんにちは
後書き武侠喜劇データ
来年50周年!
蛇形刁手
スネークモンキー 蛇拳
Snake in the Eagle's Shadow
製作年1976年
製作国香港
日本配給東映
日本劇場公開日1979年12月1日
上映時間97分
喜劇 動作
ざっと見た範囲では武侠ついてませんが、主人公に義侠心があるので武侠つけていいと思います
この辺の時代劇は古装がついたりつかなかったり
刁の繁体字は寅
日本語吹き替えで観ていると解らないのですが、ラストシーンがタイトル回収です
監督 袁和平
ジャッキー伝説の幕開けを華々しく飾るこの映画は、やはり八爺ならではの香港動作喜劇電影の経典作品
コミカルな超技術をくりだす師弟ふたりの修行やタッグシーンを世界中のファンが食い入るように見つめることでしょう
日本では酔拳が先に公開されました
簡福 成龍 配音: 鄧榮銾
秦家の武館で殴られ役をさせられている天涯孤独な青年
蛇拳の掌門人を偶然救けて仲良くなる
声優さんはジャッキー・チェンの声を何作品も担当しています。日本映画では、トシちゃん、秋野大作、松平健、ジャッキーとは似ても似つかないキャラと俳優さんの吹き替えを担当しています
白長天 袁小田
師傅と呼ぶな良き友だろと言って視聴者を感動させたのに、途中から普通に師匠呼びになってる
袁小田、いつみてもすごい動きしますね
面白くて堅実という稀有な才能です
部屋の中に一本の縄を渡してそこで寝ているシーンは、様々な作品で真似されています
念念無明の小念登場シーンでもスタイリッシュな絵面でパロディされておりました