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日本おとぎ伝奇 桃の章  作者: なお。


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序話 誕生

「真の吉備国の平和のために!」


  幾千もの兵が武器を掲げ、天を突き上げるように雄々しく叫んだ。

 その瞳には曇りなき希望の光が宿り、皆が一斉に桃色の羽織を纏う男を見つめている。

 天上では、まるで見守るかのように天照大御神がほほ笑みをたたえていた。


 その頃――静けさに包まれた一室で、一人の女性が佇む。

 彼女の瞳には淡い光が宿り、誰にも見えぬ“なにか”を静かに映す。そして、そっと窓の向こうの太陽へ祈りを捧げる。


「おゆきなさい。あなたの信じるままに……。どうか、 天照大御神様の御加護がありますように……」


 ◇


 春の陽はやわらかく、桜の花びらが風と共に去った庭では、色とりどりの花々がまるで競演するように咲き誇っていた。

 その中心で、煌びやかな衣をまとう一人の男が、静かに花の群れを眺めている。

 そよぐ風が裾を揺らし、彼の落ち着いた横顔に季節の香りをまとわせた。


皇太子こうたいし様! に御座います!」


「まことか! でかした‼︎」


 花を眺める男は応えた。

 彼は大和国やまとのくにの皇太子にして、後の第7代 孝霊天皇こうれいすめらみこととなる大倭根子日子賦斗邇命おおやまとねこひこふとにのみことは、喜びを隠しきれぬほどに目を輝かせた。

 端正な面長の顔に柔らかな眉。一重の切れ長な瞳は涼しげで、顎にかけて立派に整えられた髭が威厳を漂わせている。


 時は遥か昔、日本が倭国大乱わこくたいらんと呼ばれる政治も国も不安定な激動の時代。

 大飢饉を発端に始まった各国の侵略は、年月を重ね日本中を巻き込む大乱となっていったのである。

 大和国は周辺国の侵略を受け、初代 神武天皇じんむすめらみことが東征を行う以前の拠点であった現在でいう九州にまでその本拠地を追いやられた。

 そして、大和国は九州から奈良へもう一度勢力圏を取り戻すべく東へ向けて派兵を繰り返していた。


 その渦中に、彼の第三妃に男児が誕生したのである。


 ◇


「おぎゃあ、、おぎゃあ、おぎゃあ!」


  新しい命の声が、高い天井に澄んだ響きを広げた。

 戸が開け放たれた室内には春風が入り込み、布の端を優しく揺らしている。

 大きな布団と小さな布団が並べられ、若い母と生まれたばかりの赤子が身を寄せていた。周囲には数名の女官が控えている。

 第三妃・倭国香媛やまとくにかひめは、腰まで流れる黒髪に自然な艶を宿し、丸みを帯びた二重の大きな瞳、柔らかな唇が母としての温もりを映していた。

 皇太子は、どれだけの激務にさらされようと、その可憐さに日々癒やされていた。

 部屋の中は、最低限必要な物だけに抑えられており、一目見ただけで清潔に保たれていることがわかる。

 皇太子は赤子のもとへ駆け寄ると、安堵の息を漏らした。


「母子共に無事でなによりじゃ。大義であった」


  国香媛は身を起こそうとするが、皇太子はしずかに手を添えてそれを制した。


「そのままでよい。楽にしておれ」


「ありがとうございます。こちらが先ほど生まれた子にございます。さぁ、抱いてあげてください」


 皇太子はそっと赤子を抱き上げた。

 ふっくらとした頬、力強い泣き声。どこから見ても元気いっぱいの子だった。


「おぉ、よしよし。元気な子じゃな。名はなんと申すのじゃ?」


比古伊佐勢理毘古命ひこいさせりひこのみことと名づけました」


「うむ、良き名じゃ。聞いたか? お主の名は、比古伊佐勢理毘古命じゃ!」


 当時は母親が名付けをするのが一般的であった。伊佐勢理毘古いさせりひこはふにゃりと笑ったように見え、場の空気を一層やわらげた。


「伊佐勢理毘古も気に入ったようじゃ。笑うておるわ」


そのとき――廊下からトタタタ、と駆けてくる軽快な足音。

 勢いよく戸が開け放たれ、小さな少女が息を弾ませながら飛び込んできた。

 白の衣に朱のズボンみたいなもの、艶やかな黒髪。太い眉に、きらきらと輝く大きな丸い目が、とてもかわいらしい印象を与える。

 彼女は、皇太子と国香媛の長女

倭迹迹日百襲媛命やまとととひももそひめのみこと」である。

 深呼吸し、あがった息を整えて彼女は元気に口を開く。


「ととさま! 赤ちゃんが生まれたと聞きました。私にも見せて!」


「よしよし、百襲媛ももそひめ。ほら、これが弟の伊佐勢理毘古じゃ」


 皇太子はぴょこぴょこ跳びはねる百襲媛に見えるよう赤ん坊を抱いたまま床に座る。

 百襲媛は心躍らせ覗き込む。


「小さくてとてもかわいい! 私が姉の百襲媛よ、よろしくね。ねぇ、触ってもいい?」


「よいぞ。優しく触っておやり」


 花に触れるように優しく赤子の頬を指で押す百襲媛。満面の笑みで応える伊佐勢理毘古とそれを見つめる皇太子と国香媛。

 百襲媛は、伊佐勢理毘古の頬のとてもやわらかいその感触と自身に向けられた笑みで、心がぽかぽかと温かい気持ちでいっぱいになった。

 

 ――ズキッ!


 そのとき、百襲媛の頭の奥にひらめくような痛みが走った。そして、脳裏には桃の羽織を着た弓を構える青年と赤髪の大きな男の姿が浮かんだ。


(……、誰? 今のはなんだったのかしら…?)


 幼い彼女にはそれが何を意味するのかわかるはずもない。

 少し不安を抱いたものの、目の前で笑う赤子に気を取られ、その奇妙な気配もやがて薄れていった。


 ――これが、倭国大乱という激動の世を駆け抜け、のちに歴史に名を刻む英雄の誕生の瞬間であった。


 ◇


 皇太子には、伊佐勢理毘古と百襲媛の他にも多くの子がいた。

 第一妃である、十市県主大目とをちのあがたぬしのおおめの娘である細媛命くわしひめのみこととの間に第八代 孝元天皇こうげんすめらみこととなる大倭根子日子国玖琉命おおやまとねこひこくにくるのみこと福姫命ふくひめのみことが。


 第二妃・春日之千千速真若比売かすがのちちはやまわかひめとの間には、千千速比売命ちちはやひめのみこと


 国香媛との間には、伊佐勢理毘古の兄である日子刺肩別命ひこさしかたわけのみことと妹「倭迹迹日稚屋媛命やまとととわかやひめのみこと」。


 国香媛くにかひめの妹である第四妃の蠅伊呂杼はえいろどとの間に彦狭島命ひこさしまのみことや「稚武彦命わかたけひこのみこと」と言うようにである。


  ――そして、こうした命の連なりが芽吹いたわずか数年後のことである。

 倭国大乱のただ中にある大和国と吉備国。

 その渦の最前に立つ皇太子と、彼の子らの運命の歯車が、静かに、しかし確かに回り始めるのであった。

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