俺の覚悟は、精々この程度だよ
「ニャァァァァァァァァ!!!」
「っ!? クロエ!?」
雄叫びと共に飛び出したのは、怒りに顔を歪ませたクロエだった。しかもその手には抜き身の短剣すら握られており、その刃がジェイクの首元に吸い込まれていく。だが……
「んだ、このクソ猫がぁ!」
「ギニャッ!?」
カウンター気味に放たれたジェイクの拳がクロエの腹を打ち抜き、その小さな体が吹き飛ぶ。それを見てゴキリと首を鳴らしたジェイクが、剣呑な眼差しを俺達に向けてきた。
「おい、今のは何だ? 剣を抜いて向かってきたってことは、お前ら俺達と殺し合うつもりか?」
「い、いや、俺達は…………」
突然のことに、思考がついていかない。加えて魔物とは違う、意志を持つ人間の明確な殺意を向けられ、俺の気持ちが一歩後ずさってしまう。そうして俺が口籠もると、背後から呻くような声が響く。
「ふざけるんじゃないニャ……」
「クロエさん!? 駄目です、まだ動いたら……」
「そうだクロエ、少し落ち着け」
「ふざけるんじゃないニャ!」
振り向けば、ロネットとアリサの制止を振り切り、お腹を押さえながら起き上がったクロエが叫んでいる。
「お前ら犬っころが汚い金稼ぎをするのはどうでもいいニャ。そのうち自業自得でケツの毛まで毟られて、その辺で野垂れ死ねばいいニャ。
でも……でも! 人の命を踏みにじるようなやり方は、絶対に許せないニャ! 薬とか食料とか、そういうのでやったら絶対に駄目なのニャ!」
「あーん? 知らねぇよそんなこと。他人がどうなるかなんて、俺達には何の関係もねーじゃねーか」
「そうだぜ! てか、売ってやるって言ってんのに、金払わなかったのはそっちだろ? それとも何か? お前らは店の商品が高かったら、自分達に買えるくらい安くしろって暴れるのか? うわ、コエー! そっちの方がヤバいだろ」
「あれ? そうすっと俺達、強盗に遭ったのか? ならこいつらぶっ殺して好きにしちゃってもいいんじゃね?」
クロエの魂の叫びは、しかしジェイク達に何一つ変化を与えなかった。むしろそれぞれが武器を手にし、値踏みするように俺達を……いや、俺以外をねっとりと見つめてくる。
「な、何よアンタ達!? やるっていうの!?」
「先に仕掛けてきたのはそっちだろ? チッ、ガキは趣味じゃねーんだけどなぁ」
「俺は割と好きだぜ? へへへ、あっちのちっちゃい子とか、いいよな……」
「ロッドは相変わらず趣味悪いな……俺はあっちの気の強そうな女にしとくかな」
「ヒッ!?」
「……黙ってやられるつもりはないぞ?」
濁った視線を向けられたことで、ロネットが悲鳴をあげて身をよじり、アリサが腰の剣に手をかける。
え、これ戦う流れか? 確かにこいつらの所業には腹が立ったけれども……でも、こいつら魔物じゃないんだぜ? そりゃ犬の耳と尻尾が生えてるけど、それでも歴とした人間で……こんな雑な流れで、俺は人間と殺し合うのか!?
「犬っころに好き放題されるくらいなら、自分で首を斬るニャ。でもその前に、お前らだってズタズタにしてやるニャ!」
場はまさに一触即発。魔物との戦いではなく、人同士の殺し合いが今にも始まりそうになったその時。俺は反射的に場の中央に躍り出ると、その場で土下座してジェイク達に頭を下げた。
「すまなかった!」
「アァ?」
「シュヤク!? 何やってるニャ!」
「確かに先に手を出したこっちに全面的な非がある! だから謝る! 申し訳なかった!」
両サイドからの視線が突き刺さるなか、それでも俺は地面に額を擦りつけ、必死に告げる。
そうして訪れた、数秒の沈黙。それを破って頭上に降り注いだのは、あからさまな嘲笑だった。
「クッ、アッハッハッハッハ! おいおい、何だよそりゃ!? メスを四匹も連れてるくせに、勝負する根性すらねーのか!」
「人間ってのはこんなのがモテるのか? わけわかんねーぜ」
「耳ナシ尾ナシで意気地ナシってか! ウケる! どうすんだよジェイク?」
「そうだなぁ。ま、許してやってもいいけどよぉ……」
「んがっ!?」
突如、頭に衝撃が走る。どうやら踏みつけられているようだ。鼻先が地面にめり込み、若干呼吸が苦しくなる。
「謝るってんなら、ちょっと頭が高すぎるんじゃねーか?」
「お前、何をやっている!?」
「シュヤクから汚い足をどけるニャ、この犬っころ!」
「いい!」
背後から聞こえたアリサ達の声に、俺は腕を伸ばしてそう告げる。
「俺はいい! だから絶対手を出すな! いいな?」
「でも、シュヤク……」
「大丈夫だって。社畜舐めんな、土下座くらい余裕だって……ぐっ!」
「シュヤクさん!」
「へぇ、余裕なのか? その割にはまだ頭が高い気がするぜ?」
「へへ、俺も手伝ってやるよ」
「んじゃ、俺も」
「ぐっ、うぅぅ……っ」
頭のみならず、背中や尻を散々に踏まれ……いや、もはや蹴られているが、それでも俺は体勢を崩さない。だがそれが面白くなかったのか、脇腹に横から鋭い衝撃が走る。
「ぐはっ!?」
「おっと、力を入れ過ぎちまったか? でもそっちは俺達に剣を向けてきたんだから、蹴っ飛ばすくらい正当防衛だよなぁ?」
「そりゃそうだ。ならもっといっとくか? オラオラ!」
「うぐっ!? っ、くぅぅ……っ!」
体をひっくり返され、更に降り注ぐ暴力の嵐。俺は必死に体を丸めて抵抗するが、腕が、足が、腹が、全身どこもかしこも痛い。
顔を守る為に腕をあげると、腹が無防備になってしまう。膝を折り曲げ腹をまっ盛れば、尻や太ももを容赦なく蹴っ飛ばされる。
痛い、痛い。痛くて痛くてたまらない。レッドドラゴンと戦った時のような迫り来る死の恐怖ではなく、絶え間なく押し寄せる人の悪意と敵意が、ジワジワと俺の心を締め付けてくる。
人はこんなにも無頓着に、人に暴力を振るえるものなのか? 笑いながら人を傷つけ、傷ついた姿に更なる笑い声をあげられるものなのか? 怖い。その理解の及ばない心の在り方が、何より怖い。
ゲームならわかるぜ? 格ゲーなら相手が人間でも殴り合うし、FPSなら撃ち殺す。ストラテジーなら何千何万もの敵を焼き払うし、アドベンチャーならポテチを囓りながら人を殺す選択肢を選ぶことだってあるだろう。
ゲームなら……ゲームなら…………
――SYSTEM G.A.M.E Standby......
(それは、いらねーんだよ!)
ダンッ!
「お? 何だよこいつ、まだ元気あるじゃねーか」
「ならもうちょっと強くてもいいよな? オラオラ!」
「ぐふっ!? ぐぅぅ…………」
俺が地面に振り下ろした拳の意味を勘違いして、ジェイク達の責め苦が更に強くなる。だが衝撃こそ強くなったのに、何故か痛みは少し和らいだ感じがある。
ああ、白いな。何だか全てが白くて黒い。瞼の裏がチカチカして、体に力が入らなくなっていく。
でもまあ、何かもうあんまり痛くもねーし……ならもう頑張らなくても大丈夫か? ははっ、やっぱり俺は主人公って柄じゃねーなぁ。
「ふーっ、そろそろ飽きたし、このくらいで勘弁してやるよ。でも次ふざけた事やりやがったら、本当にぶっ殺すからな?」
「えー? ジェイク、やっちゃわねーの?」
「馬鹿、いくらダンジョンでも、殺すと面倒なんだよ。それともロッド、お前が処分してくれんのか? デニスでもいいぞ?」
「うえっ!? か、勘弁してくれよジェイク」
「何で俺がロッドの尻拭いなんだよ! やなこった!」
「シュヤクさん! 今回復ポーションを使います!」
「うぐっ、ひっく……いやぁ……怖いよぉ…………」
「大丈夫だリナ。もう終わったから落ち着け」
悪意が歩き去り、仲間達の声が聞こえる。そうして「終わり」を悟った俺の意識は、必死に握っていたロープを放してそのまま闇へと沈んでいくのだった。





