第九話 いざ、吉備穴海へ 伊佐勢理毘古編
二日目の戦いを経て、大和国軍は大きな決断を下した。
軍を二分し、別路から同時に進軍する――それが伊佐勢理毘古の選んだ策であった。
兵はそれぞれ三千五百。
さらに、温羅兵の異様な膂力に対抗すべく、大盾を前面に押し立てる防御隊を新設した。戦闘編成も改め、従来の三人一組を六人一組へと拡張。一組あたりの戦力を底上げする。
準備は整った。
大和国軍は各々の道を進み出す。
「稚武彦よ、気をつけて行くのだ。また無事に会おうぞ」
「はい。兄上もご武運を」
太陽が天に向かい昇る頃、南より暖かな強い風が吹いている。
稚武彦軍を見送った伊佐勢理毘古は、自軍の兵たちへ向き直る。
「我々の行く先には、昨日と同様、温羅軍の奇襲が待ち受けているであろう。軍を分けた事で不安に思う者もいるであろう。しかし、進軍経路も見直した。もう容易に奇襲はさせぬ。そして、先程の説明通り、編成も変えた。もはや、我々は昨日までの我々ではない」
一拍置き、力強く言い切る。
「必ず勝てる! 自信を持って進んで欲しい!」
将の声は兵の胸を震わせた。
士気を高めた大和国軍は、吉備穴海へ向け、堂々と行軍を開始した。
道中、軍犬対策は昨日以上に徹底されていた。しかし、今日の軍犬は前衛にて索敵を行う。
鼻を布で覆い、嗅覚を封じた代わりに目視で周囲を探り、異変があれば遠吠えで知らせる。
その移動速度と索敵効率は、人の比ではなかった。
進路も工夫されている。
昨日の反省を活かし、林や森は極力避けた。どうしても通過せねばならぬ場合は、敵が潜める側面に厚く兵を配し、前面には大盾部隊を並べ、奇襲に備える。
温羅軍もそれを察したのか、容易に手を出してこない。
行軍は、順調に進んでいた。
◇
異変が起きたのは、吉備穴海まで残り一キロという地点だった。
「――大将!」
犬飼健の鋭い声が走る。
「前方に温羅軍が展開中。その規模、およそ二千!」
「なに⁉︎ 本軍が出てきおったのか!」
伊佐勢理毘古は歯噛みする。
「最悪の想定が、当たってしまいましたな……楽楽森彦殿」
「はい。これは参りましたね…」
温羅軍は正面に陣を敷き、堂々と待ち構えている。
奇襲を捨て、部隊を集結させたのだ。
伊佐勢理毘古は、その中央に立つ異様な存在に目を奪われる。
赤髪に、ぎらつく両の眼。
遠目から見てもわかる、異様に隆起した筋肉。
紅の鎧が怪しく光る。
それは、圧倒的な武の塊と呼ぶべきものであった。
大将自ら出てきたのかと驚き、楽楽森彦に「あれが温羅か?」と問う。
しかし、楽楽森彦は首を横に振る。
その顔色は、明らかに蒼白。両目を大きく見開き、小刻みに震える手を抑え込む。
「大将…。あれは温羅じゃない。王丹だ…」
楽楽森彦の声は、かすかに震えていた。
「オニ? 誰ですかそれは? 温羅ではないのですか?」
伊佐勢理毘古は、聞き慣れぬ名に困惑した。
「王丹は、温羅の弟だ。温羅は知と武を併せ持つ者。しかし、王丹は武一辺倒。しかしその分、純粋な武力だけなら温羅をも遥かに凌ぎ、名実ともに温羅軍最強の戦士なのだ。このまま戦えば、軍が壊滅する恐れすらある。すぐに撤退し、急ぎ稚武彦軍と合流するのです」
楽楽森彦の話を聞き、漸く事の重大さを理解した伊佐勢理毘古。
留玉媛に合流地点変更の指示を託し、秘術で稚武彦のもとへ向かわせる。
撤退準備――だが、敵がそれを待つはずもない。
王丹が上方に右手をあげ、大和国軍の方へと向かっておろす。
その合図と共に、矢の雨が大和国軍の頭上に降り注ぐ。
「矢が来るぞ! 全軍守備を固めよ! 矢を防いだ後、大盾部隊は全面に出よ。温羅兵が来るぞ」
なんとか矢を凌いだ直後、地鳴りとともに温羅兵が迫る。
それは、まるで獣の群れのような突進であった。
「熊翁、犬飼健の両軍で一旦温羅軍の勢いをとめるのだ。その間に、非戦闘員を守りつつ軍を交代させる。楽楽森彦殿、撤退の指揮を任せる。私も皆と共に時間を稼ぐ」
「承知しました。ご無理なさらぬように。大将は絶対死んではなりませんよ! ご武運をお祈りします」
楽楽森彦は、撤退の陣頭指揮を取り始める。
頼りになる軍師は、その手腕で軍を素早く撤退させていく。
それを確認し、伊佐勢理毘古も戦闘に加わる。
「全兵! もう少し耐えてくれ! 共に、温羅軍を押し返すぞ!」
そう言い、千釣の強弓を構え温羅兵に向けて矢を放つ。
「カン」という甲高い音が戦場に響いたかと思うと、風切音をたてながら進むその矢は、見事温羅兵の頭部をいぬく。
そして、一射、また一射。
冴え渡る腕に、兵たちの士気が上がる。
次次と温羅兵を撃ち抜く伊佐勢理毘古。
それに後押しされ温羅兵を斬り捨てていく大和兵。
温羅兵たちに、少しの動揺が出始める。
(このままの勢いでいければ無事撤退できる。必ず保たせてみせる…)
そう確信しかけた瞬間だった。
突然、前線で大きな音が鳴り何かが弾け飛んだ。
どかっ! ぐしゃ……、どさっ…。
大和兵が五人ほど一気に宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。
甲冑は大きくひしゃげ、その衝撃の大きさを物語る。
土煙の中にその大きな影がうつる。
王丹だ。
王丹が大和国兵たちを吹き飛ばしている音が、ここまで聞こえるのだ。
一振りで数多の兵を薙ぎ払い、大盾すら意に介さず戦場を進む。
戦場の空気が、一瞬で凍りついた。
「――まずい」
熊翁と犬飼健が、王丹の前に立ちはだかる。
「兵たちよ、ここは任せい。王丹から離れよ! 六人組みを守り、他の温羅兵を抑えるんじゃ。行けぃ!」
「犬飼軍も下がれ! 翁の軍と共闘せよ。大将の指示があるまで、なんとしても持ち堪えるのだ」
二人の指示に従い、王丹から離れ温羅兵の元へ向かう大和国兵たち。
「させぬ」と追撃する王丹の鉄棍棒を、間に割り込み大戦斧で受け止める熊翁。
王丹の背後にまわった犬飼健は挟撃の体制をとる。
「これ以上、好きにはさせぬわい。わしらがお相手つかまつろうか」
「熊翁殿。お好きに動いてください。私一人では、王丹の攻撃を受け止めることはできませぬ。あなたに私が合わせます。ハクよ、お前も下がってくれ。さすがに、この者相手では部が悪すぎる」
「くぅーん」と鳴きハクは、不承不承ながら他の軍犬たちのもとへと駆けていく。
王丹はここで武器を剣に持ち変えた。
両手に一本ずつ剣を持つ二刀流である。
この剣は、王丹に合わせた特注品で、通常のものと比べてはるかに大きい。
それでも王丹はそれを容易く操る。
軽く振るうだけで、風を切る轟音と風圧が二人の元まで届く。
熊翁と犬飼健は視線で合図し、二人同時に斬りかかる。
即席ながらも、二人は阿吽の呼吸で攻撃を繰り出し王丹に反撃の隙を与えまいとする。
しかし、王丹はこの連撃をいとも簡単に防ぎ、はじき返してしまう。
「なんと…、これは見事……。どこにも隙が見当たらぬ。まるで後ろにも目がついているようだ…」
「泣き言いっとる場合ではないぞ! わしらでなんとかせねば軍が崩壊してしまう。なんとか突破口を見つけるんじゃ!」
二人は次次と連撃を繰り返すが、全て弾き返されてしまう。
そして、次第に王丹が反撃に転じ始める。
ただでさえ脅威であった剣戟は、さらに力強さと速さを増した。
熊翁はその怪力で凌げているが、犬飼健はやはり少しずつ押され始める。
一撃一撃が必殺の威力を持つ斬撃。それが、縦横無尽に繰り出される。
何とか王丹の剣を凌ぐが、犬飼健の衣やその身が切り刻まれ始めた。
(一瞬の気の緩みが命取りだ)
犬飼健の額には、大量の汗が浮かび、王丹の剣戟の凄まじさを表していた。
どれほどの間打ち合っていたのだろうか、二人にはとてつもなく長い時のように感じる。
そして、その時は突然やってきた。
ズルっ。
激戦の最中、犬飼健が草に足を取られ、体勢を崩す。
(しまった!)
そう思った時には、王丹の横薙ぎの剣が犬飼健の眼前に迫っていた。
甲高い金属音と共に、犬飼健は遥か後方へ吹き飛ばされる。
「がぁっ………」
「犬飼殿ーーーー!」
熊翁の叫び声が響く。
その声を聞いた伊佐勢理毘古は、視線を二人の方へ向けた。
地に倒れる犬飼健を見つけた伊佐勢理毘古は、急ぎ彼の元へ駆けつけ抱き上げると戦場後方へ避難させる。
伊佐勢理毘古はすぐに犬飼健の状態を確認した。
意識はないが――息はある。
横で、ハクが心配そうに覗き込んでいる。
彼が握る剣は、真ん中で真っ二つに折れていた。
王丹の剣をかろうじて己の剣で受け止めていたので致命傷には至らなかったようだ。
「ハクよ。犬飼殿はまだ生きておる。側についてあげてくれ」
ハクは、犬飼健の頬をぺろぺろと舐める。
そこへ、ちょうど楽楽森彦が戻ってきた。
「大将、まもなく撤退が完了します。急ぎ軍を後退させてください! 犬飼殿は我々が預かります」
「承知。宜しく頼む!」
そう言うと、伊佐勢理毘古は前線へ戻り合図を出す。
戦場に撤退の銅鑼が鳴り響く。
犬飼健が抜けた後、熊翁とその仲間たちが、王丹の進撃をぎりぎりのところでとめていた。
数十人が倒れ、さすがの熊翁にも疲労の色が見てとれる。
王丹の「温羅軍最強」の異名は伊達ではなかった。
「熊翁、撤退だ! 我々もひくぞ!」
しかし、熊翁は首を横に振る。
「桃様! 先に行くんじゃ! こやつはわしが抑える」
「何を言うか! ぬしらだけで王丹の相手を出来るはずがなかろう」
熊翁は苦笑いする。
「桃様、誰かがこやつを止めなけりゃあ大和国軍は崩壊するわい。それに、さっき王丹に一撃もらっちまったんじゃ…もう長くない。ここで王丹を止めることが、わしの桃様への最後の恩返しなんじゃ」
「翁…」
「いくんじゃ! そして、必ず吉備国に平和を取り戻すんじゃ。それが出来るのは桃様だけじゃ。取り立ててもろうたあの時から、あんたの夢はわしらの夢じゃ、最後の我儘を通させてくれぃ。この通りじゃ」
伊佐勢理毘古は胸を強く締めつけられる。
十数年を共にした記憶が一気に蘇り、目頭が熱くなる。
それでもなんとか自己を抑え込み、大将としての責務を果たすことを決断する。
「承知。翁たちの想い…、しかと受け取った。誠に感謝いたす。全軍、急ぎ撤退! 彼らの想いを無駄にするな」
大和国兵が急いで後方へと駆ける。
伊佐勢理毘古と弓兵は、矢を射ることで温羅軍の追撃を牽制。
それを見ながら翁は口を開く。
「お前たちもいけ。ここはわしだけで良い」
しかし、山賊あがりの部下たちは首を縦には振らない。
「何をおっしゃいます。我々は、山賊のときから頭領にずっと助けてもらってきたんでさ。大将のとこにきてからも、頭領がいたからここまでやれたんでさ」
「そうですよ! それに、ここで頭領を一人残して見殺しにしたら、かかぁに怒られちまうわ」
「ちげぇねぇ」
そう言って大声で笑い出す。
「おめぇたち……。なら、もう何も言わぬ。わしとあの世でも一緒に暴れようじゃねぇか! 熊翁山賊団、この世、最後の晴れ舞台じゃ!」
熊翁たちは皆んな笑みを浮かべ、王丹と温羅軍へ最後の突撃を敢行した。
熊翁は、王丹に最後の一騎討ちを挑む。
「王丹とやら、最後まで付き合ってもらおうか」
王丹は剣を地面に刺し、鉄棍棒に持ち替えた。
睨み合う両者。
暫しの後、二人は駆け出す。
お互いの咆哮と武器がぶつかり合い、辺り一面にはゴォン!という轟音と共にとてつもない衝撃波が広がった。
人のものとは思えぬ戦いに自然と全兵の動きがとまる。
最後の死力を尽くす熊翁の大戦斧の威力は、過去最大にまでのぼりつめ、一時的に王丹のそれを凌駕する。
熊翁の一撃一撃が王丹の鉄棍棒を弾き、少しずつ王丹が防戦一方となっていく。そして、ついにはその両手を防御に使わせた。
部下たちは、それを興奮の眼差しで応援した。
そして、ついに熊翁の横薙ぎの重い一撃が王丹の体勢を崩し、その巨躯をよろめかせる。
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
熊翁が大戦斧を高く振り上げ、全身全霊を込めた一撃を振りおろす。
ガァン!
それを受け止めた王丹の足元の地面は、砕け陥没し、一面には大量の土煙が立ち上る。
固唾を飲んで見守る両陣営。
暫くの後、土煙がゆっくりと収まり、二人の姿が露わとなる。
一撃を振りおろした熊翁と受け止めた王丹は、そのままの姿勢で静止していた。
熊翁は、ニヤリと笑みを浮かべた。
(桃様…、本当にありがとうな…。充実した人生だったわぃ… )
大戦斧には大きなヒビが入り、粉々に砕け散る。
熊翁は、口から鮮血を吹き出し、そのままうつ伏せの体勢で地面へと倒れ込んだ。
「見事なり」
王丹は、初めて言葉を発した。
熊翁を偉大な戦士として認め称えたのである。その言葉で漸く熊翁の敗北を実感した部下たちは、一斉に武器を捨て投降した。
皆嗚咽を漏らし、両の目からは滝のような涙を流す。
その武勇を背に聞き、伊佐勢理毘古は撤退。その目からは一筋の雫が流れ落ちた。
◇
撤退を完了した大和国軍。
晴れていた空はいつしか雲で覆われ、雨が降り出していた。地面はぬかるみ、兜からは雫が滴る。
皆の表情は暗い。
熊翁の死、犬飼健の重傷、千を超える死傷者という凄惨な現実が足に重くのしかかる。
大和国軍は。王丹の圧倒的武力の前に、なす術なく敗走した。
敗北の重さを背負い、大和国軍は黙して歩く。
稚武彦軍との合流を目指しながら――。




