そこにいたのは、間違いなく人間だった
「まずは、そうだな……確かに私はお前に比べれば、恵まれた生まれなのだろう。衣食住に困った事はないし、高度な教育を受け、相応に腕の立つ者から剣の指導を受けたりもしていたからな。
無論相応の努力はしたが、そもそも努力ができる……許される環境であったこと自体が恵まれていると言っていい。そういう意味では私とお前は間違いなく平等ではなかったが……しかし公平ではあったと思っている。何故ならこれらは、私がこの先背負うものに対する、先払いの対価であるからだ」
「んだそりゃ? そんな言葉遊びに興味なんてねーんだが?」
「ははは、そう慌てるな。時にグロソ先輩は、貴族というのはどういうものだと考えているのだ?」
睨み付けるグロソに、アリサが問う。するとグロソは皮肉をたっぷり込めた笑みを浮かべてその口を開く。
「あぁ? んなもん、俺達から税を搾り取って遊んで暮らしてるクソ野郎共だろうが!」
「ふむふむ、物語などでありがちな、典型的な貴族のイメージだな。では問うが、金を……税金を搾り取るというのは、具体的にはどうやるのだ?」
「……あ? どうって……? そりゃ、税率を上げれば……?」
おそらく予想とは違ったであろうアリサの言葉に、グロソが戸惑いの表情を浮かべる。実際、俺もちょっと驚いた。如何に貴族の仕事が大変かー、みたいなのを説明するならお約束だが、まさか税金の絞り取り方を聞かれるなんて、そりゃ予想できねーよなぁ。
「ふむ、そうだな。税率を上げれば税収も上がる……だがならば、税率を一〇〇パーセントにすれば税収も上がり続けるか? 答えは否だ。そんなことをしたら領民が暮らしていけなくなり、次年度の税収がゼロになってしまう。野盗ならばそれでいいだろうが、領主ならば持続的に税金を得られなければならない。
ならば搾り取るとは、ギリギリ領民が生きていける税収を見極めることか? これもやや違う。確かにそれなら今得られる収入を最大化できるが、収入そのものが増えることがない。それでは長い目で見るとむしろ損をしてしまうことになる」
「……?」
「イメージがわかないか? なら具体例を出そう。例えば毎年一〇〇万エターを稼ぐ民がいたとする。税率八割で徴収すれば、得られる税金は八〇万エターだ。だがそれだとその民の手元には二〇万エターしか残らず、そんなものでは生きていくだけでも精一杯だ。
だが税率を六割にすれば? 民の手元には四〇万エター残る。それでもまだ厳しいが、多少は余裕がでて健康に気を遣うくらいはできるようになるかも知れん。
四割なら? 手元には六〇万エター残る。これだけあれば身なりを整えたり、新たな技術を身につけたりする余地も出てくるだろう。そうしてその者が成長し、年間に二〇〇万エター稼げるようになれば、税率は四割のままでも先と同じ八〇万エターが税収になる。
つまり、ギリギリ搾り取るというのはむしろ効率が悪いのだ。自分が末代で、精々数年遊んで暮らせればいいと考えているならともかく、まともな領主は子や孫に領地を継がせ、何代にも渡って繁栄させたいと考えるからな。
貴族だろうと平民だろうと、誰だって進んで損はしたくない。だから税金をギリギリまで搾り取ったりはしない……どうだ? 納得できないか?」
「……でも、ギリギリじゃなくたって俺達の税金で贅沢三昧の暮らしをしてるのはあってんだろ?」
食い下がるグロソに、アリサは穏やかな笑みを絶やすことなく話を続ける。
「贅沢の捉え方の違い、だな。大抵の貴族家は大きな屋敷に住み、多数の使用人を雇い、高価な食材を調理させた料理を食べているわけだが……極論、その全てを無くしたらどうなると思う?」
「またかよ! あー……どうって、そりゃお貴族様が困るだけじゃねーの?」
「違うな、貴族は困らない。むしろ困るのはお前達だ。貴族が金を貯め込むだけで使わなくなれば商人がやってこなくなるし、使用人の雇用がなくなれば同じ数だけ仕事を失う者が出ることになる。
ならば最初から税金などとらず、全てを民の手に残せばいいと思うか? その場合街道の整備や衛兵の雇用など、領地の維持に必要な金をどうやって捻出する? その都度領民が集まり、誰が幾ら払うのか話し合うのか?
そんなこと無理だし、効率が悪すぎる。何処の誰が幾ら出したかなどで揉めてまともに話が進まなくなり、結局は地元の有力者に金を集めることになるだろう。
つまり、それが貴族だ。そういう厄介ごとを一手に引き受け、人や金を扱うからこそ幼い頃から高度な教育を受けるし、経済を回すためにお前の言う『贅沢』をしなければならなくなる。
知識も金も権力も、その裏にある領地経営に……ひいては領民の安寧な生活のために必要だから持っているのだ。兵士が剣の腕を磨くように、農民が畑を耕すように……必要なものが違うだけで、やっていることは変わらない」
「……………………」
「まだ納得いかないか? なら簡単に貴族の立場を体験できる方法があるぞ?」
「……何だよ?」
「簡単だ。パーティのリーダーをやればいい」
憮然とした表情をするグロソに、アリサがそういってニヤリと笑う。
「仲間達の行動にどれだけ干渉するのか? ダンジョン探索で得た資金をどう分配するのか? 装備のメンテ代や消耗品の費用をどうする? あるいは新品に買い換えるなら補助金でも出すのか?
考えることは山ほどあり、自分の決断に仲間の人生や命そのものがかかる。今の三人ならば気心の知れた相手だろうからどうにでもなるだろうが、そこに知らない相手が入ってきて、五人一〇人になったなら、全員を不満や要望を管理しきれると思うか?
一応言っておくが、小さな男爵領程度であっても領民は数百……同じ学年の生徒全員を自分一人で管理するようなものなのだぞ? そんな責任を負えるか? そうできるだけの能力があると思うか?」
そこで一旦言葉を切ると、アリサがグロソのみならず、軽く周囲にいる人達の顔をも見回す。誰も何も言わないなか、アリサは小さく首を横に振ってから言葉を続けた。
「できないだろう。そうできるだけの下地がないだろう。だから貴族なのだ。どうすればそうできるのかを何十年、何百年とかけて研究し続け、その知識を継承しているのが貴族家なのだ。
盲目的に偉いのではない。その偉さが、他者を従わせる正当性がなければ成せぬほどの重責を負っているからこそ、貴族は偉くなければならないのだ」
「……………………」
一息ついたアリサを前に、グロソは俯いて拳を握っている。「訳のわかんねーこといいやがって!」とわめけるほど無知ではなく、「そんなの関係ねーんだよ!」と叫べるほど愚かでもなく、ただ仲間二人に支えられ、黙って何かを考え込んでいるように思える。
「ま、そうは言ってもただの金持ちとして遊びほうけている子女もいるだろうし、権力を振りかざす悪徳貴族もいるだろう。だがそれは『貴族だから』ではなく、その者達がそういう人間だからに過ぎない。
平民に泥棒がいたから、平民は全て泥棒と同じだ……などと言われたら、お前とて腹が立つだろう? ならば主語を大きくしてはいかん。お前が私という個人に対して思うところがあるなら、その話は聞こう。無論それが納得いかないことなら、今回のようにまた勝負をしてもいいしな」
「……チッ」
その言葉に、グロソは舌打ちをして顔を背けた。そこには「貴族」という立ち位置に対する嫌悪は、すっかり薄れているように見える。
「さて、随分話が逸れたが……あとは努力と才能の話だったか? これは私の個人的な考えではあるが、努力というのは必ず報われると思っている。ああ、綺麗事の類いではないぞ? 知識にしろ技術にしろ、努力して全く身につかないなどということはないだろう? つまり報われているということだ。
だが、それが他者と比してどう、ということになると話が違ってくる。当たり前の話だが、努力というのは自分だけではなく、誰だってできるからだ。では何故誰でもできることをやった結果差が出るのか? それこそが『才能』と言うものだろう。
才能は残酷だ。物乞いだろうと王だろうと関係なく与えられ、その過多によって決して超えられぬ壁となる。だが同時に、己のどんな才能がどれだけあるかは、人の身では決して完全に知ることはできない。神童と呼ばれた子供がそこで才を使い切り凡人となることも、年老いた老人が意外な才能を開花させ一躍有名になることもあるのだからな。
故に、誰に勝ったとか負けたとかに、大した意味はない。こと剣に関して言うなら私より強い者は幾らでもいるし、私より弱い者もいる。そしてそれが不動というわけではなく、明日には超える者もいれば、生涯超えられぬ者もいるだろう」
「……だから何だ? 結局俺がテメェに負けたのは才能の差だから、潔く受け入れろってことか?」
「そうだ」
「っ!」
あっさりと言い切るアリサに、グロソがギリッと歯を食いしばる。今にも殴りかかってきそうなグロソを前に、しかしアリサは態度を崩さず話を続ける。
「そしてそれは、今はそうだというだけのことだ。私が一ヶ月でお前を超えられたように、お前が一ヶ月で私を超えないと誰が言い切れる? ならばこそこの瞬間の勝ち負けに、それ以上の意味などないのだ。
才能の差は大きい。恵まれた生まれにあって他者よりずっと前から走り出したとしても、真に才能のある者はそれを笑って抜き去っていく。
だがそんな才能があるかどうかは、人生が終わるその日までわからない。故に私はこれからも立ち止まることなく、努力を続けていく……いつか訪れる最後の時に、自分は精一杯努力したと満足しながら逝くためにな」
これで話は終わりとばかりに息を吐くと、アリサが先輩方に背を向けて俺達の方にやってきた。その顔にはやり遂げた、語り終えたというほのかな満足感が浮かんでいるようだ。
「アリサ、もういいのか?」
「ああ。これ以上は無粋だろう」
「ならもう戻りましょ。どうする? ダンジョンに行くのは時間が半端だし、買い食いでもして帰る?」
「いいですね。なら私が美味しいスイーツのお店を紹介します!」
「クロはサバ缶がいいニャ」
「サバ缶スイーツはねーだろ……ないよな?」
サバの頭が突き刺さったパフェを想像して戦慄しながら、俺達は連れだって訓練場を後にする。するとそんな俺達の背後から、不意に大きな叫び声が聞こえた。それは決して運命に定められたモブキャラが出すようなものではなく……こうして終わったアリサのキャライベント「貴族の矜持」は、紛れもなく人間の生き様として、俺の胸に深く刻まれるのだった。





