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日本おとぎ伝奇 桃の章  作者: なお。


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最終話 吉備国と彼らの話 倭国大乱どこいった…

 阿曽郷に集結した大和国軍と温羅一族のあいだに、もはや剣呑な気配はなかった。

そこに満ちていたのは、勝敗を超えた深い静寂――そして、拭いきれぬ悲しみだけである。


 誰一人として争う意志はない。

 ただ皆が、同じ喪失を胸に抱き、言葉を失っていた。  


 王丹の腕に抱かれる温羅。

 血の気の引いた顔、力なく垂れ下がる腕。

 王丹は震える息を抑えながら、地に敷かれた麻の織物の上へと、その亡骸をそっと横たえた。


「……、兄者は我を庇い、命を落とされた……」


 掠れる声が、沈黙の中に落ちる。


「すべて……、我のせいだ……。すまぬ……」


 その言葉に応える者は、すぐにはいなかった。


「……、あぁ……。そんな……、なんてこと……」


 嗚咽混じりの声が、ようやく阿曽媛の口から漏れる。


 次の瞬間――

 押し殺されていた感情が、堰を切ったように溢れ出した。


「………、っ…、あぁぁぁぁぁーーーー」


 阿曽媛は膝から崩れ落ち、地に手をついたまま動けなくなった。

視線は虚ろで、世界から切り離されたかのようだった。

 その傍らで、阿曽男は両目から大粒の涙を溢れさせ、天を仰いで声の限り泣き叫ぶ。

 最期の言葉を王丹から聞かされた阿曽郷の民と温羅一族もまた、嘆き悲しみ、肩を震わせた。


 郷のあちこちから嗚咽が漏れ、

 踏み固められた大地は、いつしか無数の涙に濡れて色を変えていく。


――それから、数刻。


ようやく人々は、わずかながらも平静を取り戻し始めた。

その様子を見届けた伊佐勢理毘古は、静かに口を開く。


 温羅の遺言を改めて皆に伝え、これからの吉備の行く末について、共に語り合いたい――そう申し出たのである。


「ご心配をおかけしました」


 阿曽媛が顔を上げる。

 目は赤く腫れ、今も涙が滲んでいたが、その奥には確かな光が宿っていた。


「私たちはもう大丈夫です。泣いてばかりでは、温羅に顔向けできません」


 その言葉に、伊佐勢理毘古は深く頷く。

 彼女の決意に応えるように、話し合いは次の段階へと進められた。


 一同はそれぞれの役割を確認し合い、声を重ねていく。


「大和国軍は、各地の賊を引き続き征伐致す。遠方の豪族を含め、いち早く吉備国全土を平定し、民の平和を取り戻す」


「我々吉備国の者たちは、平定された土地を守っていきます。そして、正しき噂を広げ、人心を安んじる手助けをいたします」


 阿曽郷と温羅一族も迷いなく続いた。


「阿曽の民は温羅の弔いと、王丹様の支援にまわります。また、策が滞りなく進むよう、事前の準備も整えましょう」


「我々温羅一族は、製鉄の技術で吉備の民には農具や漁具を、軍には武器を供給しよう。この武が必要な時はいつでも声をかけてくれ」


 こうして――

 大和、吉備、阿曽、そして温羅の者たちは、固く手を取り合った。


 温羅の遺した願いを、必ずこの世に成す。

 その誓いは、もはや誰一人として揺るがない。

 


 そして翌日。

 温羅の魂を未来へと繋ぐための計画――温羅霊神化計画が、静かに、しかし確かに動き始めたのである。


 まず、温羅が遺した――

「首」に関する策から実行された。


 伊佐勢理毘古は、静かに温羅の亡骸の前に進み出る。

 そこには、もはやかつての盟友の姿はなく、ただ一人の男が横たわっていた。


「温羅よ。本当は丁重に弔ってやりたいが、すまぬ…。この首、使わせて頂く」


 一瞬、言葉を詰まらせてから、深く頭を下げる。


「……、ありがとう」


 その場に集った者すべてが手を合わせ、声なき祈りを捧げた。

 やがて、刃は振るわれる。

 それは憎しみのためではなく、未来のための――冷たい決断であった。


 斬り落とされた首は、串刺しにして、首郷こうべむらに晒された。

 そして王丹は、その近くに身を潜めた。


 昼も夜も、時を選ばず。

 獣のような、怨霊のような唸り声を――

 何年にもわたって、ただひたすらに上げ続けた。


 近里の者たちは怯え、囁き合う。


「温羅は……死してなお、怒りを捨てきれぬのだ」

「鬼の怨念が、まだ彷徨っている……」


 噂は噂を呼び、恐怖は増幅されていく。

 その背後で暗躍していたのが、「猿」たちであったことは、言うまでもない。



 やがて、時が流れ――

 首の肉は削げ落ち、白き髑髏へと変わる。


 その頃合いを見計らい、首は御竈殿へと運ばれた。

 竈の、さらにその下。

 人の目には触れぬ場所へと、静かに埋められる。


 だが、それでも――

 王丹は再び唸り声を上げ続けた。


「温羅の怨念を鎮めるため、首を埋めた。だが、それでも怨念は鎮まらず、声はやまぬ――そう、噂を流せ」


 楽楽森彦は猿たちを集め、低く命じる。


「しっかりと恐怖を煽るのだ。人の心に深く、確かに刻み込め。よいな?」


 こうして、温羅の死と怨念の物語は、吉備国の隅々にまで行き渡っていった。



――そして、最後の段階。


 温羅の妻、阿曽媛が御竈殿に立つ。

 彼女に御竈殿の火を炊かせる事で怨念を鎮め、温羅を霊神として崇める。

 これにて、温羅を霊神•精霊とするのだ。


 ほおりの娘として生まれ、神に仕える血を引く彼女にとって、この役目は、誰から見ても然るべきものであった。


 彼女は毎日、欠かさず竈に火をくべる。

 炎は熱く、肌を焦がすほどであるというのに――

その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「温羅……、私はずっとあなたと一緒よ」


 釜に手をかざし、優しく語りかける。


「この竈を通して、私の声に応えてね」


 釜を介して交わす、目に見えぬ会話。

 それが阿曽媛にとって、何よりの喜びであった。


 温羅は生前、こう語った。


 ――この釜は、

 幸福が訪れる年には、豊かに鳴り響き、災いが訪れる年には、荒々しく鳴る。


 この竈の音によって、その年の吉凶を占うのだと。


 これを「鳴釜神事」として、阿曽媛の話と共に吉備国中に広めた。


 数年ののち――

 人々の口から「鬼」の名は消えた。

 代わりに語られるのは、

 民を見守る霊神、精霊としての温羅の姿であった。



 伊佐勢理毘古は、温羅が生きておれば、夫婦で神事に携わり、温羅を霊神とするつもりであった。

 そして、共に平和な世の中を作りたかった。

 だが、それはもはや叶わぬ夢。

 その想いだけが、彼の胸に静かな痛みとして残り続けていた。



 すべての策が終わりを迎えた頃。

 王丹が、伊佐勢理毘古のもとを訪れる。


「伊佐勢理毘古殿。少し、よろしいか」


「どうされたのだ、王丹殿」


 伊佐勢理毘古は穏やかに応じる。

 だが王丹は、これまでにないほど真剣な面持ちで切り出した。


「お主に、吉備冠者の名を継いで頂きたいのだ」


 その言葉に、伊佐勢理毘古は息を呑む。

 それは王丹の兄――温羅が背負っていた称号。

 吉備国の長を意味する、重き名である。


「いやいや、それは温羅殿の大事な名ではないか。その名は吉備国の者が継ぐ方が良かろう。私ではなく、弟のそなたが継ぐべきものだ」


 王丹は、静かに微笑み、首を横に振った。


「今言われた通り、これは吉備国を治める者が背負う名じゃ。真に吉備国の為に働いた者にこそ相応しい」


 そして、まっすぐ伊佐勢理毘古を見つめる。


「兄者も……お主が名乗る方が、きっと喜ぶ」


 伊佐勢理毘古は顎髭に手をやり、しばし思案したのち、深く頷いた。


「……、そこまで言うのであれば、喜んで受け取ろう」


 彼は一歩前に出て、宣言する。


「では、私はこれより吉備国の為にこの身を尽くすと誓い、「吉備」の二字を取り、名を大吉備津彦命おおきびつひこのみことと名乗ることとする」


「ありがとう」


 王丹は、心からの――

 曇りなき笑みを浮かべた。


 ◇◇◇


 桃太郎と鬼の戦いは終わった。

 しかし、それは吉備国に完全な平和が訪れたことを意味するものではなかった。

 争いの火種は、なお各地に燻り続けていた。

 彼らは剣を収めることなく、すべての民が等しく平和に暮らせる世を築くため、歩みを止めなかったのである。



 孝霊五十四年。

 備中を皮切りに、吉備上道、旭川流域、美作を次次と平定。

 その後何年も、交渉と戦を繰り返し、多くの地域を平定していった。


 そして八年後――

 孝霊七十二年。

 ついに最後の地・備後が平定され、これにて漸く、吉備国全土の平定を成し遂げたのである。


 こうして、吉備の地にはようやく安寧が訪れる。

 それは、大吉備津彦命をはじめとする者たちの、長きにわたる戦いの結実であった。


 では、その後――

 彼らは、いかなる道を歩んだのであろうか。

 以下に、その後日譚を記しておこう。 


 ◇


 大吉備津彦命

 吉備国平定後、温羅一族との約定通り吉備の平和の為に尽力した。


 しかし、崇神すじん十年秋、七月のこと。

「大和国の更なる支配地域拡大のために、四道将軍を任命せよ」との崇神天皇の詔を受け、吉備を離れる事となる。


 同年九月。

 朝廷は四道将軍として、

 大彦命おおびこのみこと北陸道くぬかのみちに、

 武渟川別命たけぬなかわわけのみこと東海うみつみちに、

 大吉備津彦命を西道にしのみち(山陽道)に、

 丹波道主命たにわのみちぬしのみことを丹波へ遣わした。

 吉備を離れる事となった大吉備津彦命は、後を稚武彦に任せ国を後にした。


 四道将軍は、直後に起きた武埴安彦たけはにやすびこの謀反を成敗した後、各地へ派遣される。

 大吉備津彦命は、西道で一身に教化に努めた。


 崇神六十年の出雲の内紛の際には、出雲振根いずものふるねを征伐したとされる。

 長い年月を大和国と朝廷の為に戦い続け、開化かいか二十年頃、静かにこの世を去った。



 稚武彦命

 大吉備津彦命と共に吉備国の平和の為に尽力した。

 その功績により、彼は名を「若日子建吉備津日子命わかひこたけきびつひこのみこと」と改名した。

 彼は、特に上道、海面の辺りの平定を行ったとされる。

 孝霊六十五年、児島周辺の平定がなされ、海面が安定を見るに至る。


 その二年後の六十七年。

 讃岐国に派遣されていた姉の百襲媛の元を訪ねる。

 そこで、瀬戸内海を荒らす海賊(鬼)を征伐したとされる。

 犬島出身の水軍、猿王出身の火を操る焼き物師一族、雉ヶ谷出身の弓の名手たちを仲間にし、女木島(鬼ヶ島)周辺で大海戦を行い、その後、鬼を壊滅させたと伝わる。 



 孝霊天皇

 倭国大乱を終結させるために生涯戦い続けた。

 孝霊五十六年には伯耆国ほうきのくに(鳥取県中部から西部)に入り仮宮を造営した。

 孝霊六十四年、吉備中山に到着。

 そして、約十年という年月をかけ、数多の鬼たちを征伐し、伯耆国、出雲国を平定した。

 孝霊七十六年、崩御。志半ばで、この世を去った。



 倭迹迹日百襲媛命

 讃岐国にて人々に弥生米を与え、米を作り、水路を開く。雨祈で雨を降らせ、文化を興隆させた。

 その後、第八代孝元天皇の治世において、倭国大乱を終結させるために祭祀王さいしおう日巫女ひみこ」となる。

 そのカリスマ性と占卜、祈祷の力で国を一つにまとめ上げ、戦乱の世を終わらせた。

 没年不詳ではあるが、三輪山(奈良県)の伝説に、大物主神おおものぬしのかみの妻となったが、とある悲しい事故でこの世を去る話が残っている。



 三隋臣 犬飼健命

 矢部郷周辺地域を領地として与えられる。

 王丹との戦で負った傷も癒え、生涯、犬を育てながら穏やかに暮らした。



 三隋臣 楽楽森彦命

 吉川郷周辺地域を領地として与えられる。

 その後も猿部隊を駆使し、大吉備津彦命を助けた。

 娘の一人である高田媛たかだひめは、大吉備津彦命の後妻に迎えられている。



 三隋臣 留玉媛命

 庄郷周辺地域を領地として与えられる。

 最後の時まで、鳥たちのために生き、人と動物の共生に生涯を捧げた。



 夜目山主命 夜目麿命

 日差山周辺地域を領地として与えられる。

 父子で生涯領地の民を守り続けた。



 阿曽媛 阿曽男 温羅一族

 温羅の遺言を守り、吉備の平和の為、皆で手を取り合い大吉備津彦命たちに協力し続けた。

 阿曽媛は、吉備津神社の御竈殿にて神事に従事。

 温羅の精霊と共に吉備国の為に働いた。

 王丹は、その武力と鉄を扱う技術を活かし、吉備のためにその生涯を捧げた。

 温羅一族の作る鉄製品は、吉備国の民の生活をとても豊かなものとした。


 ◇



 童話「桃太郎」。


 古より語り継がれてきた童話。

 桃から生まれた童が、犬・猿・雉を従え、鬼と戦う――

 それは誰もが一度は耳にしたことのある話であろう。


 しかし、歴史の奥底を静かに紐解いてゆけば、その背後には、国を巡り、人を巡り、争いと和解、怨念と祈りが折り重なった、これほどまでに壮大な物語が秘められているのだ。


 鬼とは何であったのか。

 英雄とは、ただ討つ者であったのか。

 そして――

 本当の「勝利」とは、何を意味していたのか。


 いかがであろうか。

 あなたが知っていた桃太郎の物語は、

 今、少し違って見えてはいないだろうか。


 桃太郎の話は、これにて終幕である。



 次は、どんな話が待ち受けているのであろうか――

 それを語るのも、

 耳を傾けるのも、

 また、人のえにしなのである。


――了。

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