人間だもの、180度意見が変わることだってあるさ
地図が駄目になったということは、これは一度安全を確認した道を戻る「帰還」ではなく、未知の領域を探索する「冒険」だ。俺達は一層気を引き締め、本来ならば楽勝であるはずのダンジョンを探索していく。
もっとも、探索難易度自体はそれほど高くない。いや、レッドドラゴン戦がなければかなり厳しかっただろうが……そう考えると、あのイレギュラーはかなりの幸運だったと言えるのか? まあ後からなら何とでも言えるわけだが。
「ねえ、シュヤク。これマズいんじゃない?」
「ん? 何が?」
そんな事を考えていると、不意にリナが眉間に皺を寄せて話しかけてくる。だがその意図が今ひとつわからない。
「リソースにはまだ十分余裕があるし、魔物だって対処できてるだろ? 何がマズいんだよ?」
「そりゃアタシ達はいいけど、アタシ達以外にもダンジョンを探索してる人はいるでしょ? その人達からすると、これかなり致命的な異変だと思うんだけど」
「あ……」
言われて、俺は頭をハンマーでぶっ叩かれたような衝撃を受ける。そうだ、フロアの適正レベルを大きく超えてる俺達だから余裕なだけで、それ以外の一般生徒にとって、いきなり地図が駄目になり、何階層も下の強い魔物が周囲を闊歩し始めるなんて、とんでもない危機に決まってる。
「これがこのフロアだけの異変だったらまだいいけど、もしダンジョン全体の地形がランダム変化するようになって、出現する魔物の強さが二段階高くなってるとかだったら……」
「……今中にいる人達が、全滅する!?」
「そこまではいわないけど、かなりの被害になると思うのよ。ゲームだったら救助隊の人達が助けに来てくれるんだろうけど……」
「……………………」
難しい顔をするリナに、俺も言葉を失う。プロエタというゲームにおいて、少なくとも主人公パーティは、ダンジョン内で全滅しても必ず何処かの誰かに救助された。学園内のダンジョンなら選ばれた三年生のみで構成されているという救助隊に、それ以外の外のダンジョンなら通りすがりの討魔士パーティに助けられ、学園の保健室で目覚めるのだ。
だがこれが現実となると、そんなに都合よく助けがくるわけない。ましてや俺達の他にも大量の生徒が巻き込まれているとなれば、あくまでも生徒がやっている救助隊の手が足りないのは自明だ。
(となると、これまたダンジョンが閉鎖される……違う! いつまでゲーム気分に浸ってんだボケが! 学園の生徒が……同級生や先輩が大勢死ぬかもって話だぞ!)
内心で自分の頬に拳を叩き込み、俺は改めて仲間達の様子を窺う。クロエは先頭で警戒してるのである意味いつも通りだが、ロネットやアリサがピリピリした感じなのは、そういう事情を察しているからかも知れない。
(こりゃ一刻も早く事態を何とかしねーと……いや、俺に何ができるかはわかんねーけども)
これが主人公絡みのイベントなのかどうかは、今のところわからない。だがそれでも改めて気を引き締め、ダンジョン探索を続ける俺達だったが……
「おかしいニャ。これだけ探してるのに、上り階段が見つからないニャ」
結構な時間を歩き回り、地図も改めて大分埋まったにも拘わらず、地上への階段は見つからなかった。下に降りる階段はあったので進むことは可能だが、そちらはひとまず保留しておいたのだ。
「進むだけで戻れない、か……ますますランダムダンジョンっぽい作りね。どうするシュヤク? 降りてみる? それともここで救助を待つ?」
「そうだなぁ……確実な帰還を目指すなら、進む方がいいんじゃねーか? 流石に階層ボスを倒した後のショートカットまでは消えてないと思う」
ランダムダンジョンは進むのみの一方通行だが、区切りの階層にはちゃんと脱出用のポータルが存在していた。その辺が変わっていないなら、ここでも一〇階層のボスを倒したところでショートカットが出る可能性は非常に高いと思われる。
というか、そこまで変えられていたら本気でどうしようもない。今の装備やレベルで全一〇〇階層を一気に踏破しろとか言われても無理に決まってるからな。
「ならアタシは、あえて逆の意見。降りたらここより強い魔物が出るようになるのはほぼ確定でしょ? 迂闊に降りたらアタシ達でも苦戦するような強敵しかでなくて、でも階段が消えちゃうから戻れないーって状況は十分ありえると思うの。
それなら物資に余裕もあるし、確実に周囲の魔物に優位を取れるこの場に残って救助を待つのも手だと思うわよ」
「来るかどうかもわからない助けをずーっと待つなんて嫌だニャ。それならクロは先に進むニャ。運命とサバ缶は自分の手で開けるのニャ!」
「それなら一日ここで留まって、それでも助けが来なかったら動く……というのはどうでしょうか?」
「悪くはないが……見極めが難しいな。水はリナの魔法で賄えるとしても、食料はどうしようもない。魔物のドロップ品は当てにできるものではないし、日帰りの予定だったのだから、皆携行食は基本の一日分くらいしか持ってきていないだろう?」
アリサの問いに、全員が静かに頷く。腐らず小さく栄養があるという携行食は優れものな分値段が高いので、必要もないのに大量購入して鞄に突っ込んだりする者は、俺を含めていなかったようだ。
「なら、ある意味これからは時間との勝負ということになる。時間が経つほどに疲労や負傷が蓄積し、食事も休息も十分に取れず、我等は弱体化していくことになる。
そんななか、万全に近い状態で動ける『今』を、救助のために使い潰してしまっていいのかは……わからんな。どんな選択が正しかったかなど、結局は結果論でしか語れんものだ」
「ならどうします? もう一回多数決をやりますか?」
言った俺に、何故か全員の注目が集まる。え、何?
「今のはあくまでも『そういう流れもある』というだけのことだ。私はシュヤクの意見に同意する。妻は夫を立てる者だと学んだ記憶があるのでな」
「ちょっ、何でいきなりそんなことを!? そもそも俺達は夫婦じゃないですし!」
「ハハハ、細かいことは気にするな。貴様に何かを背負わせる気などない。これは私が私の意志で最良を決めただけのことだからな」
「えぇ? いや、何で俺に同意するのが最良なんですか?」
思わず首を傾げてしまう俺に、アリサが笑顔を浮かべて答える。
「言っただろう? 正解が何かなど、結果が出なければわからんと。そして人生に『もしも』はない。選ばなかった未来など、知りようがないのだ。
ならば私の選択は常に最良だ。後になって『あの時ああしておけばよかった』などと後悔するような生き方はしていないしな。それに……」
「……それに? 何ですか?」
「フフフ、私は男を見る目には自信があるのだよ」
「ぐっ…………」
ニヤリと笑って言うアリサに、俺は何も反論できない。まさかここで「貴方の目、冬場にラーメンを食ったときのメガネより曇ってますよ」とは言えないのだ。
「仕方ないニャー。ならクロもシュヤクに一票入れるニャ」
「クロエまで!? 何で!?」
「変なとこに飛ばされた時も、この前のドラゴンの時も、シュヤクが何とかしてくれたニャ。なら今回も何とかしてくれそうな気がするニャ」
「適当!?」
「あー、えっと……すみません。この流れであれなんですけど、私はお二人ほどシュヤクさんを盲目的に信用はできないです」
「ロネットさん! だ、だよな! なら――」
「でも、お二人がそれだけ信じるという事実を以て、私もシュヤクさんを信じようと思います。迷って何も決めないというのは、商人にとって一番の愚ですので」
「お、おぅ……」
グッと胸の前で拳を握るロネットに、俺は言葉を詰まらせる。そうして三人に見つめられると、最後の一人たるリナがニヤニヤと笑いながら声をあげた。
「へー、流石は主人公様ね! ヒロイン達のハートをガッチリキャッチしてるじゃない。もげたらいいのに」
「リナ……」
「まあでも、いいわ。アタシもアンタに賭ける。だって主役が運命を握ってるのなんて、当たり前じゃない」
「……ハッ! わかった、わかったよ! そういうことなら、全員俺に乗ってもらうぜ?
階段を降りて下に行く。で、ボスを倒してダンジョンを脱出する!」
少し前とは全く真逆の判断。主人公の重責をずっしりと背中に感じながら、俺達は改めて下り階段の方へと移動していった。





