閑話:次なる一手
今回は三人称です。
「クソッ、何で上手くいかねぇ!?」
一見すれば貴族の邸宅のような……だが実際には世界から隔離された別空間。岩のような大男ガズの拳が、高級そうなテーブルをガンと打ち据える。するとその様子を見ていた紳士風の男デルトラが、そのヒゲを撫でつけながら目を細めた。
「物に当たるとは、エレガントではナーイですよ、ガズ? 八〇〇年もののエルウッドのテーブルに傷が付いたら、どう責任を取るつもりダーネ?」
「ハッ! 何言ってやがる! どうせ『破壊不能オブジェクト』だろうが!」
「いいや、違ウーヨ? 経年劣化の味が欲しくてね。これは通常のオブジェクトダーネ」
「ゲハッ!? それは……すまん」
デルトラの言葉に、ガズが思わず素に戻ってテーブルを撫でる。ゴツゴツした見た目に似合わぬ優しい指使いは、幸いにして傷を感じることがなかった。
「キーッヒッヒッヒ! 千指のガズも形無しだねぇ」
「うるせぇよアルマリア! モノを大事にしねぇ奴や、いつかモノに裏切られるんだ! だから俺は……」
「ガズ? 何の話デースか?」
「あ? いや……何だっけ? まあいいだろ。とにかくオデは、二度と何も捨てねぇし、捨てられもしねぇ! 全部この手で俺のいいように造り変えてやるんだ! ゲハハハハ!」
ガズの下品な笑い声が、室内に木霊する。それでようやく空気が落ち着くと、デルトラが改めてフードを目深に被った老婆、アルマリアに声をかけた。
「それで、アルマリア? 今回は何故失敗したのカーネ?」
「キーッヒッヒッヒ! そうだねぇ……」
アルマリアのフードに隠された一〇〇の眼が、ギョロギョロと動き回る。対象の行動ログを精査し、問題の原因を洗い出そうと読み込んでいくが……
「正直、よくわからないねぇ」
「ハァ!? 人を煽っといて、テメェもわからねぇなんて抜かしやがるのか!?」
「キヒッ! それを言うなら、そもそもアンタの作戦だろう? 失敗の原因を自分で把握できない方が悪いんじゃないかぇ?」
「ぐっ、そう言われると辛ぇが……でも、俺の仕立て上げたアバターは完璧だったぜ? オメェ等も見ただろ?」
痛いところを突かれたものの、ガズは何とかそう食い下がる。前回は目的意識が強すぎる者を選んだせいで上手くプログラムが走らなかった反省から、今回は逆に極めて薄っぺらい意志を素体として選んだ。
おかげでこちらからの干渉に対する抵抗が恐ろしく少なく、ほぼ思い通りのキャラメイクができたのだが……だからこそどうして失敗したのかが見当も付かない。
そしてその認識は、実のところ他の二人にとっても共通であった。
「確かにそうダーネ。私もあれは行けると思ったんダーガ……」
「アタシもだよ。だから本当にわからないのさ。何であの流れから逆転できるかねぇ……」
アルマリアの予想では、モブローの害意のない害意によって流されたシュヤクは、そのままゆっくりと表舞台から消えていくはずだった。実際その一歩は既に踏み出されており、あとは放っておいても片がつく……そういう段階であったはずなのだ。
だがどういうわけか、シュヤクは突然そこから飛び出し、またもこちらの思惑を超えて動いた。距離を置くと思われていたモブローに自ら接触していき、ほんのわずかな会話だけでヒロインの心を取り戻すと、あろうことかモブローすら自らの懐に入れてしまったのだ。
普通に考えればあり得ない結末。まるで答えを先に見てから別の選択肢を選ぶような行動が可能であるとすれば……
「一番現実的なのは、誰かが肩入れしてるってことなんだがねぇ……」
「……おい、アルマリア。それはオデかデルトラが裏切ってるって言いてぇのか?」
「落ち着きたマーエ、ガズ。そんなわけがないことくらい、君だってわかってるダーロウ?」
「キヒヒ、そうだよガズ。アタシ達の間に裏切りなんて存在しない。そんなことする意味がないからねぇ」
「……まあ、そうだけどよ」
低い声を出していたガズが、二人に諭され気持ちを収める。そこにあるのは同じ目的を持つ同志などという温い信頼関係ではなく、自分達は三人揃っていなければ今のような力を振るえないという、厳然たる事実だ。
そう、誰か一人が欠けるだけでも、できることは大きく制限される。そして同格の相手となれば、どんな手段を使っても自分の思い通りに動かすことなどできない。
つまり、もし本当に裏切りたい……違う道を目指したいというのであれば、その旨伝えて立ち去ればいいだけなのだ。なのにわざわざ相手を怒らせ、不毛な争いをしようとするほどの馬鹿が隣にいるとは、誰もが考えていなかった。
「でも、ならどういうこった? オデが作ったアバターで活動中なのは、今はあの二体だけだぞ? それともまさか、オデやオメェが把握してない別のアバターが存在してるとでも言うつもりか?」
「キッヒッヒ! それこそあり得ないねぇ! ……ただ一つ、例外を除いて」
「例外? 何だよ?」
「キヒッ、例外は例外だよ。わかってるだろぅ? アンタが造ったんじゃないアバターで、アタシが観測できないキャラクターなんて、一人しかいないじゃないかぇ」
「…………まさか、カイルが生きているとデーモ?」
嗤うアルマリアの言葉に、デルトラが真剣な表情で問うた。自分達の安寧を脅かす存在の名に、ガズもまた激しい反応を見せる。
「馬鹿か!? そっちこそ本当にあり得ねぇ! 上書きだぞ!? そりゃ完全消去をかけたわけじゃねぇから多少は残るだろうが、そんなカスをより集めて元の人格を再現できるはずがねぇだろ!
それにバックアップだって無理だ! そんなでかいデータ、何処に保存しとくってんだ! そんなのがあったら、それこそ見逃すはずが……」
「わかってるよぉ! わかっちゃいるけど、アタシを……いや、アタシ達を出し抜ける相手なんて、そのくらいしか思いつかないんだよねぇ。そうじゃないなら本当にたまたま、全部偶然の成り行きで最高の結果に辿り着いたなんて答えになっちまうよぉ? キヒヒヒヒ……」
「フーム、正直まだそっちの方が納得できるでアールが……」
不気味にローブを揺らすアルマリアの言葉に、デルトラが何とも微妙な表情でヒゲを撫でつける。絶対に排除できない相手をどうにかして押さえ込んだというのに、実はそれがまだ意志を残して活動しているなど、悪夢としか言いようがない。
だが現実に問題が起きている以上、あり得ないことを「あり得ない」と斬り捨ててしまえば、今後も被害が出続ける可能性は極めて高い。
「……アルマリア、もしカイルが未だ存在しているとしたら、どのような妨害が考えられるカーネ?」
「デルトラ!? オメェまでそんなこと言い出すのかよ!?」
「キヒッ! そりゃシナリオから外れるような動きには、ちょっかいを出してくるだろうねぇ。むしろそれだけなら何の問題もないんだが……」
「ブレークポイントが何処に来るか、か……確かに読めねぇな。とは言え何の手も打たねぇ訳にもいかねぇだろ?」
「とナールと、今後はチェックメイトよりスティルメイトを意識した戦略が必要なようダーネ」
一手で勝負を決められるなら、それに超したことはない。だが強い一手はより強い一手によって容易く覆されてしまう。
ならば焦り、欲張って勝負を決めようとするより、時間切れを狙う方がいい。時の流れこそ自分達の最大の武器であることを、彼らは誰より理解していた。
「フッフッフ、次は私が動こうカーネ。改めてエレガントな作戦を練ろうじゃナーイか」
「ゲッハッハ! いいぜぇ、何でも造ってやる! 指が鳴るぜぇ!」
「キーッヒッヒッヒ! 今度こそ面白い結果を見せてもらわないとねぇ」
三者三様の笑い声が、閉じた空間に響き渡る。一つが終わり、一つが始まる……次に彼らがどう動くのか、それはまだ誰も知らないことである。





