第三話 いざ、吉備国へ 前編
稚屋媛誘拐事件より十年の歳月が流れた。
かつて幼さの残っていた伊佐勢理毘古は、いまや天地の気をその身に宿したかのような、堂々たる青年へと成長していた。
太く長い眉、二重瞼で切れ長の大きな目。鼻筋はすっと通っており、精悍な顎鬚をたくわえている。
身長も体幅も常の成人をはるかに凌ぎ、鍛え抜かれた筋肉はしなやかながらも、まるで大和の山々の岩肌のように硬質だ。
その逞しさに加え、幼い頃から抜群であった弓術はさらに磨かれ、「大和国随一の使い手」と称されるまでに至った。
この頃、大和国にはとある噂が流広まっていた。
村人が言うには、
「近頃、吉備国を恐ろしい鬼たちが暴れ回り、村人たちを襲っとるらしい。そいで、里の女子どもをさらっては釜茹でにして喰うとか…」
「備中の新山に居城を、脇の岩屋山に楯(城)を築いて、海を行き来する船を襲撃しては掠奪の限りをつくしとるとも聞くわい。吉備国では、鬼の棲家を鬼ノ城と呼んで恐れ慄いているようじゃ」
また別の村人は、
「鬼はみんな驚くほどの巨軀をしており、凄まじい怪力らしい。ことに“温羅”と呼ばれる鬼の首魁は身の丈が一丈四尺、眼は血の色にぎらつき猛獣のように輝く。髪の毛は燃えるように紅く、ぐるぐると渦巻いておるとのことじゃ」
などと言う。
さすがに一丈四尺(四、二四メートル)は荒唐無稽な話だと思う。しかし、その誇張に村人たちの恐怖が滲んでいるのは疑いようがなかった。
吉備国に特別な思いを抱く伊佐勢理毘古は、噂を聞くたび胸の底に沈むような痛みを覚えた。
そして、吉備国の人々を助けたい、吉備国に平和を取り戻したいと強く思うようになる。
◇
大和国は依然として倭国大乱を終結させることが出来ずにいた。
朝廷は何度兵を派遣しても、吉備にいる勢力を打倒できず、吉備国より東の地へ進むどころか足止めを強いられ続けていた。
第五代 孝昭天皇、第六代 孝安天皇の治世ではずっと敗北を喫していたのである。
孝霊五三年、一月。
第六代孝安天皇が崩御し、大倭根子日子賦斗邇命は第七代 孝霊天皇として即位した。
この月のとある夜更け。
まだ夜は冷たくさえて、しんしんと更けゆく季節。
空に冴え光る弓月を眺めながら、孝霊天皇は軍の再編成に心血を注いでいた。
(今度こそ吉備国を平定し、わしの代で倭国大乱を終結させてみせる)
その胸中で燃える決意だけが、寒夜にあたたかな焔のように灯っていた。
◇
ある朝。凍てつく空気が肌を刺すような早暁のこと。
桃の紋様が織り込まれた衣を身に纏った青年が正殿へと入っていく。
その顔には揺るぎない決意が浮かんでいた。
「伊佐勢理毘古様、おはようございます。かくも早朝より、どうされましたか?」
「おはようございます。天皇への拝謁の許可を頂きたいのです。私自らが直奏したき議がございまして、今すぐ確認を願います」
承知しましたと言い対応した官吏は奥へと下がっていく。そして、ほどなく許しが下り、伊佐勢理毘古は執務室へ通された。
山積みの木簡の向こうに、顎の髭を撫でながら思案する天皇が見える。
天皇は、伊佐勢理毘古に気づくとすっと顔をあげた。
「父上、私を吉備国へ行かせてください。我が国に桃をもたらしてくれた彼の国を、民を、温羅一族から助けたいのです。どうか、出兵の際には私をその一員にお加え頂きたい」
「ほう」と言い、孝霊天皇はまた顎に手をやると、そのまま暫らく考え込む。
「…、よかろう。ぬしの腕前ならきっと温羅にも打ち勝つことができよう。軍の編成が決まり次第、追って遣いを出す」
「ありがとうございます、父上。宜しくお願い申し上げます」
深々と頭を下げ礼を述べた伊佐勢理毘古は、執務室を後にし、迫る戦に備え力を磨くべく鍛錬場へ向かった。
◇
数日後。
伊佐勢理毘古は朝廷より呼び出された。軍の編成が決まったのだろうか。
彼が謁見の間に着くと、そこには二人の男がすでに待っていた。
一人は、孝霊天皇の兄である大吉備諸進命である。
威厳ある面立ちと重厚な体躯は、一目でただならぬ風格を漂わせていた。
そしてもう一人は、稚武彦――伊佐勢理毘古の異母弟である。
細く丸い眉に細い目。口角が上がる口元。すらりとした手脚のわりに筋肉質な身体。
全身から、彼の優しさが滲み出ているかのようだ。
三人が揃ったことを確認し、天皇が厳かに口を開く。
「今日集まってもらったのは吉備国の件じゃ。今度こそ、彼の国にいる温羅一族をはじめとする敵対勢力を滅ぼしたい。その為、軍の再編成を行った。此度は一万二千の大軍を派遣することとする」
その場にどよめきが走った。
一万二千――それは孝霊天皇がこの戦にすべてを賭す覚悟の現れだった。
張り詰めた空気のなか、天皇は静かに続ける。
「まず、軍事司令官。これは、兄上にお願いしたい。七千の兵をお預けします」
「心得た」
大吉備諸進命が軍事司令官に任命された。皆が納得の表情で頷いている。
「そして、将軍として伊佐勢理毘古に三千、稚武彦に二千の兵を与え、派遣することとする」
「謹んで拝命いたします」
三人には特別な武器と甲冑が下賜された。
諸進命と稚武彦には特別に誂させた鉄の剣が、伊佐勢理毘古には千釣の強弓がそれぞれ与えられた。
当時の甲冑は、縦長の鉄板(竪矧板)や四角形の鉄板を革紐で繋げたものだった。
甲冑は三人共黒いものであったが、各人異なる色の羽織を身につける事で遠方からでも識別できるようにされた。
諸進命は赤、伊佐勢理毘古は青、稚武彦は黄。
伊佐勢理毘古は桃の霊力にあやかり、自身の羽織に桃の紋様を織り込んだ。
◇
孝霊五十三年、春。
諸進命、伊佐勢理毘古、稚武彦の三将は大軍を率いて大和を出発した。
大和国軍は九州から海路を使い、瀬戸内海を通り讃岐経由で吉備国へと進軍する。
一万を超える軍勢のため、船団を二つにわけた。
まず、軍事司令官である諸進命が第一団として七千の兵を率いて出陣した。
「叔父上、御武運を。我々もすぐに後を追います」
「うむ。早くせんとわしらだけで温羅を征伐してしまうぞ」
そう言い豪快に笑う諸進命。そこへ、諸進命の副官が急ぎ駆け寄る。
「軍事司令官殿。出航準備が整いましてございます。いつでもいけます」
「あいわかった。伊佐勢理毘古、稚武彦、またな。出航じゃー!」
号令とともに大船団がゆっくり海へ滑り出す。
その光景はまさに壮麗で、その様はまさに圧巻の一言であった。
彼らは九州(現在の小倉)より讃岐まで瀬戸内海の四国沿岸部にある郷郷に停泊を繰り返し、約九十日をかけて、妹尾の明神山の麓にある岬の浜辺に辿り着く(当時の操船技術で進めるのは一日十〜三十キロメートル)。
瀬戸内海は、「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関瀬戸」と謳われるほど難所がとても多い海域である。
諸島が多く潮流が複雑かつ急なのだ。
そのため、船同士の衝突や座礁の心配が多く、大型準構造船や構造船の船団での航海は非常に難しい。
先ず、現在でいう愛媛県松山までは準構造船(丸木舟より耐久性、安定性、積載性能の高い船)で一度に多くの人数を運ぶ。
そして、松山からは丸木舟のような小型船(丸木舟を二つ横並びに連結したような船)で少人数に分かれ航海を行った。
妹尾の浜辺には老漁夫が住んでいた。
諸進命はこの地方に来た理由を告げて問うた。
「鬼や賊がいればそれらを全て征伐するつもりである。そやつらはこの地域にもおるか?」
「備中の奥に、民を苦しめる賊がおりますじゃ。どうか、そやつらを退治してくださいませ」
老漁夫はそう答え、諸進命たちが来てくれた事でやっとこの地に平穏が訪れると大いに喜んだ。
この地に詳しい老漁夫に水先案内を依頼し、補給を行った後、賊のもとへ向かう諸進命軍。
当時の地勢は、現在の山陽線の通じている庭瀬駅、あるいは宇野線の妹尾駅のあたりは一面が海で、小島が散在していたとされる。
舟団は、その海を進んだが大暴風が彼らの行く手を阻んだ。波は山のように立ち上がり、舟はその谷間に飲まれかける。嵐の中、副官が叫ぶ。
「軍事司令官殿! 大嵐で進行方向がわかりません! 我々では、今どこにいるかさえわかりかねます…」
「この嵐では致し方ない。ここは、水先案内人殿に一任致そう。よろしくお願い致す!」
「かしこまりました! では、まず進路がずれておりますので修正しますじゃ。面舵をとり、あちらにうっすら見える島の方へと向かってくだされ」
「皆のもの、聞けぇい!。これよりは、案内人殿の指示に従うように。まずは、あの島へ向かうのじゃ!」
「御意!」
咆える風と砕ける波の中、老漁夫の指示を頼りに軍船は必死に進んだ。
その後も彼の指示に従い全軍が一丸となり荒海を乗り越え、二日後の明朝にかろうじて吉備中山の花尻のあたりに着くことができた。
「軍事司令官殿! 浜が見えました! まもなく上陸可能です!」
「よくやった! 漁夫殿、大義であった。我々はあなたの力に救われた。心より感謝致す」
「もったいなきお言葉ですじゃ。お力になれ、うれしく存じますじゃ」
諸進命たちはすぐさま上陸し被害の確認を行なう。
ここで千の兵が死傷し戦線の離脱を余儀なくされてしまった。
諸進命は痛恨の色を浮かべつつも、吉備中山で野営を敷いた。彼は、兵達の元を労って回る。
兵たちは、軍事司令官自らの激励に感激し奮起した。
◇
翌日。
諸進命たちは吉備中山から進軍を開始、備中奥地の賊征伐へ向かう。
諸進命軍は森の街道へ足を踏み入れたが――そこで温羅一族の襲撃を受ける。
「敵襲! 軍事司令官殿。軍の後方が襲われています」
「なんだと! 奇襲か! 急ぎ、防御陣形を整えよ」
返す刀で前方からも悲鳴が上がった。
「軍事司令官殿! 前方よりも敵襲! 挟撃されている模様!」
「こちらからもだと… この地形では援軍も送れぬか…… してやられたわい。陣形を整え次第、反撃に移る。弓兵は援護射撃、歩兵部隊は突撃準備じゃ」
諸進命軍は、必死に陣形を整えて反撃に打って出ようとするが、兵達の混乱に加えて、温羅兵の圧倒的な膂力がそれを簡単には許さない。押し込まれた陣形はそう簡単には戻せなかった。
半刻後、なんとか盾兵と歩兵を前面に展開し、弓兵が一斉に矢を放つ。
しかし温羅兵は盾で受け流し、そのまま森へと姿を消した。
「退いたか…。急ぎ隊列を組み直し出発する」
「御意!」
諸進命軍はすぐに出発した。
この地では、挟撃を避けられないため一刻も早く森を抜けたかったのだ。
「軍事司令官殿。全兵無事森を抜けました。警戒態勢を続けます」
「うむ。で、被害状況はどうか?」
「急ぎ確認致します。各隊被害状況の確認の上、すぐに報告致せ!」
暫し待つと、副官が諸進命の元へと報告へ戻った。
「軍事司令官殿。被害状況ですが、死傷者二千六百五十四人……。この戦闘で大半の兵を失いました……」
「馬鹿な! これはまずいのぅ…… 温羅一族とはこれほどのものか。しかし、まだ兵は半数以上残っておる。奇襲と挟撃に気をつければまだまだ戦えるわぃ。このまま進むぞ!」
諸進命の声は震えながらも力強かった。
「かしこまりました。全軍進め!」
こうして、諸進命軍は行軍を再開したが、この後も温羅軍の奇襲作戦は続いた。
温羅軍は吉備国の地理に精通しており神出鬼没、鬼の一族は皆が巨軀で怪力。
さらに、温羅は兵を巧みに操った。
そのため、諸進命は苦戦を強いられ続け、ついには敗北を喫した。
諸進命自身も体調を崩し、大和国へ帰還することとなる。
孝霊五十三年。蝉の声が遠く霞む、夏の終わりのことであった。




