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日本おとぎ伝奇 桃の章  作者: なお。


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第十壱話 合流、そして再起

 太陽が朱を引きながら水平線へと沈む刻、伊佐勢理毘古軍と稚武彦軍は、阿曽村の南――足守川下流域にて、滞りなく合流を果たした。

 しかし、再会の喜びが陣に満ちることはなかった。

 犬飼健の重傷、そして熊翁をはじめとする多くの戦死者の報。

 それは稚武彦軍にも容赦なく衝撃を与え、大和国軍の陣中には、鉛のように重い沈黙が降り積もった。

 誰もが俯き、言葉を失い、ただ風の音だけが耳に触れる。

 稚武彦は、一刻も早く温羅の真実を兄に伝えたいと願ったが、夜の帳はすでに迫っていた。

 まずは野営の支度を整えねばならぬ――そう判断せざるを得なかった。

 ひと段落した後、稚武彦は伊佐勢理毘古を訪ねた。

 だが、その夜、謁見は叶わなかった。


 ◇


 翌朝。

 稚武彦が兄のもとを訪れると、伊佐勢理毘古は静かに座していた。


 涙は流れていない。

 だが、その目は赤く腫れ、瞼の下には深い隈が刻まれている。

 一睡もせず、泣き、悩み続けたことは、言葉を交わさずとも明らかであった。


「兄上…。此度のこと、誠に残念でなりません。心中お察し致します。熊翁の意志、私たちも必ず継いでい参ります」


「………、もう涙もでぬ」


 伊佐勢理毘古は低く呟いた。


「己の非力さを嘆き、呪っておった。一時は、怒りに震え、王丹を恨む気持ちもわいた。しかし、何をどう思おうとも熊翁たちは二度と帰ってはこぬ。私のやるべきことは、元より決まっている。翁たちに託されたものがある。私が、ここで立ち止まるわけにはいかぬ」


 苦悩の果てに辿り着いた覚悟が、その言葉には宿っていた。

 伊佐勢理毘古は今後の方針を定めるため軍議を開くと告げた。

 だが、稚武彦は一歩踏み出し、制した。


「兄上。お待ちいただきたい。軍議の前に、私が楽楽森彦殿の指示で辿り着いた、阿曽郷の話を聞いていただきたいのです」


「楽楽森彦殿の指示? その阿曽郷とは一体?」


 稚武彦は、阿曽郷で見聞きしたすべてを語った。

 温羅が阿曽の民と共に生きていること。

 恩人であり、家族であること。

 鬼と呼ばれる存在が、実は善良で、多くの誤解に晒されていること。


 語り終えたとき、伊佐勢理毘古は石像のように動かなかった。

 信じがたい話――だが、弟が己の目で見、耳で聞いてきた事実である。

 そして、かつて楽楽森彦が口にした「温羅を討っても平和にはならぬ」という言葉。

 その真意が、音を立てて繋がった。


「楽楽森彦殿が言っておったのはこの事であったか。確かに、これは難しい話じゃな…」


 伊佐勢理毘古は深く息を吐いた。


「数度の戦で、温羅たちが鬼でないことは薄々感じておった。身体の大きさ、髪や眼の色の違いはあれど我らと同じ人間であるとな。しかも、悪事を働いているのは温羅ではなかったのだな。彼らも被害者であったか…」


 顎髭に手を添え、思索に沈むその背後から、静かな声が差し込んだ。


「――ようやく辿り着いたのだな、温羅の真実に…」


 振り返ると、そこには楽楽森彦が立っていた。


「大将、どうする? 温羅を討ったとしても吉備国は平和にならぬ。阿曽郷に悲しみと怒りを生むだけだ。しかし、温羅を討たねば賊はまだまだ増えるぞ。賊を征伐しても、暫くすれば新たな賊は必ず出てくる」


「確かにそうですね。うむ…… 暫し考えを整理したい故、時間を頂きたい。考えがまとまり次第すぐに連絡致す」


伊佐勢理毘古はそう告げ、二人を下がらせた。


(温羅は善人。民を守り、助けている。

 ならば、私と同じ志を持つ者――)


(問題は、鬼の噂に乗じ、悪事を働く者たち。

 噂が消えぬ限り、賊は尽きぬ……)


 腕を組み、考え続ける。


(温羅を討つことは出来ないが、温羅にいてもらっては困る。阿曽郷のこともあり、他所へ行ってもらうのも得策ではない……)


 そして、思考が行き詰まったその刹那――


(……噂が、どんどん広がるのが問題……ならば……!)


 ◇


 閃きは雷のように訪れた。


 伊佐勢理毘古は即座に幹部を集めた。

 その顔に、もはや迷いはない。

 幹部たちはその顔つきに安堵と期待を覚える。


「兄上、もう大丈夫なのですね?」


「あぁ、心配をかけたな。皆もありがとう」


 そして、温羅の真実について語り、楽楽森彦に認識間違いがないか確認する。


「大将。その認識で相違ありませね。それで、あなたなりの答えは見つかったのですかな?」


 楽楽森彦の冷たい視線が伊佐勢理毘古を貫く。

 まるで、返答次第ではまた敵対するとそう言っているかのようだ。

 だが、伊佐勢理毘古はその杞憂を吹き飛ばすように、満面の笑顔で答えた。


「もちろんだ。あなたもきっと納得してくれるはずだ」  


「それは楽しみだ。それでは、その策をしかとお聞かせください」


 そう言い、楽楽森彦はにっこり笑った。


「私は、温羅と和解するつもりだ。吉備国を愛する者同士、必ず分かり合えるはずだ。今までの戦で失われた命は戻ってこない。それに対し、私たちは償いをしなければならないであろう」


「それは、大和の兵たちも同じことではないですか?」

  

 稚武彦は、伊佐勢理毘古の言葉に声を荒げる。


「命という意味では同じだ。しかし、温羅からすれば侵略に対し、民を守る為に仕方なく戦ったにすぎない。本来なら失われることのなかった命だった」


「確かに阿曽郷での話を聞いたあとでは、我々の方が侵略者だと思います。そう思いますが…」


 稚武彦は、頭ではわかっているつもりだが、心が納得しきれない。

 伊佐勢理毘古は、それも人として致し方ないことだと言う。

 唸るものの稚武彦もそれ以上は何も言わなかった。


「それだけでは吉備国の平和は守れない。以前にもそう伝えましたよね? それでは納得しかねますよ?」


 楽楽森彦は険しい顔となり、強い口調で伊佐勢理毘古に詰め寄る。


「楽楽森彦殿、慌てないでください。ここからが本題です」


 「ほう。であれば、しかと聞かせて頂きましょう」


「はい。本当の問題は、鬼の噂なのです。鬼が悪事を働く噂がある限り、賊たちの悪事はなくならないのです」


「しかし、温羅がいれば噂は消えぬのではないのですかな?」


「そうです。温羅の噂は消えません」


「ん? どうするというのです?」


「温羅は討たない。噂を消すことも容易ではない。だから、逆に噂を利用する。温羅の善の噂を広め、悪の噂を上書きするのだ。彼には、吉備国の英雄になってもらう!」


 驚きの表情を見せる楽楽森彦。

 他の面々も同様に驚きを隠せない。


「そんなことが本当に可能なのか?」


 楽楽森彦は困惑している。

 そんな彼を真剣な眼差しで射抜く伊佐勢理毘古。

 その瞬間、伊佐勢理毘古の胸元が淡く輝き、彼からゆらゆらと光の柱が立ち昇り、その身を輝かせる。

 そして、次の言葉と共に、その光が幹部たちの身体を貫く。


「可能かどうかはさほど重要ではありませぬ。吉備国の真の平和の為――成し遂げるだけです」


 その強い意志と身体を駆け抜けた光に、一同は一斉に立ち上がる。

 身体が、心が、応えた。

 根拠なき確信が、その場を満たした。



 伊佐勢理毘古は、その策を実現するための軍議を開く。

 時を忘れ、全員が吉備国の平和のために智慧をしぼり出した。

 この軍議は一昼夜続き、翌朝に全ての方針が決まることとなった。


 ◇


 翌朝。

 空は、一面が雲で覆われ少し薄暗い。

 時折、強い風が吹き抜けよろめくほどだ。

 朝食を終えた頃、伊佐勢理毘古は全軍を集める。今後の大和国軍の方針を伝えるためである。


「先日の戦は、我らの完敗であった。私の采配により多くの死傷者を出してしまった。誠に申し訳なかった。死した者にこそ謝罪しなければならないことは重々承知しているが、苦労を強いた其方たちにも謝罪したい。この通りである」


 伊佐勢理毘古は深々と頭を下げる。

 兵たちは、自分たちの力不足を恥じたり、「頭を上げてください」「王丹の前には誰であれ結果は同じでした」「次こそは必ず勝ちましょう」などと思い思いの言葉を綴った。

 その言葉に感謝し、頷きながら聞いた伊佐勢理毘古は自身の決意を語る。

 温羅の真実の姿。温羅との和解、英雄譚の創出。そして、その先の未来のこと。


 場には沈黙が広がる。

 もちろん、すぐに納得出来ない者も大勢いた。

 伊佐勢理毘古は、静かだが力のある声で兵たちに語りかけた。


「我々は、悲しみと絶望の底にいる。それでも、面をあげて前を向かねばならない。我らの夢の実現に向かい散っていった熊翁やその他の兵たちのためにも、苦しくとも泣いてばかりはいられない。真の吉備国の平和のために、その歩みをとめてはならない。私は、いち早く吉備国の平和を取り戻し、この地から争いや悲しみを失くさねばならないと改めて痛感した。そのためにも、どうか、いま一度この私に力を貸してほしい」


 伊佐勢理毘古は、熱い想いを伝え、再び頭を下げる。

 暫しの沈黙の後、自然と拍手が起こる。そして、それはやがて歓声となり、陣を満たした。


「もちろんです! 我らの力、存分にお使いください!」


「大将の夢は我らの夢。必ず実現し、民が安心して暮らせる世の中をつくりましょう!」


 兵たちからは、様々な声があがった。

 伊佐勢理毘古は、それに再び感謝した。


 もはや俯く者はいない。

 胸に明日への希望を抱き、ただただ前を向く。

 天を覆っていた雲が割れ、光の柱が大和国軍を優しく照らす。

 それはまるで――

 天が、彼らの選んだ道を祝福しているかのようであった。

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