人間誰しも、抱えてるものがあるさ
「おいおい、どうしたんだクロエ? 夜這いとは随分大胆だな?」
「……………………」
「……あー、すまん」
軽い冗談を口にしてみたが、クロエが俯いたまま何の反応もしてくれないので、俺は謝罪の言葉を口にしながらベッドから起き上がった。そのままクロエに近づくと、そっと手を引いてベッドの上に座らせ、俺も隣に腰を下ろす。
「で、本当にどうしたんだ? いつものお前らしくない……ってのは違うな。他人が勝手に決めつける『らしさ』なんてどうでもいいけど、元気がないのは心配するぜ?」
「……ごめんニャ」
話しかける俺に、クロエがぼそっとそう呟く。さっきの俺の謝罪とは比較にならない、重い言葉だ。
「クロが暴走したせいで、シュヤクがボコボコのベッコベコにされたニャ」
「ああ、それか。気にすんな……とまでは言わねーけど、でもあいつらに腹が立ってたのは俺だって、それに他の皆だって同じだろ? 流石に手を出すのはマズかったと思うけどな」
現実的な問題として、「薬草を根こそぎ採る」のはマナー違反とか暗黙の了解を破るという意味はあっても、違法ではない。が、カッとなって武器で斬りつけるのは、明確な違法行為だ。
なのでもし衛兵に通報でもされたら、悪いのは一方的にこっちになる。まあダンジョン内でのいざこざはよほど悪質なもの以外は有耶無耶にされがちらしいので、万が一奴らが訴え出たとしても実際にクロエや俺達が捕まることはないだろうが、それでもこれは明確な「弱み」として存在してしまっている。
もっとも、そんな事俺がわざわざ言うまでもなく、クロエだって自覚している。だからこそ皆の前から姿を消したり、夜中にこっそり俺のところにだけ来て話をしたりしてるんだろうからな。
「なあ、クロエ」
「何だニャ?」
「お前、何であんなに怒ったんだ?」
であれば俺のすることは、クロエの話を聞いてやることと、話しやすい状況を整えてやることだろう。人を知りたいなら何に喜び、何に怒るかを知るべしという偉大な先人の知恵に従って問うと、数秒の沈黙の後、クロエがゆっくりと語り始めた。
「……クロには、兄弟がいっぱいいるニャ。兄ちゃんと姉ちゃんと、あと妹も一人いるニャ」
「ほぅ? そりゃ大家族だな」
流石に家族の設定はゲームと同じらしく、それは俺の知っている情報だ。だがそこから続いた言葉はそうじゃない。
「でも、本当はあと二人、弟と妹がいたニャ」
「えっ!?」
完全に未知の情報で、今度は心底驚きの声を漏らす。え、四人じゃなく六人!? どういうことだ!?
「昔……クロがまだちっちゃかった頃、クロの住んでる村で、病気が流行ったニャ。それは何年かに一回くらい流行る風土病で、罹ると死んじゃうけど、でも薬草で治療すれば治る病気だったニャ。
でも、その年はどういうわけか、今までよりずっとずっと沢山の人が病気に罹ったニャ。だから沢山薬が必要になって……そこで問題になったのが、材料になる薬草の量ニャ。
今生えてるのを全部採って薬にすれば、ギリギリ村人全員を助けられるニャ。でもそれをやったら来年からはもう薬草が手に入らないニャ。そうしたら次に病気が流行った時、とんでもない数の死人が出ることになるニャ。
未来のために今の村人の何割かを見捨てるか、それとも今を救うために未来を諦めるか……村の中で大人の人が散々話し合って決めたのは、未来のために薬草を少し残し、足りない分の犠牲は諦めることだったんだニャ」
「……………………」
知らない。こんな話知らない。俺の知らないクロエの過去に、俺は完全に言葉を失う。だがどれだけ俺が驚いていても、それを咀嚼する時間など待たずクロエの話はなおも続いていく。
「父ちゃんと母ちゃんも合わせて、クロ達の家族は八人……でも薬は六個しかもらえなかったニャ。だからまず、父ちゃんと母ちゃんが薬を飲んだニャ」
「っ!? そ、そう? なのか?」
「フフッ、シュヤクの言いたいことはわかるけど、物語の読み過ぎニャ。父ちゃんと母ちゃんが死んじゃったら、クロ達はどうやって生活するニャ? 父ちゃん達が生き延びるのは絶対に必要だったニャ」
「……そう、か。まあそうだな」
大抵の物語なら、こういうとき親は薬を飲まず、子供を生かそうとする。だが現実なら確かに親が死んでしまえば、子供達は路頭に迷うことになる。
どちらか片方だけ薬を飲んでその分子供を生かすという手も……いや、これは部外者の勝手な言い分だな。その場に居合わせてすらいない俺が家族の命の取捨選択に口を挟むなんて、恥知らずにも程がある。
「それに、一番下の妹はまだ産まれたばっかりで、その次の弟も一歳と少しだったニャ。それだと流石にちっちゃすぎて、薬を飲んでも助からないかもって話で……だから父ちゃん達は弟と妹を諦め、それ以外の皆が薬を飲むことに決めて……それでクロ達は助かったけど、弟と妹は……」
「……………………」
死んだ、のだろう。薬を飲んですら生存は微妙と言われた乳幼児が、薬すら与えられずに自然治癒するなどあり得ない。
だが、そうか。だからクロエは……
「父ちゃんも母ちゃんも、弟と妹の犠牲を無駄にしないよう、大切に生きなきゃ駄目だって教えてくれたニャ。いっつも笑顔で皆を励まして、毎日頑張って仕事してたニャ。
でも、クロは知ってるニャ。夜中に目が覚めてトイレに起きた時、部屋に灯りがついてて……こっそり覗いたら、そこでは父ちゃんと母ちゃんが泣いてたニャ。ごめんなさい、ごめんなさいって、何度も何度も謝ってたニャ。
それが怖くて、悲しくて、クロも思わず泣いちゃったニャ。そんなクロを、父ちゃんと母ちゃんが優しく抱っこしてくれたニャ。
忘れないニャ。忘れられないし、忘れたくないニャ。ちょっとしか覚えてないけど、クロスもクーリも、クロの大切な家族なのニャ……っ!」
「クロエ……」
泣き出したクロエを優しく抱きしめ、その頭を撫でる。
愛する家族を守るため、家族そのものを犠牲にした親の悲しみはいかほどだろうか。幼い弟妹を代償として生き延びた子供の気持ちはどれほどだろうか? 推測することすら烏滸がましいほどの悲しみが、俺の胸の中で熱い涙を流している。
果たしてこれは、シナリオライターが書いたゲームの裏側か? それとも現実化した世界で歪んだ、新たな著者の思惑か? わからない。知らぬ間に送り込まれただけの俺には、何も知る術はない。
「だから……だからどうしても許せなかったニャ! 誰かを助けるためでもなく、お金のために薬草を全部持っていくような奴は、絶対絶対許せなかったニャ!
でもそのせいで、皆にもシュヤクにも迷惑かけちゃったニャ。だから……っ!?」
「違うぞクロエ、それは違う」
クロエを抱く腕に、ギュッと力を入れる。それに驚いたクロエが、涙でグシャグシャの顔をあげた。
「シュヤク? 何が違うニャ?」
「あいつらはクソだ。それに怒るのは当然だ。お前はそう思っていい、怒っていいんだ。
俺はその気持ちを、絶対に否定しない。そのせいでボコボコにされたっていうなら、むしろ嬉しいくらいだ」
「……ボコボコにされて嬉しいなんて、シュヤクはやっぱり変態ニャ?」
「ぐっ……ち、違う。そういう意味じゃない。これはあくまでも、クロエの気持ちに同調できるというか……」
「冗談ニャ」
そう言って小さく笑うと、クロエは再び俺の下を向いて、俺の胸にグリグリと頭を押しつけてきた。地味に痛いが、決して不快ではない。
「シュヤクはやっぱり優しいニャ。シュヤクにならサバ缶をあげてもいいニャ」
「そりゃ大盤振る舞いだな。あーでも、他の皆を危険に巻き込んだことだけは変わりないから、俺はともかくアリサやロネット、リナにはちゃんと謝らないと駄目だぞ?」
「……シュヤクはあんまり優しくないニャ。サバ缶は没収ニャ」
「急に厳しい!? そういうのは大事なんだぞ? この前先輩達に絡まれた時だって、アリサはちゃんと謝ってただろ?」
「わかってるニャ。皆にはちゃんと謝るニャ。シュヤク」
「ん? 何だ……っ!?」
俺の腕からスルリと抜け出たクロエの唇が、チュッと俺の頬に触れる。驚いて固まってしまうと、そのまま俺から離れたクロエが、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「サバ缶の代わりニャ。迷惑かけてごめんなさいニャ。話を聞いてくれて、ありがとうニャ! それじゃ、おやすみニャー」
そう言うと、クロエは窓からひょいと跳びだし、来た時と同じように唐突に消えてしまった。残された俺はそっと頬に手を当て、その温もりと湿り気に何とも言えない気分になる。
「…………寝るか」
一五歳のシュヤク君なら興奮して眠れなそうだが、二八歳の社畜君である俺は、そのまま布団を被って目を閉じる。
ハーレムなんてまっぴら御免。打算ありきの女の好意なんて、こっちから願い下げ。その気持ちに今も変わりはないんだが……
(恋愛の絡まない純粋な好意なら……まあいい、のか?)
そんな言い訳じみたことを思い浮かべ、俺は長い一日を終えるのだった。





