どうでもいいレベルの因縁ですら、人はここまで悪意を持てるのか……
「ジェイク……」
これっぽっちも望まなかった再会に、俺は思い切り顔を歪める。このタイミングでこんな場所にいるなんて、どう考えても訳ありだ。そしてそう感じたのは、当然ながら俺だけではない。
「ここは住宅街だぞ? お前のような輩が、こんなところに何の用だ?」
剣こそ抜いていないが、切っ先の代わりに視線の刃を突きつけながらアリサが問う。しかしジェイクもそのお供の……何だっけ? ロッドにデニス? どっちがどっちかすらよくわからんが、とにかく犬獣人達はニヤニヤと薄気味悪い笑みを崩すことはない。
「おいおい、随分な態度だな? 俺達は親切でやってきたんだぜ?」
「そうそう! お前達が困ってるんじゃないかと思ってさぁ?」
「困っている? 私達がですか?」
「ああ、そうだ。これ、いるんじゃねーの?」
ロネットの問いに、どっちかわからん二人の一人が提げていた袋から草を取り出した。少々しなびてはいるが、それは紛れもなくエアリ草だ。それをジェイクがパッと奪うと、俺達に見せつけるようにヒラヒラと動かした。
「ったく、ヒデぇ奴がいたもんだぜ。せっかくの人の儲けを台無しにするクソのせいで、こいつが余ってんだよ。でも今なら高値がつきそうなんだ。だろ?」
「……ロネット? まさか買い取り拒否でもさせたのか?」
ジェイクの言葉に、アリサが問う。だがロネットは首を横に振ると、種明かしを説明してくれる。
「私がしたのは、お父様に連絡して薬を送ってもらうこと……そしてその情報を、近隣の商人に流しただけです。喫緊に必要なわけでもなく、一〇日後には十分な在庫が確保できるなら、適正価格以上で買い取る者などいません」
「そうか……なら別に損はしてないだろう? 適正価格で売買すればいいだけの話だ」
「そうですね。以前の交渉はそちらが拒否しましたが、もう一度同条件でお受けしても構いませんよ?」
頷くアリサをそのままに、ロネットがニッコリと営業スマイルを浮かべる。それを受けたジェイク達は顔を見合わせ、楽しげに口元を歪ませる。
「そうか? ならあの時と同じく……三億で売ってやる」
「……あの、前もお話しましたよね? そんな金額で売れると、本気で思ってるんですか?」
「俺も前に言ったぜ? そんなはした金で売るくらいなら……こうした方がマシだってな」
ジェイクの手から、エアリ草が落ちる。それは再びグリグリと踏み潰され、単なるゴミに成り果てた。
「全く……俺は病気で困ってる奴らのために、善意で薬草を摘んできてやったんだぜ? なのにどっかの誰かのせいで大赤字だ。しかも薬草ってのは、ちゃんと保管しねーとすぐしなびて駄目になっちまうんだとよ。
俺達は善良な冒険者だ。そんなB級品を売るわけにはいかねーから……この袋に入ってるのを除いて、残りは全部燃やしちまったよ。つまりこれが、今この場で手に入るエアリ草の、正真正銘最後の一袋ってことだ」
「は!? な、何故そんなことを……!?」
「決まってんだろ? 需要と値段の問題さ。数が少なきゃ価値があがる。当然の理屈だ。そして……ああ、また一つ駄目になっちまった」
お供の袋からひょいと薬草を摘まみ上げ、ジェイクが再び踏みにじる。その後継に今にもクロエが飛び出しそうだが、アリサが辛うじて抑えて……いや、アリサもかなりキてるな。てか、俺も大分キレそうだし。
だがそんな状況でも、ロネットは笑顔を崩さない。見ているこっちが怖くなるほど空寒い笑顔を浮かべ、静かにジェイクに話しかける。
「……その行為に、何の意味が? 未来永劫手に入らないというのならわかりますが、たった一〇日でそれと同じものが、十分な量この町に届くのですよ?」
「ああ、そうだな。大抵の奴にとって……それこそ俺達からしても、こいつはもうろくな価値のねぇゴミさ。でもよぉ……」
ジェイクの視線が、ふと俺達から逸れる。その向かう先は背後……つまり、未だ魔過熱で寝込むケリーの母が眠る場所。
「いるだろ? 今すぐにでもコイツが必要な奴がさ?」
「犬っころ! お前ぇぇぇぇぇぇ!!!」
「待て、クロエ! 我慢しろ!」
「シュヤク!? 離すニャ!」
「駄目だって! ここで手を出したらこっちの負けだぞ!」
ダンジョン内ならまだしも、ここは王都の住宅街だ。これだけ騒いでれば周囲には遠巻きに見る人影もあり、ここで先に攻撃したら、憲兵に捕まるのはこっちになってしまう。それより……
「アリサ」
「わかった」
声を掛け目配せすると、アリサがスッと家の中に戻っていく。そしてその間にも、ロネットがジェイクと会話を続けていく。
「ジェイクさんは、こちらの家の方とお知り合いなんですか?」
「いーや? 顔も見たことねぇな。でも俺はそこのクソ猫と違って、鼻が利くんだよ。きっとすぐ近くに、今すぐこの薬草が必要な奴がいると思うんだがなー……フンッ!」
取り巻きの袋から、ジェイクがまたエアリ草を取り出す。何をするのかと思えば、今度は鼻をかみやがった。グシャグシャと丸めて地面に捨てると、やはり念入りに踏み潰していく。
「あー、クソ猫のせいで鼻がムズムズしちまったぜ……おっと悪い、また一つ減っちまったな」
「おいジェイク、あんまりやり過ぎるとマジでなくなるぜ?」
「ん? あと幾つ残ってる?」
「えーっと、いち、にい、さん……五つかな?」
「そんだけか。でもそれだけ貴重だったら、きっと値段も倍くらいまであがってると思わねーか?」
「思う思う! 五億くらいでもいいんじゃね?」
「馬鹿だなロッド。三人で割るなら六億の方がきりがいいだろ?」
「だそうだ。どうだガキ、今なら大特価、六億エターだぜ?」
「犬のお兄ちゃん!?」
と、そこで家の扉が開き、中から出てきたケリーちゃんがジェイクを見て声をあげる。その背後にはアリサの姿があり、ケリーを守るように背後から肩を添えている。
「見覚えのある相手か?」
「そうだよ! あのお兄ちゃんがくれたお薬、お母さんにあげたの! そしたら……」
「だ、そうだ、ジェイクとやら。どうやらお前がこの子の母親に何かしたのは間違いないようだが?」
俺の意図を正確に理解してくれたアリサによる、逆転の一手。しかしジェイクはどういうわけか、ヘラヘラした笑みを崩さない。
「おいおい、何で俺を悪者みたいに言ってやがるんだ? 俺は善意の一般人だぜ?」
「何言ってるニャ! お前がこの子のお母さんに毒を飲ませたニャ!」
「毒!? まさか、俺が飲ませたのはこれさ」
そう言ってジェイクが鞄から取り出したのは、青い雫が残る透明な瓶。そのデザインにはどこか見覚えが……っ!?
「それは……魔力回復ポーションですか?」
「そうさ! その人間のガキが『お母さんが病気だから、お薬が欲しい!』なんて言うんでよ、こいつを恵んでやったのさ! 高かったんだぜ?」
「馬鹿な!? 魔過熱の患者に魔力回復薬を飲ませたりしたら、悪化するに決まっているだろう!」
憤りを露わにしたアリサが叫ぶ。だがジェイクの態度は変わらない。
「へぇ、そうなのか? そんなこと俺は知らねーし、そのガキは母親が魔過熱だなんて言わなかったぜ?
だからこれは、一〇〇%善意さ。もし瓶をその場に残したら、どっかの悪党に毒を塗られて濡れ衣を被せられるかもって回収しといたんだが、それが役に立つとはなぁ! おっと、証拠品は綺麗に保管しねーとな」
「あっ!?」
ジェイクが袋に手を突っ込み、エアリ草を取りだしてグシャグシャと瓶に擦りつける。わずかとは言え他の薬が混じってしまった可能性のある薬草なんて、当然材料としてはもう使えない。
「おっと、また駄目にしちまったな。残りは四つか……さて、どうする? 買うのか買わねーのか、はっきりしろよ」
「っ……」
ジェイクの言葉に、ロネットが歯噛みする。こちらを振り向き、不安そうなケリーを見て、その顔が泣きそうに歪む。
「…………無理、です。そんなお金は出せません」
「そうか、ならもうこれはいらねーな」
数秒の沈黙、そして絞り出すような声。その回答に、俺達は何も言えない。そんな俺達を前に、ジェイクは仲間から袋をひったくると、中身を全て地面にぶちまけた。
仲間達と共に、その全てを原型がなくなるまで踏みつけ、踏み潰し、踏みにじり……そして最後に、満面の笑みを浮かべて言う。
「はーっ、大損しちまったが、クソ猫共の吠え面が見られたから勘弁してやるよ」
「おいガキ、恨むならそいつらを恨めよ? 俺達は売ってやるって言ったのに、金が惜しくて買わなかっただけなんだからな?」
「ギャッハハハハハハハ! ザマァァァァァァァ!!!」
高笑いしながら去っていくジェイク達を、俺達はただ黙って見送ることしかできなかった。





