これが世界の裏側なのか。ほーん
パチパチパチ……
「……んあ?」
閑散とした拍手の音に意識を引き上げられ、俺は変な声を漏らしながら目を開ける。するとそこは辺り一面の真っ暗闇で、上も下もわかりゃしない。
そしてそんな場所に、何故かはっきりと姿を浮き上がらせる謎の存在がパチパチと拍手をしている。俺と同じ顔……いや、俺が同じ顔になっているそいつの名は……
「ゲームクリアおめでとう。シュヤク君……いや、田中 明さんと言うべきかな?」
「カイル?」
「うん、そうだよ。初めまして……かな? ま、一応ね」
カイル・アーランド。実は勇者の血を引いてるというベタな設定を持つ、プロミスオブエタニティの主人公。ある意味本当の自分とでも言うべき相手に対し、俺は宇宙遊泳でもしているような何のとっかかりもない空間で、いい具合に足を動かしてあぐらを組みながら話しかけた。
「なるほど、そうか。たまーに俺に話しかけてきてたのは、やっぱりお前だったのか」
「あれ? 驚かないんだね? もっとこう『自分が君の体を乗っ取ってしまっていたのか!?』とか、あるいは『俺は俺だ! お前じゃない!』みたいなことを言うのかと思っていたんだけど……」
「ハッ! 俺はオッサンだからな。そんな青臭いこと今更言わねーさ。言わねーけど……」
柔らかく微笑むイケメンスマイルを見せるカイルに、俺はガリガリと頭を掻きながら言う。ちなみに、俺の見た目はまだカイルの……シュヤクのままらしい。てっきり元の冴えないオッサンになっているとばかり思っていたんだが、まあそれはそれとして。
「ゲームクリア? 何で? 俺は負けただろ?」
デルトラの罠に嵌まって、俺は死んだ。アリサとロネットに殺されるという、考えられる範囲ではかなり最悪に近い結末だ。
「まさかあんなことができるとはなぁ……なあ、アリサとロネットは平気なのか? てか、あの後どうなったんだ?」
二人が俺を本気で殺したなんてこれっぽっちも思わない。だがだからこそ、操られて俺を殺した罪悪感がどれほどのものとなるのか? その場でくるんと回転しながら問う俺に、カイルが小さく笑って答えてくれる。
「ふふ、やっぱりあの二人のことを心配するんだね……でも、それは意味がないかな?」
「意味がない? そんなこと――」
「あるよ。だって世界はあそこで終わってしまったんだから」
ジロリと睨む俺に、カイルがあっさりそう告げる。だがその事実を聞いて俺が思ったのは、「まさかそんな」ではなく「ああ、やっぱりな」という納得であった。
「そう、なのか……あー…………」
「そう落ち込むことはないよ。むしろそれでよかったんじゃないかな? だってもし世界が続いていたら、あの二人はきっと一生自分のことを責め続けたと思うよ? 他のヒロイン達だってあの二人のことを許そうと思っても、心の底から許すことはできなかったと思うし」
「むぅ……言わんとすることはわかるんだが、だからって『何もかも消えたので痛みも悲しみも消えました。めでたしめでたし』ってのは違うだろ。それ言い出すといつか死ぬなら生きることに意味はない、みたいな感じになりそうだし」
「色即是空、空即是色ってやつだね。悟りを救いだと定義したのは、君の世界の偉い人なんだろう?」
「俗世の凡人はそんなもんには救われねーんだよ。ちゃんと結果に一喜一憂してこそ人生ってもんだ」
あらゆる感情の振れ幅をゼロにすることで喜びも悲しみも無価値とし、全てのものに価値がないならそこに自由に、自分の好きなように価値をつけられるとか言われても意味がわからん。
全ての執着を捨てれば楽になるって言われても、それって何もかも諦めてヘラヘラ笑いながらひたすら人生を消費するのと何が違うんだ? いや、偉い人に言わせりゃ違うんだろうけど、実感出来ない違いなどそれこそ俺には価値がないのだ。
「ふふ、君らしいね……真面目な話をするのなら、たとえあそこで世界が終わらなくても、結末はそう変わらないんだ。消えない罪を背負い、何より自分自身が自分を許せないヒロイン二人と、そんな二人を慮りながらも君を殺した事実を許せない他のヒロイン達。
そんな何かがあろうと無かろうと、時間は常に流れていく。邪神が消えて学園が再開され、失意のまま自主退学した二人の物語はその先に語られない。そして学園の未来では予定通りに魔王が襲ってくるけれど、残った二人がいれば今更魔王如きに苦戦はしない。
既に邪神は存在せず、そうして魔王も駆逐され、かくて世界は平和になった……そこでエンディングを迎えて終わり。その先はやっぱり存在しないんだから」
「…………本当にここは、ゲームの世界なんだな。ん? でもそれなら……?」
「うん。過去は変えられない。君が彼に敗北し、殺された事実は変わらない。でも新たな過去を作ることはできる……今の記憶を引き継いで、弱くてニューゲームをすることはできるんだ」
「そこは強くてニューゲームじゃねーのか?」
「ははは、残念ながら能力やアイテムなんかの引き継ぎは無理だね。次の世界に持っていけるのは魂に刻まれた記憶だけ。そしてそれだって君だけの特別だ。他のヒロイン達は何もかも忘れて、また最初からやり直しだよ。
そんなの当たり前だろう? だって君は、君だけがプレイヤーなんだから」
「……………………」
リセットボタンをポチリと押せば、ゲームの世界は巻き戻る。だが外でコントローラーを握っている奴の記憶は消えない。キャラクターは忘れても、プレイヤーは忘れない。それは当たり前のことで……だからこそ残酷なことだ。
「どうする? やり直すかい? もし君がそうしたいと願うなら……」
「…………いや、やめとくよ」
静かに目を閉じ、長いようで短い逡巡の末、俺の口からは自然とその結論が滑り出た。真意を問うような目を向けてくるカイルに、俺はゆっくりと自分の想いを語っていく。
「だってさ、気に入らないからやり直しって……人生ってそういうもんじゃねーだろ? 成功もあって失敗もあって、嬉しいことも悲しいことも色々あって……でもその全部の選択の結果が、俺達の生きた証じゃねーか。
それをやり直すのは違うだろ。思い通りの結果が出るまでやり直しなんかしたら、それこそ『ゲーム』になっちまうよ」
確かにあそこはゲームの世界で、俺が出会った大半の存在はゲームのキャラクターだったんだろう。だが俺はあの世界で生きていたし、関わった人々はちゃんとした人間だった。
俺はそれを否定したくない。アリサやロネットやクロエが「人間」であったことを、否定なんてしたくないのだ。
「だからまあ、これはこれで受け入れるさ。俺らしいしょっぱい結末だったってことでな」
満足してるわけじゃない。だが納得はしている。俺は皆と一緒に精一杯生きて……そして最後にしくじった。そのせいで皆の心に取り返しのつかない傷を負わせちまったが、それすらも……それこそが人生。
苦悩を、苦痛を、苦しく悲しい選択と結果を「失敗した」と気軽に蹴っ飛ばしてやり直しなんてしてはいけない。それは懸命に生きる者達への最大の侮辱だ。
たとえ忘れてしまったとしても、なかったことになんてならない。魔物に襲われるロネットを助けて「初めまして」なんて挨拶できるほど、俺の面の皮は厚くないのだから。
「……素晴らしい。本当に素晴らしいよ!」
そんな俺の言葉に、カイルがまたもパチパチと拍手する。その顔は本当に嬉しそうで……だが何処か狂気じみた雰囲気も感じる。
「やっぱり君だ。君こそが、僕の願いを叶えてくれる唯一の存在だ」
「カイルの願い? 何だそりゃ?」
この期に及んで、こんな流れで、一体カイルが俺に何を望むというのか? 首を傾げる俺に、カイルがアルカイックなイケメンスマイルを浮かべて言う。
「僕の願いは、世界を終わらせることさ」
「おぉぅ!? 主人公らしからぬ願いなんだが……でも、世界なら今終わったばっかりだろ?」
てっきり「エンディングの向こうに行きたい」的な願いかと思ったら、まさかの真逆。だが今俺達のいるこの場所こそが、世界が終わった後のインタールードそのもののはずだが……?
「いいや、終わりじゃない。だってこのままだと、次の世界が始まってしまうからね。僕の願いは本当の終わり。始まりと終わりのループを断ち切り、この世界を完全に無に還すことなんだよ」